第06話「憂鬱な勝利」
「や、やめて! もうやめて!!」
必死に拳を繰り出していると突如、背後から羽交い絞めにされて鞭女から無理矢理引きはがされる。
新手かと思いすぐさま後ろを確認すればフラムが真っ青な顔色でこちらを見ていた。
そこでようやく我に返ってみれば――鞭女は顔がボコボコに腫れて、へし折れた鼻からダラダラと血を流してとっくに気絶していた。
「ひっ、ひいいい……!!」
鞭女から少し目線を外してみれば、水色の髪とドレスを纏った少女がでかいGペンみたいなのを抱えて完全に腰を抜かして怯え切っている。
改めて自分の格好を見てみると、黒い手袋には赤い返り血がべっとりついていて、マスクのレンズが一部黒く見えている事からマスク、それからコートにも返り血が飛んでいる事は容易に想像できた。
……あーうん、年頃の女の子にはちょっとショッキングな光景かも知れない。
「……分かった」
身体の力を抜いて一先ずもう殴るつもりがないことをフラムに伝えると、彼女は俺の身体をゆっくりと離した。
それから改めて彼女の方に向き直るが、もう完全に敵愾心MAXで睨みつけてくる……いや、別に君に何かしようって気はないんだけどなあ。
「イルカはどうなった?」
「……イルカさんは治ったよ、す――オーちゃんのおかげで」
「そうか」
気まずさを誤魔化そうとあのイルカモドキの事をフラムに話すと、彼女は視線をあの青い少女――改め、スオーという少女に目を向け、俺もその視線を追う。
スオーはぶるぶると震えながらこちらを見つめ返していた……やっぱりあのでかいGペンが気になる、武器なんだろうか?
誰も口を開かない沈黙の中、彼女の周りを元気に泳いでいるイルカの鳴き声がこのシンとした空間に響き渡っていた。
「……どうして? どうしてあんなひどいことができるの?」
「……?」
どうしよっかなーとぼんやり突っ立ってると、目の前のフラムが俺を責めるような口調でそう言ってきた。
え、そんな悪いことしたっけと一瞬思ったが、さっきの鞭女にマウント取ってボコボコにした事を指しているのだという事をすぐに理解した。
「そうするしかなかったからだ」
「嘘、戦えなくするだけでよかったじゃない!」
「無理だ、それにやる理由もない」
いやホントに無理だからね? 俺の方が圧倒的に格上ならともかく、あんな殺るか殺られるかの場面でそんな器用なことはできない。
でもまあ、話してみた感じかなり一般人的な価値観だしエスキュートって人たちは魔術師の知識が無いのはもちろん、殆ど実戦経験もないのかもしれない……普通にいいことだが、今に限ってはちょっと厄介だなあ……。
「あなたは――!」
「……今は他にやることがある」
とりあえず、イルカの無事も確保できた以上あの鞭女を一旦縛らなきゃいけない、なんせ彼女はイルカを怪物化させて人を襲った、これは魔術師たちの間でもれっきとした犯罪だ。
それに、彼女はボガスカンとやらの情報も握っている、ここで見逃すわけにはいかない――ん?
げっ! いない! しまった、逃げられた! ……しょうがない、返り血はあるしこの情報だけでも持ち込もう。
「じゃあな――『くらましの影』」
「あ! ちょっと! 待ちなさい!」
年下の呼びかけを無視するのは心が痛むが、人の命がかかっている事態に鮮度の落ちた情報を提供するわけにもいかない。
懐から一枚のカラスの羽根を宙に投げると、呪文を唱えて目くらまし用の羽根を大量に出してその場から逃走する。
ああ、しかしこの場所はもうお出かけに使えないかな……と少し憂鬱な気分で水族館を後にした。
☀~~~☀
あの後、本物のイルカショーのお姉さんを見つけて、エスパッションで戦いの後を何もかも直したらみんな不思議がりながらも何も無かったかのように過ごした。
私もすももちゃんと、おじさんとおばさんと一緒にイルカショーを見て、それからお土産にイルカのぬいぐるみなんか買ったりもした。
すももちゃんとプイプイさん、……それから、コルウスさんの頑張りと、最後に私がエスキュートとして初めてイルカさんを助けた事で手に入れた勝利によってつかみ取った時間だ。
「……ふぅ」
「……すいなちゃん」
――でも、私の心にはこれっぽっちも喜びや達成感は無く、ただただ恐ろしい時間が過ぎた事への安堵と不安だけが残った。
分かっていたつもりだった、あの戦いがとても危険な事なんてことくらい。
しかし、イルカさんの浄化に成功して、二人ですっかり舞い上がってコルウスさんに声を掛けようとした時、ひたすらあのお姉さんを殴り続ける彼の姿にただただ恐怖を覚えた。
私が関わった戦いは、こんなにも血と痛みに満ちたものだったのかと……。
「すももちゃん……」
「……なあに? すいなちゃん」
すももちゃんの名前を呼び、こちらに振り返った彼女の顔を見た。
すももちゃんもあんな場面を見たのに、すぐにコルウスさんを止めに行って、今も私を心配してくれている。
……怖いっていう思いはずっと消えない、だけど、親友がそんな怖いところで頑張っているって思うと、私もこのまま終わるのは嫌だ!
