始まりの話。
2024/04/19 読みやすいように改行を入れました。内容に変わりありません。
王都から遠く離れた片田舎の、それでも割と賑わっている方の街。《パーズ》と名付けられているこの街の、大通りから外れた隅の、隅の方。
深い茶色のレンガ造り。内装はアンティークで揃えられ、テーブル、椅子、棚。至る所に『それ』が置いてある。
店主は無口。表に出ることはほとんどない。迎えるのは助手の、優しげな紳士風の青年。
彼はモノクル越しに、客にこう告げる。
「理想の『もの』は見つかりましたか?」
何十と置かれた『それ』らは、精巧で、美しく。
人と見まごう程に。
街の中でも知る人ぞ知る、『裏通りの人形屋』。
そんな場所に、彼はやってきた。
「こちらの品は如何でしょうか、マダム?」
「あら、これも素敵ね。うちの子が好きそうだわ」
人形を持ち上げ喜ぶ女性に、青年は優しく微笑んだ。茶色の長い髪に瞳、執事服に身を包んだ彼は、柔らかい物腰でもうひとつ、横の人形を抱き上げる。
人形はどちらも人の子どもぐらいのサイズだ。先程まで女性が気に入っていたその人形をそっと腕に座らせ、女性の見やすい位置へと移動した。
「そちらの人形は、この子よりも小さめに創られております。その分軽量ですから、お子様でも抱き上げたり抱きしめたりすることが可能でしょう」
「動きはどう? 思い切り外で遊ばせてやりたいのだけれど」
「勿論、問題はございません。走っても、飛び跳ねても、人形が壊れたり動きが制限されることはありません」
女性は持ち上げていた人形の腕や足を軽く動かす。軋む感覚はどこにもなく、それは人となんの遜色もない動きを見せた。
「関節もしっかりしてそうだわ。ブロンドの髪も最近人気と聞くし、これが良いかもしれないわ」
「ええ、お気に召していただけるかと思います。お子様にも、――お子様の、精霊様にも」
青年は腕の人形の頭を撫でながら、再び微笑んだ。
――――この世界において、人形はただの玩具ではない。精霊と人を結びつける重要な役割を持つ。
人は生まれながらに、自分だけの加護精霊がいる。精霊は被護者のそばを離れることはないが、高次元の存在であるため、人間はその存在の認知ができない。
そこで使用されるのが、人形である。精霊はある特別な人形の中に入ることで、人と同じように話したり動いたりすることができるようになるのだ。
世間では我が子の三歳の誕生日に人形を贈る風習があり、この女性も、直近に控えた娘の誕生日のために、ここを訪れていた。
「お子様の精霊様の能力は既にお分かりなのですか?」
「えぇ、恐らく《灯》よ。暗闇の中であの子の周りが仄かに光っていたの。道標みたいにね。素敵でしょう?」
「道標のように、ですか。なんとも優しい力ですね。きっとお子様も、その灯火のように暖かくて優しい方なのでしょう」
「そう、そうなのよ! この間もね、雨の日に……」
嬉しそうに話に花を咲かせる女性に、青年はゆっくりと相槌を打っていく。暗い日に灯りを灯してくれた話。初めて立つことができた話。初めて母を呼んでくれた話。尽きない愛し子の話たちを、青年もまた嬉しそうにひとつひとつ聞いていた。
ふと、青年の視線が横に逸れる。店の入口の横、大きめの窓の向こうで、腕を組み怪訝そうにこちらを見ている少年と目が合った。
ひと目でガラス玉と分かるその瞳は、女性ではなく、女性と楽しくおしゃべりをしている青年を見ている。「馴れ馴れしくするな」と訴えているのがありありと感じ取れた。
「それでね、」
「マダム。まだまだお話を聞き足りないところではあるのですが、あまり待たせてしまいますと、心配されてしまいますよ」
女性の後ろ側にあるその窓を、視線でそれとなく誘導する。彼の示さんことに気づいた彼女は、あっと口元に手を当てた。
「あら、そうだったわ! つい夢中になっちゃって……拗ねちゃったかしら?」
女性が振り返ると、少年は慌てて背中を向ける。不器用なその仕草に、二人は顔を合わせて笑った。
「マダムの精霊様は少年のお姿なのですね。店頭には置いておりませんが、うちでは成年型の人形も取り扱っていますよ」
「ありがとう、でもいいの。あの子、あの人形をとても気に入ってるみたいで……変える気はないみたい」
頬に手を付き、しかし優しげな瞳でもう一度自らの精霊を見やる女性。その言葉と仕草に、青年は微笑んでもう一度腕の人形の頭を梳いた。
「きっと特別な思い出が詰まっているのでしょう。……もしメンテナンスが必要になりましたら、いつでもお越しください。うちの人形師の腕は一流ですから、別の人形師が創ったものでも問題ありません」
「あら、人形師は貴方ではないの?」
「私はあくまで助手、店主である人形師は表に出るのが苦手でして……私が代わりに表の仕事を引き受けております」
