第十五幕とちょっとしたお知らせ
皆様こんにちは。いつも拙作にお付き合いいただきありがとうございます。僕が筆を持てるのも、皆様のおかげです。
まずお詫びから。
掲載が不定期で申し訳ありません。仕事との兼ね合いで、どうしても滞りがちになる時期が出てしまいます。なるべく最後までやりきるつもりでありますので、気長にお付き合いくだされば幸いです。
二点目
今年の下半期に本を出版します。題名は未定。前作『錆びた拳に花束を』に続いて二作目です。
戦国時代を生きた一人の変わり者の話です。手前味噌ですが、そこそこのエンタメにはなっているのではないかと思っております。
正札で買えなどと厚かましい事は申しません。ブックオフバリューで結構ですので、手に取って頂けると幸いです。
それではどうぞ。
それから僕は、山で生きる為の知識、技術を綾子から師事する。山の歩き方、川の渡り方、火の熾し方、雪山で遭難した時の対処法、山の植物や果物の種類、可食かどうかの判別方法、誤って食べてしまった時の対処法、獣の習性、それを踏まえた追跡方法および獣からの追跡をまく方法、毛皮や布を使った簡単な洋裁および罠の作り方、そして銃器の扱い方等など学ぶ事は山程あり、習得は大変だったが苦ではなかった。生きる為の知識や技術だ。その学びがつまらない筈がない。
『学びが嫌いなホモサピエンス(人間のこと)はいない』」
どこかの学者が言っていた。これを最初聞いた時
「何言ってんだ? 馬鹿じゃねぇの」
と鼻で笑ったけど、馬鹿は僕の方だった。
『学び』というのは生きる為の知識を身に着ける事だ。教科書を丸暗記する事じゃない。
今教育の現場で行われている事は単なる『知識の習得』であり、『学び』ではない。能書きだけたれて実際には行動に移せない頭でっかちを生産しているだけ。『生きる』って『行動』なのに。人は人類はいつから『学び』を失ってしまったのだろうか?それが原因かどうかは分からないが、現代人は『一つの事』しかやろうとしない。『一つの事』、それを『職業』と言い換えてもいいが、とにかく毎日ひたすら決まった事だけを繰り返し、他は全てお金で賄うまかなう。食料も衣服も家も全てお金で手に入れる。自分でやらずにお金を払って人にやらせる。皆がそうだから、結局現代人は自分一人では食料調達はおろか、火すら熾せない大きな赤ん坊と化してしまった。文明は確かに進歩したのだろう。たが、人は確実に退化している。そんな気がした。
ここにきてから『忙しい』という言葉を口にしなくなった。何故だろうか?やる事は山程あるのに。毎日が充実しているから?それもあるかもしれない。でも、それだけじゃないような気がする。
日常から『忙しさ』が消えた理由、それはきっと『時計』が無いから。
時間に縛られない日々がこんなに楽しいとは夢にも思わなかった。
狩りや食料の調達などの『外仕事』がない日は、必然的にその日のなすべき事は『内仕事』になる。幾つか例を挙げると、掃除洗濯、水汲み、薪割り、食材の加工、小動物を捉える為の罠の作成、小物作り、薬草の採取と調合、そして洋裁。
「水田を作りたい?」
裁ちバサミを布地の上で滑らせていた綾子の手が止まる。冗談なのか本気なのかを探る為なのか、揺れる瞳のまま此方に向き直る。
「そう!水田!この前山の中を歩いていたら、手頃な場所を見つけてさ。」
僕は半分に折った布地の端を縫いながら、景気よく気炎を上げる。今僕が作っているのはネックウォーマー。冬が近い。病気の治療と冬支度は早ければ早い程いい。綾子はちょっとした衣服は毛皮や布地を使って自分で作ってしまう。僕も綾子に習い、簡単な小物程度なら何とか自分で出来る様になった。雨の日とか、狩りに出ない日は二人で洋裁をしてすごす事が多い。
「何でまた急に。米は町で買えばいいじゃないか」
綾子の声が心持ち強張っている。この話に乗り気じゃないらしい。話に乗って来ないのは想定内。分からぬなら、分からしてみせよう不如帰
「最近米の高騰が凄いだろ?この一ヶ月で二倍だぜ」
最近米価が高騰している。この理由がまた腹立たしい。近隣のヤクザ国家、C国人が何故か日本の米を買い漁っているからだ。政府は備蓄米を放出し、何とか対応しようとしているが、相場の落ち着く気配はまるでない。この国の政治家は一体何をしているんだろう、と本気で思う。例えばみんな大好き欧州のF国。この国の政府は、国民の主食であるバゲットの値段が高騰しない様に、市場や業者に厳しい規制を課して国民生活を守っている。危機に備えた見事な対応だと思う。我が国の政治家達も裏金作りばかりしていないで、少しは仕事をして欲しいものだ。あといい加減に消費税やめろ。大量生産大量消費が基本の資本主義社会において、消費にペナルティかけてどーすんだ。
「仕方がないだろう。米の値段など私達がどうにか出来る問題じゃないぞ」
