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第九幕

お世話になっております。お知らせです。


今年の投稿はこれで終了です。再開は年明け一月の中旬位を予定しております。これからも頑張って書きますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。



「ぶえっくしょん!」

自分のくしゃみで目を覚ます。寝ぼけ眼に映るはだけた寝間着に己のへそ。どうやら睡眠中に掛け布団を蹴飛ばしてしまったらしい。。よく風邪を引かなかったな、と思う。囲炉裏の側、火の側で寝たのが良かったのかもしれない。体を起こす。部屋の中はがらんとしていて囲炉裏には燃えかすがチロチロと燻っている。綾子はいない。この時間にいないという事は、多分狩りだろう。一緒に暮らし始めて二週間、大体彼女の行動パターンは把握している。因みに何度も狩りに連れていけと言ってはいるが、その度に

「邪魔」

の一言で却下される。狩りには興味がある。何とか参加したいのだが、どうしたものだろうか、と考えているとお腹が鳴る。何か腹に入れたいが、生憎と今手持ちの食料はない。いや、燻製肉などあるにはあるのだが、これらは全て綾子のものであって僕が口にする権利はない。食料は自給自足、腹が減れば自分の力で山から調達する。それが二人で決めたここでのルール。綾子の祖父が来ていた寝間着を脱ぎ、自分の服に着替える。水場で洗面を終え、食料を求めて小屋から出た僕を、抜けるような夏の青空が迎えてくれた。小屋にあったナイフと棒、そして小さな袋を手に、僕は森へと踏み込んだ。用心の為、木に小さな目印をつけながら森の奥へと進んでいく。風のせせらぎ、鳥の歌。それらを楽しみながら山道を一歩一歩丁寧に歩く。辺りは草木だらけであり、それらを手でかきわけないと前に進めない。足元も悪く、少しでも気を抜くと転倒しそうだ。決して愉快とは言えない状況にも関わらず、僕は山歩きを楽しんでいた。進むべきルートは森に聞けば教えてくれる。どんな難所に見えても必ず道はある。木への目印だけでなく、時々草同士を結び合わせる形の、即席の目印を作成しながら山道を進む。感覚が研ぎ澄まされているのか、辺りの小さな音や小動物か何かの気配、風と共に通り過ぎる匂い等全てを感じ取る事ができる。視界の外や背中など、目が届かない所の状況も把握できているような気がする。

「考えるな、感じろ」

ブルース・リーの名言が頭に浮かぶ。これが『感じる』ということか。深い森の中をただ一人、しかも軽装だが不安、恐怖などのネガティブなモノは一切感じず、ただただ自然に抱かれている安らぎ、安心感だけがある。

(凄いな。人間って五感を研ぎ澄ますとこんなにも世界が広がるのか)

五感をフル活動させないと生きて行けない山での生活に比べて、視覚とあと精々聴覚があれば生きていける都会の生活が急に下らないものに思える。ふと視線を上げると、木に赤い実と黒い実が実っているのが見えた。直径三センチから五センチくらいで小さな粒々の集合で成り立っている。美味しそうだな、と思うと同時に僕の体は勝手に動いていた。木にしがみつき、枝を上手く伝いながら登っていく。木登り、山では必須の基本技術だ。実を一つむしり取り、少量齧って舌先で転がしてみる。甘酸っぱい。けど美味しい。大丈夫、食べられそうだ。僕は実を次々とむしり取っては口の中に放り込む。美味い。この味覚を甘さで包みこむようなまろやかな感じは、味覚を殴り付ける事でしか甘さを刺激できない人工甘味料にはないものだ。心ゆくまで口に放り込み、その口福を味わう。今晩のデザートにする為袋に十数個放り込んでいる時に、ふと何かの気配を感じた。そちらに目をやると、赤と青からなる、鮮やかな色彩の山鳥がすぐ側の枝に止まって僕を見ている。その真摯な視線から、僕はすぐに自らの過ちに気づく。

「あ、ごめん。お前も食べたいんだな」

そう鳥に詫びて、取るのをやめて木から降りる。見上げると山鳥が嬉しそうに実をついばんでいた。それから暫く山の中を散策し、幾つか食べられそうな果物を見つけては袋に入れた。お陰で袋は一杯になった。

