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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

毒桔梗の花畑

作者: リル。

誰が何と言おうとこれは純愛ものです。

歓声があった。

 それは装飾用に用意された花の花弁とともに蒼穹へと舞い上がり、止めどなく城下街を震わせていた。

 まるで秋の収穫祭並み――いや、それ以上か。

 「物凄いですねぇ、ヴィレム様」

 「まったくだよ、はあ。にしても用意は速すぎると思うけどね……」

 つまるところ、魔王を討伐した勇者のパーティーの凱旋だった。

 中には泣き崩れる者までいる人垣が割れた道を、さながらモーセみたいな気分で私たちは歩いていた。

 魔王。

 随分とちゃっちいフレーズだが、その脅威は馬鹿にならない。

 現在確認されているだけでも十五体。しかもその一体一体が一国を余裕で滅ぼせる規模の危険性を孕んでいるのだから恐ろしい。

 それをたったの二人パーティで討伐した私――『魔法使い』のミランダは、しかし湧き上がる大音声に怯えながら、愛用の魔杖を胸に抱え前を歩く勇者の後ろについていっている最中だった。

 魔王を討伐するというのは何も珍しい話ではない。

 それが持つ武力を鑑みれば随分と簡単に矛盾するような事実だが、今までに五十体以上の魔王が湧き、そしてその半数以上の魔王は実際に死んでいる。

 ただ、討伐作戦を実行するなら戦争レベルの戦力が必要だというだけで。

 結局のところ、自分で言うのも何だが『二人』などというトチ狂ったパーティ人数で勝ってしまったというのが問題なのであった。

 そして私の目の前をたった今歩いている、プレートアーマーを着た灰燼色の髪の『勇者』がヴィレム・クラメル。

 私の唯一のパーティーメンバーにして、私の想い人。

 魔法使いだししかも魔女だし身長低いしそこそこルックスも恵まれてるし髪綺麗だし割と可愛い魔女服だし三角帽も被ってるのに私のことを十七歳だから、なんて理由で振り向いてくれないのが難点だけれど。



「おっなかすきましたぁー‼︎」

「旅の道中は干し肉とそこらへんのよくわからない草だけだったからね……」

路地裏だった。

本来であればあのまま城へと直行し王に報告するところではあったが、悲しいことにいかんせん腹の虫が鳴り止まない。

ということで私たちはお祭り騒ぎへと繰り出すことに決めた。もちろん正体を曝け出したまま行くと大騒ぎになるので外套で身分を隠して。

魔王の一角を葬ったのだし、別に一日くらい報告が遅れても文句を言われる筋合いはないだろう。

「いや、まあ、あんっっなに苦労した魔王討伐の祝杯がそこらへんの屋台っていうのもちょっとアレなんですけどね」

「我ながら随分安い勇者だ」

 ヴィレム様は苦笑した。

 欲を言うのなら個室完備の部屋で二人きりの時間を楽しみたかったのだが、一番尽力したヴィレム様がそう言うのなら私もそれでよかった。

 それに――――

 「久々に二人でイチャつけますね。ねえ、ヴィレム様?」

 「……いや、今まで散々二人きりだったでしょ」

 腕を絡ませようとする私と必死に抵抗するヴィレム様。でも結局根負けしたヴィレム様が腕を差し出してくるのがお決まりだ。私はそれに腕どころか体ごと抱きつくようにして身を寄せる。