そう言って再び裁ちバサミを布地に当てる綾子。一呼吸の後、紙型を利用して敷いた線に沿ってハサミを入れていく。僕にとっての画期的な提案も、彼女に取っては作業の合間に聞く程度の話らしい。
「これ以上高騰したらどうする?いや、高いくらいならまだいい。米が手に入らなくなったらどうする?」
「そんな事ありえないだろう」
綾子は裁断を終えた布地を両手で掲げ、その出来具合を確認している。僕の話なんざ心底どうでもいい、とその仕草で語っている。僕は手にした布地を横に置き、改めて綾子に向き直る。
「何故そう言い切れる?歴史上何度も飢饉は起こっているぞ」
「それが起こったらその時考えればいいだろう」
『男は過去と未来に生き、女は現在を生きる。突き詰めれば私達は違う生き物なのだ』
誰かの台詞が頭をよぎる。本当にそう思う。未来に対して、女と言う生き物は何故にこうも頑固なのであろうか。
「考えても手に入らなかったらどうすんのさ。耐えられる?米の無い生活。僕には無理だ」
「まぁ、確かに食卓に米が無いのは困るが・・・・・・だからと言ってそれに備えて水田を作るのも行き過ぎなんじゃないか?」
小さく首をかしげる綾子。その口調には呆れがふんだんに混じっている。思った以上に頑なな綾子。その固い口調や表情からから考えを変えるつもりはない事が分かる。昔の僕だったらここで諦めていただろう。だが、今は違う。僕はもう、昔の僕じゃない。気合一発、目ん玉とお腹に力を入れ、僕は姿勢を改めて綾子に向き直る。人を説得するのは恋愛と同じ。断られてからが勝負だ。
「僕はそうは思わない。米を自給自足出来れば食糧事情は劇的に良くなる」
綾子がやれやれ、と言った風に頭を降る。
「北斗」
「なに?」
「水田なんて簡単に出来るものじゃないだろう。もう少し地に足を付けた考えをしろ」
投げかけられた綾子の言葉を、僕は首の一振りで振り払う。
「難しいかもしれないけど、小規模なものならば不可能じゃない筈だ。今度町に降りて色々調べてくる。やろうぜ、稲作」
新プロジェクトを熱く語る僕を前に、綾子がくすりと笑った。瞬間、場の空気が華やいだのは僕の気のせいじゃない。
「北斗」
「なんだい?」
「お前は面白いな」
「面白がってないでやろうぜ」
僕は座ったまま、ずいっと綾子ににじり寄る。
「でも無理だ。私には出来ない」
「何で出来ないのさ」
苛立つ僕をなだめるかの様に、綾子がその眼差しを柔らかくする。
「北斗、知っているのか?」
「何を?」
「水田というものはな、あれは大変な自然破壊なんだぞ」
「そんな事ないだろう」
驚きのあまり声を上げてしまった僕を、綾子は努めてゆっくりとした口調で諭す。
「私達は米食民族だから米に関するものはすべからく良きものと捉えてしまう。だが、北斗、これは事実だ。水田は間違いなく自然破壊だ」
「とてもそうは思えないんだけど」
僕はついこの前見た田んぼの風景を思い出した。青々とした稲の海、その上を走る一陣の風に乗り、鳥が舞う。見事に自然と調和している。これの何処が自然破壊なんだ?真剣に首をかしげる僕に、綾子はその厳かな声で現実を語る。
「その場で生えていた木や草を根こそぎ引っこ抜き、土をくり抜いて水浸しにする。当然そこで生きていた動物昆虫達は全滅。そこには当初あった筈の自然など何処にもない。それ以降そこは、やせ細りきるまでひたすら米を作る為にその身を捧げ続ける。これは土地の奴隷化だろ」
「・・・・・・」
水田が自然破壊。今まで考えた事もない視点。それがもたらす衝撃に揺れている僕に、綾子が続ける。「自然に生かされているこの私にとって、自然を破壊する行為に与する訳にはいかないんだ、分かってくれ、北斗」
心の奥から染み出してきた黒い『何か』じわじわと身を覆ってゆく。それを深呼吸で押し返し、僕は言った。
「・・・・・・分かった」
そう言って、少し驚いた顔を浮かべている綾子を尻目に僕は作業に戻る。先程半分に折って端を縫い合わせた布地を、今度は布を畳む形で端を縫い合わせていく。少しずつ引っ張り出しながら縫うのがポイントだ。
「北斗」
「なに?」
最後の十五センチくらいは縫わずにあけておく。僕は作業の傍ら綾子に答える。
「変わったな、お前は」
「変わった?何が?」
あけておいた箇所から布地を表にひっくり返しながら僕は答える。
「少し前のお前だったら私に噛みついてきていたぞ「この分からず屋!」ってな」
綾子が僕の口調を真似して言う。そんな彼女に、僕はあけておいた箇所の縫い代を内側に折り込みながら苦笑いを返す。
「人にはそれぞれ事情があるもんさ。そこは汲んでやるのが男ってもんだろ」
端を手縫いでまつい、ネックウォーマーを完成させる。全体を点検し、その出来栄えを確認する。・・・・・・いい出来だ。今年の冬の強い味方になってくれそうだ。それにしても、先程から感じる綾子の視線に、何やら熱いものを感じるのは気の所為だろうか?もしかして、キマったか?
