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第十二幕

翌日早朝。待ちに待った僕の狩人デビューの日。天気は生憎の曇り。お天道様は休暇を取ってベガスにでも行っているのだろう。

「早く行こうぜ。何をモタモタしてんだよ」

「落ち着け! 全く子供かお前は」

そう言いながらリュックを二つ手に、小屋から出てくる綾子。彼女は遠足前夜の子供の様にはしゃぐ僕に、手にしたリュックの内の一つを放る。ガシッとそれを受け止めるも、その重さのためややよろける僕。

「これは?」

「荷物だ。弁当とか予備の弾丸とか色々入っている」

綾子の出で立ちはいつもの様に国民服、肩にかけた猟銃、それと小さなリュックだ。

「僕は荷物持ちかい?」

自然と肩が落ちる。いや、いきなり銃を撃てるとは思ってはいなかったが、少なくともハンティング要員として、何らかのポジションは任されるものと思っていた。

「新兵は荷物持ちからと相場は決まっている。嫌なら連れていかないぞ」

「はいはい分かりました」

『新兵は平等に価値がない』って事らしい。これは誰の台詞だったかな、ハートマン専任軍曹だったか? 記憶を探りながらリュックを担ぐ僕。不満はあれど、それを上回る期待と喜びが内心で満ち満ちているのが分かる。スタンバイを終え目を輝かせている僕を前に、綾子は空をじっと見ている。天候を読んでいるのだ。なにせ今日は曇りだ。途中で雨が降ったら大変だ。僕は初めて綾子に会った日にやらされた、どしゃ降りの中での重労働を思い出して、思わず右の二の腕を触った。

(雨なら中止かな)

若干の不安を感じている僕をよそに、綾子は人差し指に唾をつけ、それを天にかざした。固唾をのんでそれを見守る僕をよそに、綾子はたっぷりと時間をかけて天と会話をする。時間にして二、三分位くらいだろうか、綾子がおもむろに指を降ろし、話しかけてくる。

「夜までは持ちそうだ。行くぞ」

そう言ってさっさと山の中へと足を踏み入れる綾子。当然それに続く僕。そんな二人を歓迎するかの様に、森の木々が一斉に揺れた。


草木を掻き分けつつ、獣道を歩く。先に行く綾子は振り返りもせずどんどん登っていく。怪我した足で鋭い傾斜を登覇していく綾子に驚嘆を覚える僕。足を弛めたり立ち止まったりなんて事は一切せず、ついて来られなければ死ね、と言わんばかりに爆進している。

(コイツらしいな)

乱れた呼吸の中で、自然と笑みが口元に浮かぶ。多分に苦笑いだが。その時僕の耳が何かを捉えた。前方を行く綾子がいきなり猟銃を手近の木に向かって発砲する。何かが木から落ちてきた。素早く動き、それを回収に向かう綾子。戻ってきた彼女が手にしていたのは一匹のリス。

「リスを取るのは簡単だ。危険を察すると木の上に登って、そこでそのまま動かなくなる。そこを狙えばいい」

そう言ってリスを地に投げ出す。首から上がないその山の恵みを前にして、怪訝な表情を浮かべる僕。それに気付いた綾子が

「どうした?」

「いや、こんなところで銃を撃ったら、これ以降熊に警戒されないかな、って思ってさ」

ほぅ、と言わんばかりに僕を見る綾子。その視線の意味が分からず、思わずモジモジしている僕に、綾子が言った。

「お前は中々良い勘をしているぞ」

「そうかな?」

綾子に褒められた。その事実が僕の胸を喜びで一杯にする。ゲームやユーチューブでは決して得られない体験だ。

「ああ。お前の言う通り、熊狩りの時は他の獲物には絶対に銃は向けない。熊の嗅覚、聴力は尋常ではないからだ。熊を狩る前に一発でも銃声を起こせば警戒され、それ以降の狩りは数段難しくなる。だが今日に限っては大丈夫だ」