歩き出した青年はゆったりとした動きでレジカウンターの小さな扉を押す。カウンターに飾られた造花の横に人形を座らせて、レジを叩いた。
「そうだったのね。じゃあ人形師さんに伝えておいてくれるかしら?」
紙幣を受け皿に置き、今一度大切そうに人形を抱え直した女性は、心からの笑みを湛えて彼を見た。
「素敵な出会いをありがとう、って」
窓から差す昼下がりの暖かい光が、彼女と人形の金の瞳を照らしていた。
「彼女は行ったか」
カウンターの奥、作業場の扉から顔を覗かせたのは、訝しげな顔をした少年……いや、顔に少し幼さの残る青年だった。深い青の髪は、切り揃えられた形跡はあるものの、それを無造作に伸ばしたまま。水のような瞳は重い瞼で半分しか見えず、衣服はTシャツと、上半身部分を腰で結んだツナギという非常にラフな格好だった。
店や茶髪の青年とは全く合わぬ雰囲気の彼に、しかし茶髪の青年は女性に見せた表情とはまた違う、優しい笑みを浮かべた。
「おや、テオ。この時間に貴方が出てくるのは珍しいですね」
「……売れた子が気になったんだ」
「良い人に貰われていきましたよ。きっと素敵な出会いになります、彼女が言っていたように」
「そうだな。……それで、君はまた残ってしまったか」
テオと呼ばれた青年は、カウンターに座る人形に歩み寄り頭を撫でた。この街では珍しい黒い髪はサラサラと流れ、フリルの服に影を落とした。
「やっぱり黒髪には東国の服の方が似合うか? どう思う、クレア」
「そうですね……似合わないというより、ニーズの問題でしょうか? “彼女”はフリルがよく似合っているでしょう」
「“彼女”は特別だ。……まぁ最近は姫君と同じブロンドが人気だからな」
人形をテオが抱き上げる。見た目にさほどの違いは無いものの他の人形より少し重めの彼女は、その分全てがしっかりと創られていて、何があっても揺るがない強い身体をしていた。
幼年型の人形にここまでの強度を求める客は多くない。しかしテオも、茶髪の青年――クレアも、それが彼女の美点であると信じていた。
「なに、時期に君にも素敵な出会いがあるさ。それまではうちの看板娘として、ここに居てくれ」
人形に頬を寄せる。温もりこそまだ無いが、特別な素材で作られた肌はテオの体温を確かに人形に伝えた。
その時。
勢いよく扉の鐘が鳴った。
「ここだーーーーー!!!」
飛び跳ねる二人の肩。
飛び出してきたのは、金髪の男。
あまりの勢いと大きな鐘の音に、テオは大きく肩を揺らし、クレアはまんまると目を見開いた。
突然の出来事に固まる二人を見つけ、金髪の男はテオと同じ青い目を輝かせる。より正確には、彼はクレアを見た瞬間に表情を大きく変えて、彼に走り寄った。
「すげーーーーっ!」
犬のように右へ左へ体を振りながらクレアの全身を眺める男。彼にしっぽが生えていたなら、確実にちぎれそうな程回っていたに違いない。金の頭が何往復かして、ようやく意識が戻ってきたクレアが、何事か、と物申すため口を開いた。
しかし、それは男の言葉によって遮られる。
男はテオの方を向いて、言った。
「コレ人形っすよね!? こんなに人間みたいなの初めて見た!!」
――――テオとクレアの目が、細まる。
彼が創られてから、たった一人しかそれに気付いた者はいない。
何故ならその人形は、動きに一切の違和感はなく。関節の擦れる音も、喉の木管の微かな音もなく。瞳孔も、舌も、髪も爪先も、何一つ人と遜色がない動きを見せる。
それを人形と呼ぶならば、それはすなわち、人を創ったと言っても過言ではないだろう。
クレアは。
彼は人形だった。
それを、男は――――ひと目で見抜いた。
「……だとするならば、貴方はどうするのですか?」
朗らかに、クレアが笑う。
背中に回した手は、そっと腰の隠しナイフに当てられていた。カウンターでは、テオが人形を座らせ、その影で机下の拳銃に手を伸ばしていた。
「どうって、そりゃもちろん……」
男の手がクレア、ではなくテオに向く。
狙いは人形師。察したクレアはナイフを抜き、その切っ先を、躊躇いなく、勢い良く彼の首へと振り下ろした。
「弟子にしてください!!!!!!!!」
曲がる腰。ぴったり90度。
差し伸ばされた手は、握手を求めるようにテオに真っ直ぐ向いていた。
店外まで響く大声と予想外の言葉に、クレアのナイフは完全に止まっていた。テオも目を丸くして静止する。
沈黙。周りの人形達も、声を上げられないかのように静かなまま。
誰も動かなくなった店内で、ひとり、誰のものでもない声が空気を動かした。
「あー、なに、いきなりすまん。驚かせたよな」
ナイフの切っ先の下。男のフードからひょっこりと顔を覗かせたのは、男とよく似た人形だった。男と違う点をあげるとすならば、その人形は手のひらサイズの三頭身だということ。