「腹が減ったな、食事にしようか」
綾子の言葉に僕の目尻がだらしなく下がる。
「いいね!この前採った鹿肉の燻製を食おうぜ。もうそろそろ食べ頃だ」
先程のキメ顔は何処へやら、空きっ腹にいい様にやられている僕を見る綾子の瞳に優しいものが宿った。
「明日狩りに出るんだろ?銃の手入れしておく?」
綾子がカットした猪の肉を、燻製小屋に運びながら僕は言った。ちなみに綾子は今、作業場の中央に陣取り、ナタの背で鹿の骨を粉々に砕いている。粉々にした骨を煮ると良質な油が取れる。覚えておいて損は無い知識だ。
「当たり前だろう。豪雨明けの山は宝の山だ。放っておく手はない」
そう言って猪の大腿骨をナタの一振りで粉砕する綾子。うむ、やはりこの女、ものをぶっ壊す様が妙に板に付いている。お淑やかな女の子が好みの男子諸君には見るに耐えない光景かもしらんが、僕的にはオッケーだ。少なくとも銃火器や丸鋸、チェーンソーをふつーに振り回す女よりかはなんぼかマシだろう。「出はいつもより早い?」
僕は肉を網の上に並べながら問う。
「分かってきたじゃないか」
返ってきた嬉しそうな声に僕の心も華やぐ。大雨の最中は、動物も人と同じく野外での活動を控える。体が濡れる事による体温の低下を避ける為だ。雨が降っている間は、動物達はねぐらでじっとして過ごす。当然その間は絶食だ。そして訪れる雨上がりの朝、空きっ腹を抱えた雄雌達が、山の中で餌を求めて忙しく動き回るのは自明の理と言える。
「当然だろう。伊達に半年、ここで生きている訳じゃないんだ」
そう言いながら、肉をのせた網の下に桜の木をセットし、点火する。これで燻すと風味が増して格段に美味くなるのだ。
「食後に銃の手入れをする。油と布の準備を頼む」
ナタで粉々にした骨をバケツに入れながら、綾子が言う。
「了解」
作業を終え、燻し小屋の扉を閉めた僕は、その足で部屋の隅に向かい、置いてあったスマホの音楽アプリを起動する。曲は当然『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』電池の残量の関係で常時起動と言う訳にはいかないが、まぁ、たまにはいいだろう。特に今日みたいな気分のいい日は。いつ聴いても渋すぎるイントロに乗せて、スティングの深みのある渋い歌声が雨音に乗り、二人の間の空気を何やら和やかなものに変える。ううむ、やはり素晴らしい。聴くたびに違う感動がわき起こってくる。数少ない本物の歌。『音』を『楽』しむと書いて『音楽』そして歌はその音楽の一部。この定義に照らすと、楽しくない歌や演奏は歌でも音楽でもないという事になる。では今の芸能界にはびこる、それら音楽もどきのまがい物を何と呼べばいいのか? いい言葉がある。『雑音』だ。歌を静かに聴く綾子。その表情から内心は伺えない。僕のイチオシはこの娘にはどう響く?好き嫌いはその人の本質と密接に結びついている。好きよりも嫌いが同じ夫婦の方が長続きするのがその証左と言っていい。綾子がこの歌にどの様な評価を下すのか、それを知る事で綾子との心の距離をはかれる様な気がする。
知りたいな、もっとこの娘の事が。
「北斗」
一番が終わった時、唐突に綾子が口を開いた。そら来た!さぁ、どう来る?