 「ほらほらぁ、お忍びデートですよ? 楽しまなきゃ損でしょ」

 「いつから僕はミランダの彼氏になったのかなぁ……?」

 「いやいや彼氏じゃないです、最早婚約者です!」

 「もういるって」

 「だったらその女殺します」

 「……いや、本当だよ?」

 「……はっ‼︎ これはまさか私への遠回しな告白⁉︎」

 「貴族時代からの許嫁です。深い意味も何もありません、はい」

 「えぇー」

 ちなみにもう何回も聞いた話である。

 だからといってスキンシップを減らそうとは思わないが。

 「っと、そろそろ人も増えてきましたね。何食べます?」

 「うーん。僕はミランダと同じものでいいかな。お金渡すから、好きなもの買ってきてよ」

 「解りました。でもゲテモノ買ってきても文句言わないでくださいよ?」悪戯っぽく笑いながら、私は言う。

 対するヴィレム様は困ったように頭を掻きながら、

 「えと……お手柔らかに」

 「冗談ですよ。それとも本当にそうします? 私は構いませんけど」

 「勘弁してください」

 冒険していた頃にとにかく食べ物がなかったせいで色々なものを恐る恐る食べていたのはいい思い出だ。ちなみに超確率でお腹を壊すので極力食べないことを個人的にはお勧めしたい。そのせいで私たちは基本的に何を食べても平気なのだが。

 絡ませた腕を引き、

 「なら一緒に回りましょう。行儀が悪い方が美味しく感じるものです」

 「否定はしないよ」

 それからはよく覚えていない。とにかく遊んで遊んで遊んで遊んで、今までの辛かった旅の鬱憤を晴らすように遊びまくった。

 立ち食いに古物商、御札の露店、アクセサリにその他色々の雑貨屋、的当て射的魔魚釣りエトセトラ。

 気がついた時にはもう空は茜色に染まっていて、私たちは住宅街のはずれ、古城の石垣跡に並んで腰掛けていた。

 春にしては少し肌寒い風の温度感が丁度良く、気持ちがいい。

 ここなら誰もいない。二人きりで何も隠さずに話せる。

 「ここを出てからもう三年ですか。……時間が経つのは早いですね」

 「帰ってきたって感じするよね。最初は右も左も解らなかった小娘ちゃんが、こんなに大きくなって」

 「小娘って何ですか」

 だが思い返してみれば、最初にヴィレム様と出会ったのは十四歳のとき。あのときの私は魔法なんてほとんど使えなくて、ただただ憧れだけで偶然見かけたヴィレム様に声をかけて無理矢理パーティーに入れてもらった記憶がある。

 浮かせた足をぶらぶら揺らしながら、

 「いやはや、ようやっと等身大の人間に戻ったって感覚ですよ。気を張っていなくていいっていうのはやっぱり楽ですね」

 「後悔してる?」

 「まさか。自分で選んだ道ですし、それに――ヴィレム様と旅ができましたから。私としてはそれだけで満足ですよ。まあ、熱病に罹ったときとか揃って死にかけたときとか私の腕が千切れかけたときとかは流石にこたえましたけれども」

