小屋の話。
「さて、早速仕入れに行くか」
老婆が帰り静かになった店内で、テオは立ち上がり固くなった腰をぐっと伸ばした。老婆が見えなくなるまで窓から手を振っていたエルは、ぐるんと勢い良く振り返りカウンター前に瞬時に駆けつける。その目は曇りなくキラキラと輝いており、テオは今口走ってしまった言葉をすぐに後悔した。
「お供するっす!」
「そう来ると思ったが……」
「荷物持ちでも何でも!」
「諦めたほうがいいですよ、テオ。きっと何を言っても付いてくるでしょう」
「……はぁ……。仕方ない、本当に荷物持ちさせるからな。あと仕入先は企業秘密だ、絶対に他言するな」
「了解っす!」
言い、エルは力こぶをつくって気合を入れる。肩でパシィが「頑張れよ相棒」と彼の頬をぷにぷにと突いた。
クレアが裏手から大きめのバックと、いくつか必要な小物を取り出して簡単に髪を整える。テオは着替えることもなく、そのまま鍵だけを棚から取り出して店を出た。
カチャリという小さな音と共に扉は閉められ、エルは意気揚々と足を大通りへと向けた。しかしその足はすぐに止まってしまう。
「……あれ、師匠? 大通りはこっちっすよ?」
「大通りは行かない。こっちだ」
エルの指差す方向とは逆、路地の更に奥へ歩き出すテオとクレア。先へと進んでいたエルは慌てて引き返し二人の後を追った。
小さい階段を上り、下り。閑静な住宅街を、人目を避けるように歩いていく。しばらくして見えてきたのは、この街を取り囲む石の壁だった。道の先の壁はアーチ状にくりぬかれ、木製の扉と、横には簡易的な小屋が建てられていた。
近づけば、小屋は道を見渡せるようになっており、中には歳のいった老人が座っている。老人の格好はこの街の自警団の服で、この小屋はいわゆる関所の役割を果たしているもののようだった。しかし、扉も小屋も小さく、壁の先は鬱蒼とした森。街の裏手に位置するこの関所を、通る人間がいるのかすら怪しい雰囲気の場所である。
クレアが小屋を覗き込むと、彼らに気づいた老人は、おぉ、と親し気に片手をあげて声をかけた。
「またアイツへの差し入れかね」
「こんにちは、いつもお世話になっております」
クレアはバックから小さな袋を取り出し老人に渡す。嬉しげに受け取った老人は、袋の中を見てにんまりと口端を上げた。
「へっへ、今日も大量だねぇ」
「ちょ、ちょっちょっクレアさん!? 賄賂はだめっす、いけないっす!!」
クレアの片手を掴み、必死に揺さぶるエル。この街の関所は犯罪歴を見る程度のことしかしないが、大きな街では入国証や商人の証を必要とする場所もある。そういった場所に忍び込み悪さをする者達の中には、関所の人間に金銭を渡し偽造や黙認をしてもらうことがあるとエルは噂で聞いたことがあった。
そして今、目の前、正にその瞬間を目撃してしまったのだ。
「悪いことはだめっす!!!! 俺が一緒に行くっすから今すぐ自首に行くっす!!!!!!」
「何を騒いでいるんだ君は……そもそも街に入るならまだしも、出るだけで何故賄賂が必要になる」
「……ん? 確かに……?」
「元気な兄ちゃんだねぇ」
笑って、クレアから渡された袋を差し出す老人。エルが受け取り中を開くと、そこには紙に包まれた洋菓子がたくさん詰め込まれていた。
「お菓子……っすね?」
「いつもここを通るときに差し入れをくれるのさ。クレア君の焼き菓子は本当に美味しくてね、婆さんや子供たちにも人気なんだ」
「お褒め頂き光栄です」
「本当のことさ」
「そうだったんすね……早とちりしてごめんなさいっす……」
エルが袋を返すと、老人はクッキーを一つ取り出して齧り、残りを棚に置いた。少し重みのある袋は金貨袋にしか見えないが、中がお菓子でいっぱいだと思うと少し不思議な気分だった。
「しかし、相変わらず精霊様は留守番かい? そこの兄ちゃんも見ない顔だが、精霊様は?」
「俺の精霊はこいつっす!」
「よっ」
