第十六幕
明日から少し忙しくなるので、今日出しておきます。駆け足なので少し至らぬ点があるかもしれませんが、そこは薄目で拝読して頂ければ幸いです(´・ω・`)
「出来たぞ」
「いいね、美味しそうだ」
今宵の晩餐は猪の肉の串焼きと、鮎の香草包み焼きとご飯、そして味噌汁。ご機嫌な夕食だ。
「お前が来てくれたおかげで私の仕事が半分になった。お陰で使える時間が二倍になってとても助かっている」
何だか改まった様子の綾子に対し、僕は照れ隠しのツッコミで応じる。
「おいおい、礼なんて言うなよ。僕もやりがいを感じているんだ」
「やりがい?ここでの生活にか?」
綾子が小首を傾げる。
「違う。君と支え合って生きている事にさ」
「!」
意外な答えだったのか、目を大きく見開いて驚いている綾子に僕は言う。
「人ってさ、人の為に生きる事に喜びを感じる様に出来ているのさ。ほら、『人』って漢字、これは二人が支え合っている姿を模したものだろ?」
『人は人の為に生きてこそ人と言う』
なんかのテレビドラマで聞いた台詞だけど、本当にそう思う。都会の生活がつまらない理由はここにある。ご存知の通り、都会はお金が無ければ生きていけない。必然的に皆お金の為に生きなければならなくなる。都会では紙切れの奴隷と化さなければ生きてはいけない。あの薄っぺらい、一枚原価27円の紙切れに支配される生活。そこに喜びなどあろう筈がない。金など人が創りしものの中で最も下らないものだ。物々交換が上手くいかない事に業を煮やした人類が、その代替手段として発明した苦肉の策に過ぎない。金などただの幻想。思い込み。自らが創り上げしものに支配されるなんてよく考えたら滑稽な話だ。こんなものに縛られてたまるか。金はあくまでも手段だ。目的じゃない。
「そうだな、確かに助け合うと喜びは二倍になり苦労は二分の一になる。北斗、お前の言う通りかもしれん」
そう言って綾子は居住まいを正す。いつもの習慣である食前の祈りだ。僕も自然とそれに倣う。ここで生活するうちに、何となく僕もやる様になってしまった。二人で祈りを終えて食事を開始する。猪の肉を口いっぱいに頬張り、白飯をかっこむ。この肉の甘味が飯に絡みつく感じがたまらない。見ると綾子は魚の身をほぐして飯の上にふりかけている。
「かぶりつかないの?」
顔を驚きで一杯にして僕は言う。少し前の綾子だったら、間違いなく頭からバリバリいった筈だ。
「う、うるさい。ものをどう食べようが私の勝手だろう」
何処かぶっきらぼうに言って、魚肉混ぜご飯を静々と食べる綾子。気のせいか頬が少し上気している様にも見える。なんか随分と上品だな、と彼女の豹変に戸惑う僕。そう言えば、と肉を頬張りながら僕は綾子をまじまじと見る。そう言えば最近綾子は褌一丁になる事が全くなくなった。今身に着けているのは毛皮を裁縫したワンピースだ。常に服を身に着けている。彼女が着替える時は、何故か小屋から叩き出される。それだけではない。朝起きた彼女が一番最初にやる事は、銃の手入れではなく髪の手入れだ。そう言えばやたらめったら屁をこく事もなくなった。どうしちゃったんだろ?急に女に目覚めたのか?でも何で?少し考えたが心当たりはない。まぁ、女は色々あるからなぁ、昔から言われる月並み結論を持ってして己の疑問を早々にきりあげて、僕は食事を再開する。何故だか妙に飯が美味かった。
「なぁ、北斗」
「なに?」
食事が終わり、満腹感がもたらすけだるさに浸っていると、綾子が声をかけてきた。
「家に帰らなくていいのか」
「何で?」
軽く肩をほぐしながら、僕はどこか投げやりな口調で答える。
「何でって、こんなに家を空けて親御さんとか心配しているだろう」
綾子の言葉に触発されたのか、僕の胸中に両親の顔が浮かび上がり、暫くたゆった後、少しずつおぼろげになっていく。夢散してゆく父と母の顔を、追いかける事なく消えるに任せる僕。
「僕の親が心配しているのは別の事だよ」
投げ出した足をたたみ、胡坐の姿勢になる。父と母。血がつながっているだけの他人。胸中に浮かぶは彼等からの憐みの眼差し、浴びせられた心無い言葉。憩いのひと時に水を差され、気分がささくれ立っている。自然と口調がつっけんどんになるも、こればっかりはどうしようもない。
「何だその別の事って?」
「まぁ、世間体とか、まぁ色々だよ。それよりさ」