 「それほぼ僕の話でしょ」

 「腕が千切れかけたのは私もありますよ」

 石垣に突く手と手が重なる。

 ごつごつとした、私より一回りも二回りも大きい傷だらけの手。

 距離感が近い。ほぼ肩が密着している距離だ。

 視線が交錯する。その線をなぞるように、私は顔を近づけていく。

 そして、唇を――――――

 「はいはいそこまで」

 「にぅー」

 重ねようとした直前、ヴィレム様の手が邪魔をした。顔と顔を遮って、視線を断絶する。しょうがないから手の平にキスをするだけにしておいた。

 「僕には婚約者がいるんだってば」

 「むぅ、欲求不満ですストレスですパワハラですぅー!」

 「伝言ゲーム式の曲解しないの」

 言いつつ、ヴィレム様は優に五メートル以上距離があるであろう地面へと飛び降りた。私にそんな耐久力はないので空気を凝固させ、見えない階段を歩いて下りる。

 「さて、じゃあ今日はここで解散かな。僕はちょっと婚約者の家、というか実家に顔を出さなくちゃいけないし」

 「惰性的ですねぇ。もういっそ――私とこのまま逃げちゃいます?」

 ごくごく自然に、私はヴィレム様の首に腕を回す。そのまま顔を寄せ、耳元で蠱惑的な提案をしてみる。

 そうなれば、どれだけ幸せだっただろうか。

 けれどヴィレム様は私を優しく引き剥がし、

 「残念ながら、それはちょっと嫌だね。何しろ僕は彼女のことを紛れもなく愛している。裏切るわけにはいかないよ」

 「……『愛している』?」

 瞬間、私は魔杖をプレートアーマーに突きつけていた。

 自分の中の何かが切れる音。酷く冷めた目で見据える。

 「ヴィレム様、本当に? 心の底から? 神に誓って? それならもう二度とその言葉を私の前で発さないでください。その女、本当に殺したくなってきます」

 じくりとした痛みが心に走る。けれどそれを軽く凌駕するのが、何にも変え難い優越感。

 ああ、私は今、最愛の人の命を握っている。

 ヴィレム様は――私のものだ。

 妖艶に、狂気じみて、それでいて私は純朴に笑う。

 「世界であなたを一番愛しているのは私です」

 それが紛れもない事実であり、現実だ。



 「さて、と」

 愛の告白も虚しく、結局ヴィレム様は婚約者のところに向かってしまった。

 先ほどと同じ石垣に再び腰かけながら、私はヴィレム様を尾行していた。

 といっても原始的に後を尾ける訳ではなく、魔法でだ。魔法使いなのだから魔法を使わないと損である。

 集合的無意識から少々強引に逆探知し、ヴィレム様の視界に強制アクセス。普通だったらここで対象の視界は奪われた分だけ塞がれてしまうのだが、私の場合は常時コピーアンドペーストしているようなものなので問題はない。

 「……よし」

 難なくハッキングは成功。

 片目を閉じてしまえばもう、完全にヴィレム様の視界だ。

 暗くなりそろそろお祭り騒ぎも収まりつつある表通り。視界の端に映る赤薔薇の花束はプレゼントするためのものだろうか。妬ましい。

 「ちぇっ。いいですよいいですよー。どうせ私は第二の女ですよーだ」

 聞こえているはずないのに、私は思わず大声で言ってしまった。これは我ながら思ったよりも重症そうである。別に反省する気はないが。

 石畳の通りを随分と歩き、周囲の住宅の住民層のグレードが二つか三つほど上がったところでヴィレム様は足を止めた。

 目の前にあるのは、人口飽和状態のこの城下町にしてはとてつもなく珍しい屋敷。二階どころか三階まで窓がぎっしりと並ぶ外壁の手前には噴水まである芝の生い茂った庭があり、大通りとは格子状の鉄門で隔絶されている。

 「うわぁ」

 ごくごく普通のザ・一般家庭に生まれた私からすれば、そこはもう異世界と呼んでも差し支えなかった。

 呻きとも歓声ともとれない微妙な声を洩らしながら、しかし私の意思とは関係なしに視点はどんどんと敷地で歩を進めていく。どういう原理で動いているのか解らない噴水を横切り、両開きの高級そうな木扉のノッカーを叩く。

 『誰か。おい、誰でもいい。僕だ。開けてくれ』

 無理矢理視点を垣間見ているせいでノイズがかって聞こえるヴィレム様の声に、しかし反応する者はいなかった。

 まだ夜も更けない時間帯。しかも街もお祭り騒ぎからまだ完全に覚めやらないような様相を醸している状況である。誰も起きていないというのは明らかにおかしい。跡取り息子が三年ぶりに帰ってきたというのなら尚更。

 『……おい?』

 私と同じことを考えたのだろう。わずかに懐疑感を孕ませた声で半ば独りごちるように呟き、ドアのノッカーを再度強く打ち付ける。

 反応はなかった。

 代わりに、鍵の掛かっていなかった扉がぎぃ、と軋む音を伴いながら偶然と少しだけ開いた。

 「こりゃグロかエロか、どっちでしょう?」

 別に私としてはヴィレム様が死ななければどっちでもいい。ただしどっちにしても面白いことになりそうだった。

 視界を乗っ取る少女が口元に凄惨な笑みを刻んでいることなど露知らず、ヴィレム様は蝋燭一つ灯っていない屋敷内に足を踏み入れる。

 『おーい?』

 玄関から入ってすぐの場所に置かれたカンテラにマッチで火を灯し、簡易照明を手に入れたヴィレム様はさながら曰く付きの廃墟でも探索するように慎重に歩を進めていく。自分の家なので、第三者視点から見てこれほど滑稽なことはないだろうが。

