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第十幕

それから何となく僕と綾子の生活に役割分担の様なものが出来始める。

魚や果物、山菜の採取、そして水汲みは僕の仕事。肉の獲得は綾子の仕事。食事の前は物々交換の時間となる。当然ながら魚や果物が取れなかった日の晩餐は悲惨なものになる。肉を食らう綾子の前で、塩を肴に湯漬をかっこむという絵に描いた様な罰ゲーム.


ある日、いつものように鮎と水菜を取っていると、軽く足下がふらついた。慌てて近くの岩にしがみつき、深呼吸を繰り返す。意識がしっかりしてくるにつれて、頭が再び回り出す。

(魚だけじゃ食料事情は安定しない。僕の方でも肉を取る必要があるな)

狩りのやり方を学ぼうと、もう一度狩りに連れていってくれと言ったら

「私を飢え死にさせる気か」

とにべもなくはねつけられた。意地でも連れて行くつもりはないらしい。こちらの方は望み薄だ。頼むだけ無駄だろう。さて、どうしたものか。タンパク質タンパク質とうわごとのように呟きながら山道を歩く僕の目の端が、何やら細長いモノをとらえる。目を凝らすと、少し先にある木の枝に青白い蛇が巻き付いているのが見えた。

(コイツはツイている)

素早く木に接近し、蛇の尾を掴む。驚いて鎌首をもたげる蛇に構う事なく、そのままブンブンと振り回し、何度も辺りの木に叩きつける。完全にのびている蛇の頭をナイフで落とし、袋の中に入れる。思えば僕も逞しくなった。

(久しぶりの蛇肉だ。ミンチにしてハンバーグにしようか、それともシンプルに丸焼き?さっと茹でて生姜醤油で楽しむのもありだ)

今夜の献立を考えながらヤマモモ、フキ等を取り袋に入れる。

(少し数が減ってきたかな)

自然の恵みは僕だけの物じゃない。食い尽くさないように配慮しながら採ってはいるが、如何せん限界がある。

(採取場を変えるか。隣の山はどうだろうか?)

そう思いつつ川に向かう。その時何かの気配を感じて僕は辺りに気を張る。左前方の繁みの奥に何かを感じる。僕は自らの呼吸を細くし、忍び足で確かめに向かう。いた。鹿の親子だ。二頭で仲良く草を食べている。母親鹿が時々辺りを見回すが、幸い此方は風下の為、気付かれずにすんでいる。だが、これ以上は近づけない。流石に気づかれる。

(くそっ、弓でもあれば)

そう思った時、僕は手の中にある棒を見る。

(まてよ、これいけるかも)

僕は棒を母親鹿に目掛けて思いっきり投げつけた。空を鋭く引き裂いたそれは、狙いたがわず母親鹿の首筋に噛みつく。一鳴きして遁走を始める鹿の親子。その後ろ姿を見送りながら、僕は何となく手応えの様なものを感じていた。


それから食料調達の合間、僕は狩猟道具の作成に勤しんだ。手槍だ。幸いここは山の中、材料はそこいらに幾らでも転がっている。丁度良い長さの枝を採ってきて、先端を削り尖らせる。投げつけるのが目的だが、手で持って使う事も想定している。何本か作り投擲の練習をする。岩の上にモノを置き、少し離れたところから槍を投げつけ、それに当てる練習だ。最初は三メートルほど離れた位置から始め、慣れてくるに従って五メートル、七メートルと距離を広げる。最初は中々当たらず苦労するが、めげずにひたすら投げまくる。コントロールの身に付け方なぞ知りはしなかったので、ひたすら投げまくり、数をこなすことでコツを掴みにかかる。練習時間は山程あったので思い存分打ち込めた。


努力の甲斐あってか少しずつだが当たるようになってきた。ヒントは野球のピッチングだ。まず全身をリラックスさせる。そして後ろ足を使い体を前に送る。つまり慣性を発生させる。そこで前足を使っていきなり体にブレーキをかける。そうする事で行き場を無くしたエネルギーを腰の回転で上体に送り、肩、腕へと送り、あとはそのままそのエネルギーを手槍にのっけてやるだけだ。リリースポイントは極力先へ。ギリギリまで持っている方が命中率は多分高い。訓練を初めて数週間、七、八メートルの距離ならまず外さなくなってきた。そろそろ実戦で試してみるか、そう思っていたある日の事だった。


目覚めて真っ先に綾子の寝床を見る。そこには使われた形跡はない。

(おかしい。丸一日も留守にするなんて。何かあったのか?)