「私、強くなりたい……私も、エスキュートになるよ!」
「……そっか……うん、ありがとう!」
『エスキュート、ふたりめっプイ~!』
すももちゃんに、沈んでいく太陽に私は今出せる精一杯の力を込めて宣言する。
そうだ、私の憧れた物語のヒーローは怖くても決して諦めたりなんかしない! エスキュートの力で、いろんな人たちを助けるんだ!
私たちの間で嬉しそうに飛び回るプイプイさんと一緒に、握りこぶしを茜色の空に掲げた。
★~~~★
「ぶわっはっはっは!! イメチェンか『インペリウム』! よく似合ってるぜ! がっはっはっはっは!!」
「くっ……笑うんじゃないわよ『ヴィオレンツ』!」
「ヒュ~、褒めてるってのに怖いねェ~」
地球上にはない、どこかの空間。
その暗い空間で一人の大きなシルエットの男がまた一人の女を指さして大笑いしている。
インペリウムと呼ばれたその女――つい数時間前、刑二に散々打ちのめされて顔面の腫れた女は苛立ちを隠しもせずに大男に怒鳴り返した。
それに対してヴィオレンツと呼ばれた大男はただ口笛を吹いて肩を竦めておちょくり、それがますますインペリウムを苛立たせる。
『全く、集会だと言うのに騒がしくしないで欲しいでス』
「……同意」
その様子を見た機械仕掛けの空飛ぶ椅子に腰かけた白衣の蛇男――スカムが額を抑え、続いて彼の隣にいた真っ白な仮面を被った黒いウェディングドレスのような衣装を纏った小柄な少女が口数少なくスカムに頷く。
そんな二人の言葉も虚しく、今にもインペリウムが手を出しかねない程に握りこぶしを震わせていると、唐突に彼らの座っている席の奥から闇のエネルギーがオーラと言っていい程に溢れ出す。
それを見た四人は一斉に口を閉じ、姿勢を正すとそのオーラの中心をまっすぐ見据える。
しばらくすると、そのオーラの中から二つの鋭い目が浮かび上がるようにぼんやりと光り出した。
『……此度の襲撃、またもや失敗か』
「も、申し訳ございません『ワルジャーン様』! どうかお許しを……!」
『よい、元よりあの作戦では青のエスキュートの出現に対抗しようがない』
ワルジャーンと呼ばれたオーラがどこからともなく声を響かせると、インペリウムは冷や汗が傷に沁みるのも構わず机に額がつかんばかりに頭を下げる。
しかしワルジャーンは大して気にも留めない様子で彼女の言葉を流すと、次にスカムに目を向けた。
『それよりも、あのイレギュラーの件だ……スカム、何か分かったか?』
『調査の結果、ヤツの使う力の源がダークエナジーやキュートエナジーとは違うものというのは分かりました……しかし、ヤツ自身の足取りはさっぱりでス、何らかの方法で追跡が妨害されまス』
『貴様程の科学者でも不可能か……』
緊張した面持ちで報告するスカムに対して、目を細めたワルジャーンは唸るとしばらく思案するかのようにオーラをゆらゆらと揺らめかせる。
しばらくワルジャーン以外の四名に張り詰めた雰囲気が漂うが、やがて目の太さを元に戻したワルジャーンが仮面の少女に目を向けた。
『少し予定を早める、貴様は例の中学校に潜入し、エスキュートに接触する機会を伺え』
「了解……でも、いいの? 彼は」
『構わん、エスキュートとの戦いに積極的に干渉するなら機会はある……エスキュートの目を惹きつつ直接ヤツを追跡し、正体を探れ』
ワルジャーンの指令に少女は小さく頷き、続いてワルジャーンの目が大男に向けられる。
『ヤツの正体が判明次第、一人の時を狙って襲撃をかける……その役はお前だ、ヴィオレンツ』
「ハッ! このヴィオレンツにお任せを!」
インペリウムに対する態度が嘘のように恭しく頭を下げるヴィオレンツにワルジャーンも頷くようにオーラを小さく揺らすと、改めてその場にいる面子に向けて視線を飛ばした。
『地球にはヤツの他にも我々の知らぬ戦力があるかも知れん、エスキュートも脅威だが、その他の勢力の存在も十分に気を掛けて慎重に物事にあたれ――以上だ』
「「「『ハッ! ワルジャーン帝国万歳!』」」」
机と椅子だけの殺風景な空間の中、立ち上がった四人の賛美が大きく響き渡った。
TIPS
【基礎魔術】…どの流派にも似たような形で存在する基礎的な魔術、効果は地味だが燃費が最も良く、詠唱と触媒のいらない原始的な魔術の一つ。
愚かな魔術師の多くはこの魔術を侮り、そして死んでいく。