 屋敷には人どころか鼠一匹いなかった。

 探索の中途、灯し続けた燭台の蝋燭がふらふらと燃えている。十分とは言えないが、視界を確保するには足りる光量。

 ヴィレム様は溜め息を一つ吐くと、未だ暗闇の帷に覆われた二階へと視線をやった。

 ぎいぎいと一段一段が軋む。まるで壊れたピアノの鍵盤の上を歩いているような錯覚に襲われる階段を登っている最中、踊り場に巨大な硝子窓が現れる。

 今夜は雲ひとつない。青白い月光が芒、と頭上の二階を淡く照らしていた。

 直感というのは存在する。少なくとも曖昧なその存在に、私は旅の道中何回も命を救われてきた。

 その私から言わせてもらえば――これは「嫌な感じ」がした。

 言葉にできない、漠然とした不安感。ふとしたときに家の鍵をかけたか不安になるような、そんな感覚。

 絶望のぬるま湯のような。

 ぎいぎい、ぎしぎし。

 軋みは止まない。

 一段一段を噛み締めるように登っていたヴィレム様だけれど、ついに長い階段を上りきって、二階に一歩踏み出す。

 二階はどうやら間取りから推測するに、寝室がまとまったフロアらしい。

 片や月光を通路に落とす窓が並ぶ壁。片や寝室が並ぶ扉の列。

 薄暗いその通路を、ヴィレム様は迷いのない足取りで進んでいった。

 一番奥。設えられた金属のネームプレートにヴァイオレットと刻まれた扉の前で、移動は終わった。

 『………………』

 ノックをしようとして躊躇いがちに伸ばされた手は、しかし力を失ってだらりと垂れる。

 いないと思っていたのか、それとも痴行を悟っていたのか。

 目を奪うことはできても心を読むことはできない私には解らなかった。

 ドアノブを回して、不意にヴィレム様は内部に這入った。

 『きゃっ⁉︎』

 悲鳴。

 突然の来訪者に驚き怯える、その類の。

 果たして。

 天蓋付きの豪奢なベッドの上では、一組の男女が交じわり合っていた。

 『……………ヴァイオレット』

 低い低い、嗄れた囁きだった。

 恨みを遺して逝った亡者のような。

 『ヴィレム⁉︎ 急に、いや、なんで、こんなところに、』

 『ここは――僕の家だ』

 楽しく一戦やっていた二人は、唐突な侵入の驚愕に、凍ったように動きを止める。

 ヴァイオレットとは、ヴィレム様の婚約者の名前。

 つまるところ、不倫だった。

 「よっっっっっっっっし‼︎」

 私はその事実を端的に認識した瞬間に、思わず叫び声を上げていた。

 視界のハッキングが解けたことさえも気にしないまま、飛び降りてそのまま宙で踊る。

 ステップを踏むたび、星屑が足元に咲く。

 これで邪魔者は消えた。

 ヴィレム様は誰が何と言おうと私のものだ。

 死ぬまで愛そう。

 死んでからも愛そう。

 死ぬまで愛してもらおう。

 死んでからも愛してもらおう。

 いつまでも一緒でどこまでも一緒で何のためでも一緒でいよう。

 そうしよう。

 そうじゃないと、私の人生は自殺だけにしか価値がなくなってしまう。



 「ふんふふーん」

 鼻歌まじりに、私は宿への道をスキップで歩いていた。

 これは運命だ。

 神様がこの番でないといけないと決めたのだ。

 あとはヴィレム様から最後の言葉をもらうだけ。

 『ミランダ只一人を』愛している、というロープで縛ってもらうだけ。

 それを了承してロープで私ごと雁字搦めにするだけ。

 それが私の幸せであり、私からの愛だ。

 と。

 そのとき、ふと結界の探知に何かが引っかかった。

 「……?」

 私は常時自分を中心とした結界の探知網を張っている。それにたった今、何かが侵入した。

 まだ城下街の探知範囲には入っていない。しかし、この反応はかなり不味い。個々の存在の強固さもさることながら、数が尋常じゃない。数千――あるいは数万単位まで下手したら行く。