(果物だけじゃな。たんぱく質が欲しいけど、今の装備じゃ無理だよな)

肉は綾子が山ほど持っているが、頼んでもくれるような女じゃない。それはこの二週間の同棲で骨身にしみている。何度か力で強奪しようとしたが、いかんせんまだ体術は向こうの方が上だ。いいところまではいくも、成功した試しは無い。三年後ならともかく、今のところ彼女から肉を奪うのは無理だろう。あとは盗むか頭下げるしかないが、両方やりたくない。だとすると、残った手段は一つしかない。

(物々交換なら可能性はある)

果物と肉のトレードを申し込むのだ。何分がめつい女だ。厳しい交渉になるだろうが一度は成功しているのだ。十分可能性はあるし、何より取引なら僕のプライドは痛まない。そろそろ帰ろうか、と思った時、感覚がまた何かを捉えた。

(これは・・・・・・せせらぎ?)

近くに川があるのかもしれない。僕は音を辿って山道を歩く。草木を掻き分けて歩くこと五分程、僕の目の前に渓流が広がる。どこまでも澄んだ水が奏でる透き通った音色が、火照った体に心地いい。

(ありがたい)

僕は服を全て脱ぎ捨てて、川に飛び込んだ。塩素もカルキもない水に抱かれて暫く水面を漂う。軽く潜ると数匹の魚が見えた。鮎か岩魚だろうか? 都会育ちだから魚の種類など分からない。スマホで検索すれば一発だが、生憎とこの辺りは圏外だ。まぁ、これらの名前などはどうでもいい。僕が知りたいのは一点だけ。食べられるかどうかだ。答えを求めて水面を彷徨う僕の目が、あるものを捉える。

苔だ。水中至る所で転がる岩の表面に、びっしりと付着している。

(苔は綺麗な水の中でしか出来ないと聞いた事がある。そんな綺麗な環境で育った魚が食べられない筈がない。捕ってみるか)

肉ほどではないにしても、魚も良質なタンパク源だ。定期的に捕獲できるならば、栄養状態は一気に改善する。だが、生憎と水の中を泳ぐ魚を手掴みで取るスキルは持ち合わせてはいない。何か方法はないか・・・・・・。ふと川原の石に目が行く。その時僕の頭に天啓が閃く。この前ユーチューブの動画で見た方法が頭に浮かんだのだ。僕の目線が川の上を走る。・・・・・・あった! 僕は一度川から上がり、河原から少し大きめの石を調達して再び川へと入る。下半身を通して全身へと広がるひんやりとした感覚が心地よい。僕は川の中央付近まで行く。そこにはほぼ水没している大きめの石があり、その頭頂部だけが僅かに水中からその姿を覗かせている。その前に立ち、手にした石を振り上げて、それを思いっきり頭頂部にめがけて叩きつける! カーンとゴーンを足して二で割ったような音が辺りに響く。引き続き、何度も何度も打ち付ける。暫くすると水面に何かが浮かび上がってきた。魚だ。石と石のぶつかり合いで出来た音が水面下で荒れ狂い、それが魚の意識を奪ったのだ。僕は嬉々として浮いている魚を回収していく。しめて八匹だ。それらを一旦川原に置く。地面にあげられた魚達は苦しそうにエラをひくつかせている。僕は一旦森の中へと戻り、少し長めの枝を取ってくる。そしてそれに魚を次々と通していく。出来上がった魚串と袋を手にして僕は言った。

「大漁大漁!」

目印を辿って戻った小屋には誰もいなかった。同居人は留守らしい。水瓶の水で咽喉を潤したあと、空いている盥に果物を入れ、そこに水を入れる。十分に冷やすためだ。その後魚の調理にかかる。ここにきて二週間、ある程度包丁を振るえる様にはなったが、まだ魚を上手に捌く域には達していない。携帯している包丁を取り出し、まだぎこちなさが残る手で魚のエラを取り、腹を裂き、そして内臓を取り出しにかかる。一匹目とニ匹目は取り出す最中に内臓を傷つけダメにしてしまう。三匹目で何とかコツを掴み、四匹目以降はしくじる事なく上手く捌く事に成功する。