「今日は熊狩りではないのかい?」

綾子の言葉から類推し、先回りする僕。出来の良い生徒を前にした先生の様に、綾子は満足げに頷き言った。

「私がいつ熊を撃ちに行くと言った? 今日は隣の山で鹿狩りだ。だからこの山で少しくらい音を立てても問題ない」

「そうか・・・・・・」

熊相手のダイナミックな狩りを期待していた僕は少しだけがっかりする。そんな落ち込む僕を、綾子が豪快に笑い飛ばす。

「そう気を落とすな。私は見ての通り怪我人だ。この状態ではとても奴等とはやりあえん。治ったら熊狩りには必ず連れていってやる」

「分かった」

渋々ながら頷く僕。綾子はよし、と言いリスの死骸を手にした。

「今からコイツをばらすからよく見ておけ。どの動物をばらすのも『基本』は同じ。いかにそれを早く掴めるか・・・・・・。それで決まるんだ」

「分かった」

僕は大きく頷いた。

「リスは身が小さいから難易度は高めだ。だが必ずモノにしろ。リスの毛皮は高く売れる。それ以上に木の実が主食なせいか身が美味い」

そう言いながらナイフを手に取り、綾子が解説を交えながら手際よくリスを解体していく。その手付きを目と心に焼き付ける僕。やがてものの十数分で、リスは毛皮と内臓、そして身と骨、四つのパーツに分解される。内臓は地中に埋めて、毛皮と骨は手拭いで軽く拭ってリュックに、肉は塩が沢山入っているビニール袋の中に放り込む。文字通り塩漬けだ。作業を終えたあたりで綾子と僕のお腹が同時に鳴った。なんとなく二人で笑い合う。一頻り笑ったあと、綾子が行った。

「飯にするか。腹が減った」

僕に異議のあろう筈がなかった。


二人で見張らしのいいところに行き、昼食にする。献立は竹皮に包まれた握り飯と熊の干肉だ。

「景色も飯も最高だ! 生きているって感じがするよ!」

塩気の効いた握り飯を頬張りながら、僕は眼前の大自然が織り成すスクリーンに感嘆の声を上げる。だが、隣から帰って来た反応は、僕の予想に反して冷ややかなものであった。

「私にはこの山々が生きている様には見えない」

自分の心情に共感を得られなかった場合、人は往々にして不機嫌になる。ご多分にもれず、僕もけんつくばった声で綾子にその心を問う。

「どこがだよ。この緑の大海原が君の目には映らないのかい?」

綾子は手にしたおにぎりの残りを口の中へと放り込み、それを水筒の水で胃の腑へと流し込んでぼそりと言った。

「ここにある木の大半は、国によって植林された針葉樹だ」

「それのどこがいけないんだよ。針葉樹でも木は木じゃないか」

はぁ、とわざとらしくため息をつく綾子。久々見るその仕草に、怒りを通り越して何やら懐かしさに近いものを覚える僕。そんな僕を前にして綾子はやや物憂げな口調で言う。

「針葉樹ってのはな、その混んだ枝で日照を食うんだ。結果、土壌を痩せさせ、周りの木枯れさせる。当然だろう、ミミズ一匹いない大地に草木など育つわけがない」

景色を見つめる綾子の横顔はどこか寂し気だ。そこに綾子の自然を愛する気持ちを感じ取ると同時に、己の無知を強く実感する。

(この話は疎かに聞いてはいけない)

僕は曲がった背筋を心持ち伸ばし、綾子に問う。

「何でそんな事になっちゃったんだ?」

「さあな。お役人が机の上で適当に決めたんじゃないか? 緑を増やそう、その為には早く育っ木を植えよう、よし針葉樹だ」

ふん、と一回鼻を鳴らして綾子は続けた。

「国の環境政策などこんなもんだ。形だけ。まるで実態を見ていない」

「・・・・・・」

自分の知らないところで森がどんどん殺されている。その事実は僕の心を静かに、だが確実に揺らした。綾子は二つ目の握り飯を口の中に放り込み、咀嚼と嚥下を済ませ再び語り始める。

「自然や獣との共存を謳って山を残そうとする。それはいい。しかしドングリをつける楢の木やブドウ、こくわのつる等の実のなる木を蔑ろにし、ただ早く育つのが取り柄の針葉樹ばかりもてはやしても全く意味がない」

「高い山があって木もあるけど、残っているのは針葉樹のみだと植生も変わってしまうんだね」

ようやく飲み込めてきた僕の言葉に、綾子は大きく頷いて言った。

「針葉樹がダメだという訳ではない。要はバランスだ。肉食動物、草食動物、実のなる気、ならない木、全てがバランスよく存在する事に自然の意義がある」

綾子の話を傾聴するより他ない僕。一体何が言える? 二十数年間の時を与えられながら、何一つ成し遂げた事がない僕に何を言えと?

「熊に限らず獣の暮らしに必要な自然林は植林で破壊されて、今山の恵みは目に見えて減って来ている」

綾子の口を通して知る自然の現状。その状況の厳しさが僕を暗澹たる気持ちにさせる。

「私は心配だ。大小の箱とかりそめの自然しかないこの国の未来が」

そう言って綾子は立ち上がり、全身の関節を伸ばし始める。僕も慌てて手にした肉を口の中に放り込む。

「早く食べろ。獸は待ってくれないぞ。手ぶらで帰るのは嫌だろう」

僕はまだ咀嚼しきれていない口中の熊肉を、無理やり飲み込んだ。


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