 明らかにこの城下街の壊滅危機だ。

 「これは……赤竜?」

 赤竜というのはこの国の北部に位置する山岳地帯に生息する種族である。

 普段だったら生息に適している雪山から出てこない引きこもりモンスターだが、なぜこんな数が、しかも一気に。

 「…………産卵期、か」

 自問自答も甚だしいが、顎に手を添えて考えているうちに答えが出た。

 赤竜は数年に一度、全雌個体が一斉に産卵期に入るという特徴がある。

 普段だったらこちらから攻撃しない限り敵対してこない種族ではあるが、産卵期に限っては気性が大きく変貌し、攻撃的で非常に危険な魔物と化す。

 おそらく産卵期に魔王討伐の影響が重なったのだろう。

 魔王はその存在自体が世界という天秤の錘のようなものである。故に一角が消えるだけで世界の魔力が大きく乱れ、魔物のパワーバランスが不安定になる。詳細は解らないが、住処を奪われて逃げてきた先が偶然この城下街だった――とか、そこらの理由だろう。

 街の外周部には防壁が築かれており衛兵も二十四時間体制で見張りをしているが、正直空を飛ぶ種族に障害物を用意しても意味がないし、はっきり言って衛兵は弱いので、百人集まろうが赤竜の前方に立とうとすることすらおこがましいレベルである。

 しかしながら、別に私たちからすればこの城下街が壊滅させられようがどうでもいい訳で。助ける理由はあっても義理はない。

 さっさとヴィレム様と逃げる用意をしよう――と、宿に向かう足を早めたところで私はとあることにはたと気づいた。

 赤竜の群れが防壁に到達した時点で、いやそれ以前に探知した時点で、衛兵たちは彼らに倒せることのできる相手ではないと理解するだろう。彼らは無能であっても馬鹿ではない。

 となると彼らはどうするか――解りきっている。今この街には都合よく、魔王を討ち取った勇者様が滞在している。

 その勇者様に倒してもらおう――そう考えるだろう。

 もちろんヴィレム様がたかだか赤竜レベルの魔物に今更負けるなんてことは考えていない。けれど今、ヴィレム様は自身の信頼を裏切られて心がズタボロの状態だ。そんなのがまともに戦えるはずがない。戦場に赴いたとしても集中できずに殺されるのがオチだ。