「この歌を歌っている男、外人らしいがどんな男だ?」
軽くずっこけた。いやさ、ふつー初めて聴いた曲について語る時、歌詞やメロディーの方に意識行かない?何故歌手の人となりに意識がいく?まぁ、いいけどさ。
「なんだ?何が可笑しい?」
「いやいや、綾子サマは面白いな、と思いましてね」
自分の何が面白かったのか分からず、首をコクッと傾げる綾子。畜生、その仕草可愛すぎるぜ。
「イギリスの歌手で名前はスティング。この歌はイギリス人である彼がアメリカで住んでいた時に創った歌さ。世界レベルのすげぇ歌手だ。俺の貧しい語彙では、この人の偉大さを表現出来ない」
「そうか」
そう言ったきりまた黙る綾子。僕は気になって思わず問うてしまう。
「気に入らないのか、この歌」
綾子は小さく首を降る。
「いや、いいな。いい歌だ。特にこのコンチクショーって感じがとてもいい」
今度は本当にずっこけた。コンチクショー?この歌の何処にそんな叛骨がある?人が持つ疎外感や悲しみを、スティングがその澄んだ魂で歌に昇華させたのだ。それをコンチクショーだなんて・・・・・・。聴いた歌に対しての感想、それは人の感性から来るものだから良いも悪いもない。すべからく例えそれが自分にとって気に入らんものでも尊重すべきだろう。だが、だけど、それでも物事には程度ってもんがある。少なくともこの歌からコンチクショーを感じ取るその感性はおかしい。僕は無言でスマホを操作し、歌の和訳を出して綾子に見せる。
「何だこれは?」
綾子が怪訝そうな顔で僕のスマホを覗き込む。
「この歌の和訳だよ。スティングの簡単な経歴も一緒に載っている。読んでみ」
スマホを操り、歌詞を読む綾子。因みにスマホの使い方は、暇な時教えてある。
「やはりそうだ。これは己の負けん気を高らかに歌った歌だ。うむ、私の感性も捨てたものではないな」サイヤ人には地球の音楽は難しいのかな、と、得意げに顎を撫でている綾子を前に、僕は軽く天を仰ぐ。「あ、あのさぁ」
「なんだ?」
「この歌の何処にコンチクショーがあるの?」
「あちこちにあるじゃないか」
「だから何処に」
「例えば導入部、『珈琲は遠慮しておこう。僕は紅茶の人間さ』ここには珈琲やダイエットコーラばっかし飲んでるお前らアメリカ人に俺は絶対に染まらないぞ、と言うスティングの気概を感じる」
・・・・・・た、確かに一理ある。予想外の視点を提示され浮足立つ僕を前に、綾子は続ける。
「『謙虚さや礼儀正しさは時に悪い評判につながる』ふむ、これはアメリカ人の粗野さを遠回しに笑っているな。俺はアメリカ人に生まれなくて良かった。言外にそう言っているのかもな」
う、穿っているのか、それとも曲解なのか?分からない。反論出来ないのが答えなのだろうか?
「『優しい人や真面目な人なんて滅多にいない』ほぉ~これなんかあからさまだな」
そう言ってコロコロと喉を鳴らす綾子。そんな綾子を前に、反論する気も失せていた僕は、ただただ彼女の見解を傾聴するしか出来なかった。
「『戦闘服を身に着けたからって一人前になれる訳じゃない。銃の免許だってそうさ』ほぉほぉ、なんともはや・・・・・・。しかしこの歌をニューヨークのど真ん中で歌ったとはな。凄いな、このスティングと言う男は」
綾子が笑顔でスマホを返して来た。僕はムスッとした表情でそれを受け取った。
「どうした?北斗?」
表情を強張らせた僕を訝しんだ綾子が顔を寄せてきた。
「な、何でもないよ!」
そう言って立ち上がり、作業小屋の出口へと向かう。綾子がスティングを褒めた時、僕の胸の中を嫉妬が埋め尽くした。それを悟られまいとしている自分。何故だろう?何故彼女に悟られたくないのだろう。
人が人を好きになるなんて自然な事なのに。
幸せだな、と思う。生きるというのはこんなにも楽しいんだ、としみじみと思う。
こんな楽しい日々がこれからも続くんだ。
そう思っていた。