膨れ上がる不安が胸にのしかかる。綾子は基本外泊はしない。夜の山は危険だからだ。どんなに遅くとも夕方までには帰って来ていた。 そんな彼女が夜の山から戻ってこなかった。このイレギュラーな事態をどう捉えるべきか。

(何かあったに決まっている)

さて、どうするかと僕は暫く考える。捜索に行くのか放っておくのか。僕と綾子の間のルールは『自分の事は自分で』だ。なれ合い、助け合いの関係ではない。その趣旨に照らせば放っておくべきだろう。逆の立場なら、綾子は絶対に僕を助けに来ない。あの女が死ねばここのものは全て僕の所有物となる。悪くはない。悪くはないが・・・・・・。

「そう言う訳にもいかねぇよな」

そう呟いて僕は布団をはねのけ立ち上がった。どこかで獣の鳴き声がした。


綾子


(くっ・・・・・・ぬかった。私とした事が)

その頃綾子は洞窟で身を潜めていた。彼女の右太ももには大きな亀裂が走っており、その周りは赤黒い血で染まっている。狩りの最中、猪の奇襲を喰らったのだ。至近距離からの突進であったので、完全にはかわしきれずに、太ももを牙で抉られてしまった。威嚇射撃を繰り返して猪を追っ払い、半ば地を這いずる形でこの洞窟まで避難した。雨水によって岩石が削られて出来た洞窟で、その奥行きは四、五メートル程。身を隠すにはうってつけだ。辺り一帯や洞窟の奥に目をやり、獣の痕跡がない事をしっかりと確認する。熊の巣でキャンプなどして奴等の餌にでもなろうもんなら末代までの笑い者だ。じっくりと調べるも、食べ残しや糞などの使用中の痕跡はない。どうやら大丈夫なようだ、と安堵のため息をつき、さっそく洞窟の中へ身を潜めた。


銃を置き、一息ついたあと、弾丸から火薬を取り出し、傷口に振りかける。そして懐から手拭いを取り出し、猿轡の様にして口を固定する。そうやって舌の安全を確保してからマッチをする。棒の先でゆらりと揺れる火を前に深い深呼吸三回で覚悟を決め、太ももに撒いた火薬に火をつける。傷口からわき起こる炎。激痛が神経を走り抜け、脳髄を突き抜ける。声にならない悲鳴をあげつつ綾子は大きくのけ反り、そして数瞬後、意識を失った。


目が覚めた時、太陽は西へ沈もうとしていた。辺りを夜のとばりがじわじわと包み込んでいく。微かに残る日の光を頼りに傷口を見てみる。醜く焼けただれてはいるものの、幸いな事に化膿はしていない様だ。試しに足を少し動かしてみる。

(くうっ!)

凄まじい激痛が再びぶり返す。

(今夜一晩ここでじっとしていよう。明日になれば痛みも少しは引くだろう)

そう思って手持ちの薬草を傷口へと刷り込み、水と少しの干肉を口にして眠りについた。微睡の中、何故か生意気な同居人の顔が頭をよぎった。

(私の肉をつまみ食いしてなければよいが)

想像の中の北斗が、そんな事をするわけないだろう! と猛烈に抗議をしてきた。ムキになっている北斗の顔に妙な諧謔を感じたのか、フフッ、と自然と口元がほころぶ。面白い奴だと思う。軟弱ななりの割には意外と豪胆でもあり、何も出来ない都会人かと思えば意外と器用だ。こちらの予想に対して常に斜め上をいくところがなんとなく面白い。色々困らせてやりたくなる。

(次はどのようにしておちょくってやろうか)

そんな事を考えている内に足の痛みが和らいでくる。それに伴って訪れる睡魔。綾子は逆らわずそれに身を委ねた。


翌朝、足の痛みは少し引いていた。洞窟の壁に掴まりながら起き上がる。歩いてみるとやはり痛いが歩けない程じゃない。

(ゆっくりと、そして時々休憩を挟みながら進むなら何とかなるだろう)

安全装置をかけた銃を杖がわりにして歩き始めた。


十数分ほど歩いた時、綾子の耳が獣のうなり声をとらえる。

(チッ! 熊か。血の匂いに引かれたな)

綾子の傷口が発する血の匂いが、熊の興味を引いてしまったらしい。すかさず声がした方へと威嚇射撃を行う。炸裂音が山の空気を震わせ、それに驚いた鳥達が木から一斉に飛び立つ。

(どうだ?)

祈る様な気持ちで耳を澄ます。しかし、願い空しく耳を打つ足音は少しずつ大きくなっていく。先程から鼻についている獣臭も心なしかきつくなってきた。

(ダメか)

綾子は覚悟を決め、足音のする方に向けて猟銃を構える。彼我の距離はもう指呼の間といったところだ。綾子の額を、冷たい汗が数滴流れ落ちて行った。


北斗


(銃声?)