 けれどあの人は、それでも行くのだろう。

 何と言ったって、『勇者』なのだから。

 私はしばしの間逡巡したが、意を決すると、盛大な溜め息を吐いて、

 「……はあ。もう、まったくもって世話の焼ける」

 誰ともなしに呟いて、不意に、私は目前の空気を凝固させ、連結させる。

 そうして出来上がった見えない階段を駆け上がる。

 高く、高く、どこまでも。全てを見下ろせる位置まで。

 夜空が近い。星の輝きがよく見える。

 何回も宙を蹴り飛ばして――上がる、上がる。

 「ふう、ここら辺でいいでしょう」

 上から見れば、絶望的な状況がはっきりと見えた。

 一体一体がそこらへんの民家よりも大きい赤竜が物凄い物量と勢いで、まるで押し寄せる津波のように、防波堤へと恐ろしいスピードで距離を詰めている。

 私は愛用の魔女帽のつばを掴んで目深に被りなおした。

 年季の入った魔杖を両手で正眼に握り、目を瞑って集中する。

 ほぼヴィレム様のおかげとはいえ――魔王討伐パーティの魔法使いという肩書きは伊達ではない。街の陥落を防ぐなんて些事、私からすれば道の石を蹴っ飛ばすようなものだ。

 「私の時間を奪った罪は重いですよ」

 ぽつん、と、紺碧の暗闇に一つだけ、白色の魔法陣が浮かび上がった。

 まるで海に浮かぶ遭難者みたいに。

 しかし一つ、また一つと、魔法陣の数は増えていく。それどころではない。二つの次は四つ。四つの次は八つ。加速度的に増えていく白色の輝きが、夜空を埋め尽くしていく。

 それは人ならざる所業。

 少なくとも正攻法では無理な、技量限界の一歩先。

 全方位同時一斉射撃。弾数は無限。

 今更、雑魚になんてかまってられない。

 「刺し殺しです。骸すら遺させてあげませんから」

 私は息を短く吸った。

 「――――――」

 それはどこかで発せられた、世界に対しての号令。

 直後、極大数の貫通力は一斉に弦から解き放たれた。

 音はない。

 光もない。

 ただそうあるべき事実だけをそれは世界に残す。

 一匹の例外すら許さず、赤竜の群れは貫通力に穿たれ、着弾時の衝撃力によって跡形もなく消し飛ばされていた。

 

 

 「失礼します」

 木扉をノックし、部屋の中に入って扉を閉めたところでやっと返事が。

 「……ミランダか」

 「ええ。これ以上ないほど私は私です」

ヴィレム様はベッドに腰掛け、やつれた様子でひどく項垂れていた。

 婚約者が不倫していた挙句、その現場をまざまざと見せつけられたのだから当然といえば当然なのだが。

 「えと……隣、失礼しますね」

 私はヴィレム様と肩が触れ合うか触れ合わないかくらいの距離に座った。

 薄いネグリジェ一枚。しかし格好にヴィレム様の目はいかない。

 「婚約者さんのことは……正直、残念と言う他にありません。ヴィレム様は何も悪くないです。だから、あまり気に病まないでください」

 「……残念、か。本当に残念だよ。何年も一緒に暮らしてきて、あの女の本性にも気づけないまま愛してるなんて馬鹿げた妄言を吐いた僕自身が、さ」

 搾り出せるものを本当に限界ギリギリまで搾り出されたように憔悴しきったヴィレム様は、自嘲気味に薄く笑んだ。

 「そんなこと言わないでください。あなたはいつだって、どんな姿だって私の憧れなんです。だから――そんな悲しいことを言わないで」

 体をゆっくりと傾ける。ヴィレム様に体重を預ける形。

 しかしそれだけの動作に対応できるほどの気力も体力ももうないヴィレム様は、横向きの荷重に耐えられず、ベッドに押し倒される。

 私は仰向けになった胴体に跨った。

 両耳を塞ぐようにヴィレム様の顔に両手を添え、馬乗りのまま唇を奪った。

 柔らかい感触。しかしそれだけでは飽き足らず、歯の隙間から舌をねじ込んで口内を蹂躙する。

 たった今、好きな人の体を奪えているのだと考えると、全身が疼いて疼いて仕方がなかった。粘膜と粘膜との間に透明な橋がかかっているのが見えて、もう快楽のことしか考えられない。

 「辛いことだって、二人ならきっと乗り越えられます。魔王討伐戦のときだって、何回も何回も死にかけたときだって、こうやって二人で乗り越えてきたじゃないですか。……今は――――」

 ――私に任せて、と言おうとした直前に、私の視界は急にブレた。

それがヴィレム様に突き飛ばされたからだと理解するのに、しばらく時間を要した。

「…………え?」

「――自己満足の慰めなら、他でやってくれ」

吐き捨てるように、ヴィレム様は言った。

慰め? それのどこがいけないの?

言っている意味が解らなかった。頭の中ではたった一つの事実だけが渦巻いていた。

 私は、ヴィレム様に、拒絶された。

 なんで?