「また一つ出来る事が増えたな」

こみ上げてきた達成感が言葉となり、自然と口の端に上る。自分はこの年まで魚一匹捌けなかったのだ。赤ん坊といわれても仕方ないだろう。それにしても、と魚の身に串を通しながら思う。生きる為の方法を学ぶ事は何て楽しいのだろう。紙の上の学びにはない充実感がある。きっと体も知っているのであろう。サインコサインと魚を自力で捌く技術、生きる上でどちらが大事か。五匹の魚全てに串を通した辺りで扉が開く。綾子が帰ってきたのだ。不猟だったのか銃以外何も手にしていない。見るからに不機嫌そうだ。僕の周りにあるものを見て少し驚いた顔をする。僕は少しだけ優越感に浸りながら言った。

「火を熾したいんだけどいいかな」

「勝手にしろ」

そう言い残して再び外に出る綾子。水浴びにでもいくのかもしれない。僕は火を熾しにかかる。この二週間、綾子が毎日やっていたのを見ていたので大体勝手は分かる。大分手間取ったものの、何とか竈に火を起こす事に成功する。その火を囲炉裏にも移し、早速先程作った魚串をくべていく。ジジジ、と身が焼けてくるに従って、部屋の空気が香ばしいものへと変わってゆく。魚が焼けるまでの間、食前のデザートとばかりに果物を頬張る。そこに綾子が肉の塊を手に部屋へと入ってくる。台所で手早く肉を切り、串に刺して此方に持ってくる。それらを次々と囲炉裏にくべていく綾子。囲炉裏を彩る肉と魚の林。一言で言うなら魚林肉林だ。作業を終えて此方をじっと見てくる綾子。いつもの様に褌一丁で豊かな乳房が丸見えだが、大した感動はない。ライオン(雌)の裸を見て興奮する人間はいるだろうか? そんな事を考えながら焼きあがるのを待っている僕に、綾子が声をかけてきた。

「岩魚を採ってきたか。よく採れたもんだ。それと果物、ヤマグワとヤマモモか。両方とも美味そうだな」

舌なめずりする綾子。そんな彼女を前にして、、わざとらし大きな咀嚼音をたてる僕。この二週間の間、この女とはこんなやりとりを繰り返している。

「うめぇぞこれ。このまろやかな甘味、こたえられん」

僕の見せつける様な食いっぷりが気に入らなかったのか、綾子が瞳に険しいものを浮かぶ。

「よこせ」

「断る。だが物々交換なら考えてやらんでもない」

自然な形で取引に持ち込めた。上手くやらないと。やはりメインディッシュは魚よりは肉がいい。

ふん、と綾子は軽く鼻を鳴らし言った。

「分かった。肉を一串やるから魚二串よこせ」

はっ、と僕は綾子の提案を鼻で笑ってやる。交渉は始めが肝心。初手は強気に行くのがベストだ。

「馬鹿を言うな。何だそのふざけたレートは。物事は等価交換が原則だ。肉一串につき魚一串。これは譲らない」

僕の主張に対し、全くもって話にならん、と言わんばかりに綾子が首を振る。

「肉と魚では身の量が違うだろうが。魚の方が身が少ない以上、肉一串につき魚二串分。これで等価だ」

チチチ、と僕は舌を鳴らしつつ人差し指を立てて左右に数度降る。

「お前の理屈は筋が通っている様にも聞こえるが、実際のところ違う。一点大事なポイントが抜け落ちている」

「なんだそのポイントとか言うやつは」

イラついてきたのか、綾子の声が一段低くなる。こいつの機嫌など知ったこっちゃないので、僕は今までと同じ、いや、それ以上のテンションでこの生意気な女をねじ伏せにかかる。

「希少性だ! 今この家に肉はわんさかある。ここや倉庫にな。だが魚はどうだ?」

うっ、と言葉につまる綾子。僕の言わんとしている事を推測したのかもしれない。だとしたらこの女は地頭は悪くない。綾子の怯みに乗じて一気に畳み掛ける僕。

「今この家にある魚はこの五匹のみだ。肉と比べて遥かにその絶対量は少ない。つまりこの場では肉より価値があるという事だ。分かるよな、この理屈」

僕の言に対し、綾子からの反応はない。何を考えているのか気になるも、表情を消されている為その内心は窺えない。少々不気味だが、取り合えず今はいくだけだ。何かあったらそん時に考えればいい、そう思い、僕は綾子に結論を叩きつけてやる。

「以上から、この場では魚の方が有利なレートになるのは至極当然。魚串一本につき肉串二本。これがダメなら取引不成立だ」

綾子は視線を上に向け無言で何かを考えている。どうせろくでもない事だろう。もう二週間、同じ屋根の下で暮らしているのだ。この女が何を考えているか、何となくだが推測つく様にはなってきている。

(さて、どう出る?)