肩から顔を覗かせたパシィの小さな姿に、老人は驚き、そして腹を抱えて大きく笑った。
「ずいぶん可愛いお姿だ! オーダーメイドかい?」
「自分で作ったっす!」
「おや、もしかして人形師なのかい?」
「俺はししょもごっ」
「まだ学生だ、僕の親戚なんだ」
間に入り込むように会話を遮り、エルの口を塞ぐテオ。流れるようにクレアが後に続く。
「人形に興味があるようなので、彼を紹介しようと思い連れてきたのです」
「あぁ、そういえばアイツは人形の素材も扱ってるって言っていたな。しかしあんな変人を紹介して大丈夫なのかい……なんて、知り合いの前で言うべきじゃあなかったな。すまない」
「いいえ、変人なことに変わりはないですから」
老人が下げた頭にぺこりと下げ返して、では、とクレアは先へ進む。いまだもごもごとしているエルの口を塞いだまま、テオも頭を軽く下げて扉を通過した。
アーチの下をくぐり少し歩いたところで、ようやく解放されたエルがぷはぁと大きく息を吸った。
「はぁ、はぁ……どうしたんすか、師匠」
「僕が人形師ということは、外で言わないでくれ。もちろん、クレアが精霊だということも」
「なんでっすか?」
「なんでもだ」
「何か事情があるんだろうよ。あまりプライベートに触れないでやるのも、上手な人間関係ってやつだぜ相棒」
「君の精霊は物分かりが良くて助かる」
あまりよくわかっていないような表情で首を傾げるエルの肩で、パシィはうんうんと頷いた。
テオもクレアもそれ以上は言葉にせず、森の方へと足を向ける。エルも考えることは一度やめて、慌ててその背中を追うのだった。
しばらく歩き、石の壁も見えなくなった頃。正規の道から外れ、獣道を登っていった先にそれはあった。
関所にあったものとは違う、人が住めるちゃんとした大きさの小屋。隣には柱と屋根だけの作業場のようなところが併設されていて、木材置き場には大きな丸太がいくつも置かれていた。
葉の擦れる音と鳥のさえずりしか聞こえないようなこんな場所に人が住んでいるのだろうか、とエルは少し不安に思うが、テオ達は迷わず小屋へと向かっていく。ついていくも、人がいる気配はしなかった。
「アルミス、いますか」
クレアのノックにも反応はない。
すると、後ろの藪のほうから、ガサッという音が響いた。
エルが思わず身体を引く。
「! 熊かもしれないっす師匠!!」
「この辺りに熊は出ないよ……」
「でもガサッて!!!」
「よく見ろ」
藪から顔を出していたのは、長い緑の髪を後ろでひとまとめにして、動きやすいハンター服を身に纏った人形。成人女性型のその人形は、テオたちを見ると満面の笑顔を浮かべて、テオ達に近づいた。
「何か来たと思ったら、テオ! クレア! 君たちだったか!」
「ディティ。アルミスは不在か?」
「もうすぐ帰ってくるよ! それより……」
「こちらはテオの親戚です。警戒しなくて大丈夫ですよ」
ディティと呼ばれた精霊は、顔をしかめてエルの全身を眺める。そんな彼女に、エルたちはいつも通り元気よく自己紹介をした。
「こんにちはっす! エルって言います!! こっちは俺の相棒のパシィ!!」
「よっ」
「テオが人を連れてくるなんて……でも、なんだかいい子そうだね」
裏表のない態度とエルの小さな精霊の姿に、ディティは多少警戒を解いたようだった。いや、というよりも、ディティには他にどうしても気になることがあるのだとテオたちは知っていた。
エル達から視線をそらし、ディティの目はクレアのバックへと吸われる。その様子を見て、クレアは優しく笑ってバックに手を入れた。
「それで……えっと…………」
「ふふ、ご安心ください。たくさん持ってきましたよ」
「!!」
出てきたのは、先程にも見覚えのある袋。飛びつき開いたディティの手の袋には、やはりたくさんの焼き菓子が詰まっていた。
「クレアのお菓子!」
「貴女の好きなココアクッキーを多めに入れておきました」