 ヴィレム様には私しかいないのに。

 唯一の拠り所だった婚約者さえ失ったのに。

 なんで?

 なんで?

 なんで?

 なんで?

 なんで?

 なんで?

 なんで?

 突き放す理由がどこにあるの?

 ――――――――――――――――――――あぁ。

 そうか。

 そうだ。

 まだ、理解が追いつかないのだろう。錯乱したままで、正常な判断ができていないだけだ。

 けれど――一応、保険はかけておくに越したことはないだろう。

 私の中で、ぎりぎりで張力を保っていた何かが完全に切れる音がした。

 「こうなったらもう、しょうがないです」

 閃光が部屋に瞬いた。

 たったそれだけで、魔王を倒した勇者は呆気なく気絶してしまった。

 さて、と。

 まだやるべきことがある。



 ベッドの方向から何やら叫び声が聞こえた。

 どうやらヴィレム様が目を覚ましたらしい。

「はいはい、今行きますよー」

 私は机に置いてあったものを握り、寝室へと向かった。

 ヴィレム様はベッドの上で全身を縛られている状態だった。

 ちなみに縄は私特製のものであり、生身の状態ですら剣でも傷一つつかない化け物じみたヴィレム様の防御力を無効化する代物だ。

「おはようございます、ヴィレム様。ぐっすり眠れましたか?」

 「ミランダ⁉︎ 説明してくれ、ここはどこだ? なぜ僕は縛られている?」

「えー? 教えませんよぉ。ヒントを与えちゃったらヴィレム様はすぐ逃げちゃうでしょ?」

「逃げる……?」

言いたいことを言い終わった後はヴィレム様の言葉を綺麗さっぱり無視し、私は小脇に挟んでいた魔杖を一振りする。

かけるのは血液魔法と治癒魔法の応用運用。

「何を……」

 「輸血と強心剤代わりですよ。失血死されても困りますし、ショック死されても以下同文です」

 それを聞いたヴィレム様は、恐る恐る私の手に握られたものに視線を移した。そこにあるのは――――照明の光を受けてぎらつく一振りの鋸。

「ミランダ……?」

「私ね、思ったんです」

ヴィレム様の言葉を強引に遮って、私は続ける。

「ヴィレム様にはもう私しかいません。でも、ヴィレム様は私を拒みました。それで、思ったんです。それを理解するのには、まだまだ時間が必要だ、って。でも、理解してもらおうとすれば逃げられてしまうでしょう?」

にこりと、笑って。

「じゃあ、逃げられなくすればいい」

私は鋸をヴィレム様の右太ももに当てがう。

「ヴィレム様はただ、私を理解してくれるだけでいいんです」

ヴィレム様は今更のように暴れ始めたが、もう遅い。縄の効果もあり、大した抵抗ではない。

鋸を少し動かしただけで、着せていたズボンの布地が裂け、その下の肌に赤い粒が何滴か滲む。

「ちくっとしますよー」

躊躇なく、私は鋸に全体重を乗せて前後に動かした。


ぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこごりごりごりごりごりぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎぎこぎこぎこぎこぎこぎこごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり――――――――――――――――――――

 

「――――――――――――――――――――」

 ヴィレム様の喉から、到底声にならない絶叫が迸る。

 「ああ、あかくて綺麗ですねぇ。これが私たちの愛の結晶です」

頭がおかしくなりそうだった。

そのくらい、心は興奮と恍惚で満ち溢れていた。

 これでもう、この人に逃げられることはない。

 電極に繋がれたカエルみたいに全身を痙攣させるヴィレム様に嗜虐心をそそられながら、私はキスをした。

 「一生愛していますよ、ヴィレム様」


ヤンデレって大体煙たがられるけど正直そういう存在に好かれるのって憧れますよね。リルです。

今回はあまり話すこともありませんね。私の癖を全て詰め込んだ作品です。読んで感じていただいたことがこの作品の全てです。

楽しめたら何より。楽しめなかった方でも、愛について考えていただけたら幸いです。

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