強引に話を逸らす僕。親の事を思い出すと将来の事とか世間体とか、そういっためんどくさいものまで芋づる式に頭に浮かんでくる。今は、いや、出来ればずっとこんな下らない事は考えたくない。考えたくないから触れて欲しくない。触れて欲しくないから話題にしてほしくない・・・・・・。こんな狂った社会に、一歯車として取り込まれるなんて生きるなぞまっぴら御免だ。
「綾子こそどうなんだよ? 何でこんな山奥で一人で生きているんだ?」
僕の強引すぎる話題転換から何かを感じ取ったのか、それ以上突っ込んで来ず、質問に答える綾子。
「私の話か。言っておくがあまり愉快な話ではないぞ」
「教えて欲しい。僕は君の事がもっと知りたい」
言った途端赤面してしまう僕。これでは中学生の遠回しな告白じゃないか。日々大きくなってゆく綾子への好意。それを悟られてやいないかと心配になるも、幸い綾子はそれに気が付いた様子もなく淡々と己の過去を話し始める。
「私の祖父は殺人犯だ」
僕は身をすくませた。そんな僕を前にして、綾子はまるで天気の話でもするかのように、何気ない口調で言葉を紡ぐ。
「うちは漁師の家でな、祖父とその娘である母、入り婿の父、そして私の四人家族だった。平穏な暮らしが終わりを告げたのは、十五年前、私が三歳の時だ」
そう言って一旦言葉を切り、重たい記憶に耐えかねたのか瞼を閉じる綾子。そんな彼女が纏う空気にのまれ、耳を傾けるだけの僕。刹那の間が過ぎ去り、綾子はその目を開く。
「ある日の夏祭り、祖父が喧嘩でヤクザを殺してしまったんだ。祖父は逮捕され、傷害致死で服役。その日を境に私達の平和な日々は終わりを告げたんだ」
綾子の淡々とした声に、彼女の押し殺した悲しみを感じ取り、いたたまれない気持ちになる。
「父は『人殺しの家族など願い下げだ』と言い残し、母と私を捨てて別の女のところへと走った。祖父のせいで夫を失い、世間から後ろ指をさされる生活となった母は、祖父を恨み、まだ刑務所にいる祖父に絶縁状を叩きつけ、女手一つで私を育てようとした。だが、お嬢さん育ちで資格も技術もない殺人犯の女に職などあろう筈もなく、まるで世間から追い立てられる様に母は・・・・・母は赤線に沈んだ」
「赤線?」
「風俗街の事だ」
「!」
「母は美人だったからな、割と稼いでいたらしい。生活は安定したが、世間の目は更に冷たくなった。私も『人殺しの孫!』『売春婦の娘!』と道端で、商店など街中の至る所で数えきれないくらい石を投げられたよ」
母の事を語る時だけ口調をうわずらせる綾子に、僕は大きな罪悪感を覚える。綾子の過去を望んだのは僕だ。綾子にこんなひどい事を強いているのは僕だ。だからしっかりと聞かないと。この話を疎かに聞く事は許されない・・・・・・。奥歯を噛みしめ、改めて居住まいを正す僕を前に綾子は続ける。
「私が十歳の時に母が過労で死に、私は、施設に引き取られた。そこから当に地獄の日々だったよ」
そう言って唇を曲げ、まるで自嘲するかの様に笑う綾子。やめてくれ綾子、そんな顔は君には似合わない。自分自身を貶めて安心する様な、そんな弱い人間じゃないだろう、君は。声にできない想いにもだえる僕を尻目に、綾子は続ける。
「殺人犯の孫であり、そして売春婦の娘と言う事で、毎日繰り返される陰湿ないじめ。他に行く当てもない私はひたすら耐えるしかなかった。そんな日々が五年続いたある日、出所した祖父が、山でマタギをやっているのを聞いた」
囲炉裏にかけられた鍋がグツグツ煮えている。鍋の底に残ったが味噌汁が蒸発して少なくなっている。味噌の焦げた様な匂いが漂う中で、綾子が続ける。
「私は施設のお金を盗み、電車を乗り継いで祖父の下に向かった。施設を逃げ出してきた私を、祖父は何も言わずに受け入れてくれた。あの時の、何処か申し訳なさげな目は今でも鮮明に覚えている」
遠くを見る綾子の目に澄んだものが宿る。ああ、この娘は己の祖父を少しも恨んではいないのだな、と僕は綾子のその仕草から、彼女の心情を直感的に感じ取る。綾子が続けた。
「施設を出る時私は思った。二度とこんなところに戻りたくない、と。あとはお前の知っての通りだ」
そう言って話は終わりだ、と言わんばかりに綾子は口を閉ざした。その衝撃的な内容を前にして、僕は不謹慎ながら喜びを覚えていた。
同じだ。
僕と綾子は同じだ。