「やったぁ! クレアのお菓子は美味しくて大好きだ!」
ぴょんぴょん飛び跳ねる姿に、クレアはまた嬉しそうにふふっと笑った。一方でエルはそれをうらやましそうに見つめる。
珍しく肩を落として、パシィの頬をぷにぷにと摘まんだ。
「俺も早く相棒に美味しいもの食べさせてあげたいっす」
「……君、舌や消化器官の創り方は知っているのか」
「はいっす! 一応俺、故郷出る前は人形師の育成学校行ってたんで!」
テオの問いに、エルは得意げに腰に手を当てて仰け反った。自分の人形師としての知識をアピールする絶好のチャンスである。エルは頭をフル回転させ、今も宿に置いている教科書の内容を胸を張って答えた。
「舌も消化器官も特別な植物から作られた素材を使うっす! 舌は精霊に魔力刺激を与えて疑似的に味覚を再現するもの、消化器官は触れた物を溶かす危ない植物を使うっす! 植物の名前は確か……」
「『オウレーブ』と『ヒリスラン』だね」
横からすかさず答えたのは、ココアクッキーを美味しそうに齧るディティだった。思わぬところからの回答に、エルは口をパクパクさせる。人形師でなければ聞きもしないような植物の名前が、それも精霊の口から出てきたことに、エルは驚きが隠せず思わずディティに近寄って顔を近づけた。
「もしかして……人形師なんすか!?」
「あたしのこの身なりでそんなわけないでしょう? この辺りはその植物も採れるの」
「あ、さっき言ってた人形の材料って……」
「人形の素材はそのあたりも含めて大体取り扱ってるよ。植物はあまり数が多くないけどね」
クッキーを齧り終え満足したディティは、彼らを招き入れるように小屋の扉を開ける。踏み入れると、木の香りと共に、強い草の匂いが鼻を刺激した。
壁の棚にはいくつもの瓶が飾ってあり、中には様々な色の液体が入っている。その他にも獣の皮や狩猟道具、外で見た丸太の断片らしきものがたくさん置かれている。生活スペースらしき場所は最低限で、暖炉の前にテーブルと椅子、奥にキッチンがあるだけだった。
「ここに住んでるんすか?」
「ハンターに会うのは初めて? あたし達は森での採取や伐採を生業にしてるからね、森に住んでいて当然だよ!」
「ご飯とかはどうしてるんすか?」
「基本自給自足だよ。ほら、外に畑が見えるでしよ?」
指された窓の先は小屋の裏手にあたる場所。自給には十分な広さの畑があり、ちょうど収穫の時期なのか、赤く美味しそうな実が蔦の中から顔を出していた。
思わずじゅるり、と涎が出ているエルを見逃さなかったパシィは、頭の上で「盗み食いするなよ」とポンと叩いて釘を刺す。
「そ、そんなことしないよ!」
思わず否定するエルに、ディティは笑って、ぐんと胸を仰け反らせた。
「盗み食いしてもすぐわかるからね! 私の能力舐めないでね!」
「能力? ディティの能力って……」
「あたしは『感知』の能力だよ! 一定範囲内なら、どこに何があるかを感知することができるんだ!」
ディティは指で輪を作り、望遠鏡のように覗く。深緑の瞳はエルたちを見通すかのように彼らを映した。
「あたしはこの力で、薬草や必要な素材を探してる。動物の位置もわかるから、危ない目には滅多に合わないよ」
「じゃあ俺達が来たのがわかったのも、その能力のおかげっすか?」
「そう!」
その時、再び小屋の扉が開いた。入口から怠そうに現れたのは、弓を担いだ焦げ茶髪の男。頬に残っている獣の爪痕が印象的で、瞳孔の細い金の瞳も相まって、獣のような印象を抱かせる男だった。
男は彼らを見つけると、やはり怠そうな動作でのったりと弓を玄関横に下ろした。
「ディティクトが戻らないと思ったら、やはりお前たちか」
「おかえり、アルミス。素材の購入に来た」
「お前がそれ以外の目的でここに来たことがあったか?」
「ないな」
アルミスと呼ばれた男は腰や背に付けていたハンター道具を所定の位置に戻していく。床に置いた大きな袋からは、部屋と同じ草の匂いが強く漂っていた。