山の空気を切り裂く破裂音に、山道を行く僕の体が瞬時に引き締まった。

(良かった! 綾子まだ生きている。だが、やはり何かあったな)

僕は音のした方へと歩みを進めた。


綾子


「ガアアアアアアアァッ!」

「うおおおおおおおおおっ!」

綾子はいきり立つ熊を前にして、猟銃を構えて威嚇を行う。すぐにはかかって来ず、綾子の前をウロウロする熊。明らかに此方の隙を伺っている。

(此方が怪我をしているのを正確に把握。持久戦に持ち込み、弱るのを待つか。 まずいな、経験豊富な熊だ。手強い)

熊の大きさは二メートル程。一般的なサイズであり、コンディション、装備等が通常の状態ならば対処は十分可能なレベルだ。しかし現状はその逆。状況は圧倒的不利。一つの判断ミスが生死を分けるであろう。熊が四つ足で此方を伺っている。威嚇を繰り返すもかかってくる気配がない。熊のその様子から、綾子は自らの推測が正鵠を射ている事を確信した。

(参ったな、もうそんなに持たんぞ)

先程激しく動かしたせいか、足の痛みが耐えがたいものになっている。普通に立っているのも辛いくらいだ。

(マズイな。長期戦は不利だ。・・・・・・なるべく早く一撃で仕留めないと)

熊は引き続き綾子に張り付いているものの、かかってくる気配はない。明らかに綾子の体力の消耗と、それからくる焦りを待っている。

(残弾一発。外したら終わりだ。私は自然に還る事になる。当に乾坤一擲というやつだな)

産毛が逆立ち、肌がひりつく。口の中はカラカラで、背中を伝う汗に温もりなど欠片もない。だが、何故か心は高揚している。判断一つ間違えたら死ぬ状況にありながら、綾子は心のどこかでこの現状を楽しんでいた。

(どうする? 此方から行くか?)

一瞬引き金に添えた人差し指に力が入るも、海馬から蘇ってきた懐かしい声がそれを押し止める。

(我慢比べだ)

疲労で曲がっていた背筋が一瞬にして伸びた。人差し指がいつの間にか引き金から離れている。その声は綾子に渇を入れると同時に、彼女に過去の一場面を思い起こさせた。夜、祖父が囲炉裏の前で村田銃を手入れしている時、綾子は聞いたのだ。


「猟師にとって一番大事な事ってなに?」

祖父は即答した。

「我慢だ」

パーツに油をさしながら祖父は続けた。

「幾ら腕が良かろうが銃が良かろうが、これが無いものは良い猟師には成れん」

祖父は話ながらも無駄のない手つきで銃を素早く組み立て、その銃口で孫娘を捉える。その空洞が放つ禍々しさに気圧されて思わず息をのむ綾子。そんな孫娘に祖父は言った。

「覚えておけ綾子。猟とは我慢比べだ。獣のとのな。より深く我慢した方に山の神は微笑むんだ」


(いや、こう言う時は待ちに徹した方がいい。後の先だ)

そう決めて持久戦の構えを取る綾子。両軍共に『待ちの一手』 結果的に千日手の膠着状態に陥った。熊は相変わらず威嚇を繰り返しながら此方を伺っている。眉間や心臓部が大きく広がる度に引き金を押し込みそうになるも、その度にはやる心に必死に言い聞かせる。

(落ち着け。焦るな、焦った方が負けだ。必ず隙は出来る)

そう自分に言い聞かせ、『待ち』に徹する綾子。額から流れ落ちてくる汗が目に入らないよう瞼で払う。そんな綾子の目の前をウロウロする熊。綾子の足の痛みが刻一刻と酷くなってくる。

(マズイな。このままだと立っていられなくなる)

作戦を変更する。熊を挑発して攻撃させ、そこを討ち取る。それしかない。綾子はいきなり大声をあげた。

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

突然の大声にパニックを起こしたのか、熊は二本立ちになり、此方に無造作に接近してくる。

(額が開いた! 貰った!)

眉間に照準を合わせて引き金を押し込もうとした途端、視界が急落した。

(しまった! 足がもう・・・・・・)

綾子の姿勢を支えていた足が、彼女の意思とは無関係に崩れ落ちる。前のめりに倒れる綾子。そんな綾子に迫る熊。

(くそっ!)

それでも一縷の望みをかけて銃は放さない。急所さえ攻撃されなければ一矢報いるくらい

は出来るかも知れないからだ。

「グゥオアァァァァァァァァ!」

その時、空気を切り裂く音がして、いきなり熊がのけぞり、苦しみ始めた。見ると背中に木の棒の様な物が突き刺さっている。

「綾子! 無事か?」

「?!」

手槍を手にした北斗が草木をかきわけ此方に走ってくる。

「馬鹿! 来るな! 危ない! 逃げろ!」

綾子は叫ぶ。北斗はそれには返事する事なく見事な投擲で、更なる追撃を熊に叩き込む。槍は振り返った熊の腰付近に見事に突き刺さる。

「ウグオァァァァァァァァ!」

熊は身を捩らして苦悶の叫び声をあげると、槍を体に生やしたままその場から遁走した。銃を手に放心した様に女の子座りをしている綾子に近づき、北斗は言った。

「大丈夫か?」

綾子はただ頷く事しか出来なかった。


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