向こうの出方を探る為に、あえて魚串に手を伸ばしてみたところ、目の前に何かが突きつけられた。鈍色に光る狂暴な輝き。銃口が息のかかる間合いで僕を覗き込んでいる。やっぱりな、と僕は内心で嘆息する。交渉のテーブルで武器をチラつかせて己の意を通す。当に野蛮人の所業。まぁ、この女らしいと言えばらしいが。

「お前の理屈なぞ知った事か。いいからそこにある魚串と果物を全部よこせ。代わりに肉串を三本やる」

対価を寄越すあたり、まだ猿よりマシなのかな、と思いつつ、僕はため息で言葉を紡ぐ。

「お前さぁ、もうちょっとこう、なんつーか、品性とか良識ってやつをさ」

呆れ顔の僕の抗議なぞ歯牙にもかけず、綾子はいつもの様に己の意志を貫き通す。

「コイツにモノを言わせて根こそぎ強奪してやってもいいんだぞ。だがそれだとお前が可哀想だから取引という形にしてやっているんだ。感謝しろ」

感謝しろと来たか。身勝手もここまで貫けばいっそ清々しいな、と乾いた笑いを口元に浮かべ、僕は言った。

「嫌だと言ったら?」

「言ってみたらどうだ? すぐに分かる」

そう言って綾子が手にした銃口で僕の頭を小突く。その行為に挑発的なものを感じ取り、自然と僕の眼差しも鋭くなる。

「下手なハッタリだな」

撃てる訳がない。ここは日本であり、アメリカやサバンナじゃないんだ。

「何故そう思う?」

虚勢混じりの僕の突っ張りを、鼻で笑う綾子。この女まさか、と頬を引きつらせる僕に、綾子が言う。

「ここは山奥だ。死体の処理には事欠かん」

一旦言葉を切り、綾子が銃口で再び僕の頭を小突く。そのやりように言い様の無い屈辱を覚えて女を睨みつけるものの、一回目とは違い余裕がない為か目ん玉に力が入らない。

「僕を撃ったら流石に警察が来るぞ」

公権力を活用した僕のブラフ、理性や良識を兼ね備えた人物には効果的だろう。しかし残念ながら目の前の女は、それらとは対極の世界で生きている野蛮人。ニタリと頬を歪ませ、僕のブラフをキャッチする綾子。

「お前を殺し、死体を警察の目にも届かない山奥に捨てる。後は獣が勝手に処理してくれる。そして警察にはそんな人来ていません、と言えば事足りる。山で遭難したと処理されるだろう」

「・・・・・・」

綾子の説得力溢れる言葉に黙るより他ない僕。

ここは都会じゃない。山奥だ。そして警察官全員がサバイバル技術に精通している訳ではない。この大自然の中という特殊な状況と相手の無知に付け込めば、綾子は僕を殺しても罪から逃れる事は可能なのかもしれない。真意を求め、綾子の瞳へと向かった僕の目が、そこに揺るぎないものを感じ取ってしまう。

(本気か? これ以上突っ張ったら本当に撃たれるのか?)

ハッタリだと信じたい。だが、この女の常識と僕達文明人の常識には結構なズレがある。絶対に撃たないとは言い切れない。その時、引き金にかかっている綾子の指が小さく動いた。僕の背筋が凍りつく。

(マズイ! この女ハッタリじゃない)

本能的に危機を感じ取った僕は、考えるより先に白旗を掲げる。

「分かった! その条件でいい。だから撃つな」

綾子の引き金にかかった指が止まる。彼女は銃を下ろし一言言った。

「いい判断だ。命拾いしたな」

そう言って銃を傍らに置き、祈りの言葉の後、魚串を手に取り頭からバリバリ食べ始めた。品の無いその食べ方に眉をしかめつつ、僕は戦慄を覚えていた。

(この女、本気で撃つ気だったのか)


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