「何がいるんだ」
「ユデーとドラムガの皮、それからヒリスランの買い足しもしておきたい」
「ドラムガは季節柄、狩猟数が少ない。張るぞ」
「構わない。ある分をくれ」
「ディティクト、出してやれ」
「はい!」
ディティは元気よく応えると、慣れた手つきで棚や木材置き場から素材を集めていく。何か手伝おうとエルが声をかけるが、危ないから離れてて、と逆に注意されてしまった。
エルの耳と尻尾が垂れている間に、素材は素早く集められて床の布の上に並べられた。テオがしゃがんでそれをじっくりと観察する。
「……うん、木材も傷がなく綺麗だ。金額はいつも通りでいいか?」
「あぁ。そこの棚にでも置いておいてくれ」
棚を指差したと思えば、アルミスはそのまま小屋の奥、キッチンのほうへと消えていく。クレアがバックから袋を取り出し、言われた棚の上に置いた。
「また菓子じゃないだろうな?」
「どうでしょうね? 見てみます?」
にやにやと笑ったパシィに、ふふ、と笑い返し、クレアがパシィを掌に乗せる。袋の中を見せると、中には焼き菓子――ではなく、正しく金貨が入っていた。
「なかなかの額だな。あまり客を見ないが儲かってるのか?」
「それなりに。常連様もいらっしゃいますし、やはり人形は単価が高いですから」
「そんなもんか。まぁ豪勢な暮らしをしてるようにも見えないからな、ほぼ原材料費に充ててるんだろう」
金貨袋の前でおしゃべりをし始める精霊たちを尻目に、まだ素材を観察しているテオの横に、エルが並ぶ。布の上に並ぶそれらを、エルもテオを真似てむーんと観察した。
「…………」
「…………」
「…………君にしては静かだな」
「邪魔しちゃいけないと思って! でもよかったら素材の良し悪しの見分け方とか、コツがあったら教えてほしいっす!」
「……まぁそれぐらいは……。まずユデーの木材についてだが」
「はいっす!」
テオが素材を指し、説明をし、エルが大きく頷く。エルが学校で習ったものよりももっと具体的で、実用的で、人形のことを考えた細やかな気遣いがそこにはたくさんあった。
(これが師匠の人形の作り方……!)
ここでしか学べないもの。師匠の元でしか知ることのできないものが、きっとある。
エルは心の中で、笑顔で見送ってくれた故郷の家族や友人たちに感謝をした。
(俺はここで、きっと)
テオが最後の素材を指したとき。
テオとエルの間に、顔がぬっと現れた。
「おわぁ!?」
「茶だ。飲め」
金の目がギロリと二人を見る。アルミスの手には深緑の液体が入った木製のコップが二つ、握られていた。
それを見た途端、テオの顔が青くなる。エルがそれに気づく間もなく、テオはさっと立ち上がろうとしてーーアルミスに肩を強く押さえられた。
ハンターの怪力にびくともしない体。テオの頬を冷汗が伝う。
「どこに行く」
「い、いや……僕は喉が渇いていないから、ほら、そうだ、エルとクレアで飲むといい……!」
「? 俺はいただくっすけど……」
そういって視線を動かした先を見れば、クレアにはディティが同じ『お茶』を差し出していた。そのクレアの顔色も青く、酷い苦笑いで受け取っているのが見えた。
状況が呑み込めず大きく首を傾げるエルとパシィ。テオの口元が引きつり、汗が増えた。
「……あ、そうだ、エル、君とても喉が渇いているだろう? 僕の分も飲ん……」
「いいから飲め」
圧。間に入って目の前に差し出されてしまえば抗いようがない。これ以上拒否すれば恐らく無理やりにでも喉に流し込まれるだろう。察したテオは、諦めてそのカップを手に取った。
いまだハテナを浮かべるエルとパシィをちらりと見て、アルミスを見て、テオは大きなため息を吐く。
「いただきます、だ」
アルミスの合図と共に、全員がカップを仰いだ。
エルが泣きながらその苦い苦い『健康茶』を飲み干すまでに、半刻以上かかったのだった。