思わずクレアがナイフを下げる。小さなその人形は男の首をよじ登り、頭にしがみついてポンポンと叩いた。
「おい相棒、嘆願もいいが挨拶が先じゃないか? あと自己紹介」
「確かに!? あんまりに人形が凄いから忘れてた!!」
ガバッと顔を上げた勢いで小さな人形が転がり落ちる。それを上手いことキャッチして、金髪の男は輝かく瞳をそのままに背筋を伸ばした。
「初めまして、エルナンドって言います! エルって呼んで欲しいっす! こっちは俺の加護精霊の……」
「パッシオーネだ。パシィって呼んでくれ」
そっくりな二人がそっくりなポーズで挨拶をする。双子のような息の合い具合に、クレアは思わずクスリと笑った。それを咎めるようにテオが視線をやる。本人が自覚してるであろう以上に悪くなっている目付きに、クレアはまた面白くなって目元を細めた。
「それで、貴方達は……弟子入りをしたいのですか?」
「そうっす! 弟子入りするなら師匠以外いないっす!」
「勝手に師匠とか呼ぶな。……はぁ」
先程の緊張感から一変、緩んだ空気に溜息をひとつ。拳銃から一旦手を離して、テオは屈んでいた体を元に戻した。
テオが真っ直ぐ立っても、エルと名乗った男の背は高く、少し距離があっても見上げる形になる。平均より低めな身長のテオは尚更であり、威圧感を感じてもおかしくない相手であった。
しかしエルの犬のような雰囲気に、何より手にちょこんと乗る同じ姿の人形。それらが彼らの無害感を醸し出す。よく見れば、フード付きの白い上着に、動きやすそうなシャツとズボン。服に描かれる文様はこの辺りのものではなく、恐らく遠いところからわざわざこの街へ来たのだろうということが察せられた。
彼らの“追っ手”ではない様子に安堵しつつ、しかしテオは厳しい目付きで彼らを見る。彼らが追っ手でないとしても、いい人だとは限らない。テオはそれをよく知っていた。
「なんで、弟子入りなんだ。募集した覚えはないが」
「師匠の人形を昔見た事があるんす! 人形師になるなら、弟子入りするならこの人しかいないって思って!」
「……君も創作系の能力なのか」
テオはパシィを見やり、クレアを見た。
人形師、という職業は非常に珍しく、特別なものである。というのも、人形師になれる能力を持つ者は限られているからである。
精霊はそれぞれ固有の“能力”を持ち、被護者は精霊と、身体にある魔力回路を通してその能力を使うことが許される。
能力は十人十色であるが、大まかな方向性としていくつかに大別される。その中の一つに“創作系”と呼ばれるジャンルがあり、人形師はその“創作系”の能力を持つ者しかなれないのである。
理由は非常にシンプル。
精霊と人形を繋ぐ<魔法陣>を創れるのは、精霊の力でのみ、だから。
そのため“創作系”の能力を持っていたとしても、<魔法陣>を創れる程の力がなければ人形師にはなれない。人形師は人を選ぶ職業、ということだ。
人形師になりたい、ということは、エルも創作系の能力を持っているということ。もう一度パシィを見れば、彼の体は市販で売られていることはそうそうない、柔らかい布と綿で出来ているようだった。
そもそも被護者と同じ姿というのも、オーダーメイドでもない限りありえない話だ。テオはもっと良く彼の人形を見るために、カウンターから身を乗り出した。
「その人形は君が創ったのか」
「わかるっすか!? 子供の頃に作ったんすけど、かなり良い感じっすよね!」
見られていることに気付いたパシィがポーズを決め、エルが真似をしながらパシィの乗る手を差し出す。細部はそれほど細かくはないものの、関節、目、喉、そして中の魔法陣までちゃんと創られており、動きもさして制限がないように見えた。
これを子供の頃に創ったのだとしたら、十分上出来である。クレアも横からまじまじとパシィを観察した。
「えぇ、良くできています。人形師になりたいというのは本当のようですね」
「いいだろう、俺の相棒が作ったこの身体は」
「貴方の能力も立派ですよ。どのような創作系の力なのですか? 創れるものの制限などはあるのですか?」
「随分と興味津々だな。まぁ聞いて驚け、なんと俺は、創作系の能力じゃないんだ」
「「えっ」」
声が重なる。創作系ではない? だとするならば、この人形はどうやって創られたのか。
頭に大きなハテナを浮かべる二人に、金髪の二人が得意げに、揃ってブイサインを突き出した。
「俺達の能力は『情熱』!」
「心から望んだことを形にする力だ。何でもできるぜ、たぶん」
「空とか飛べちゃうかも!?」
「飛んだことはないけどな」
「今度挑戦してみるっす!」
「ま、待て、何か凄いことを言っていないか」
息をするように述べられたその単語に、思わず頭を抱えるテオ。なんでも出来る力、とは。
精霊の魔法は万能ではない。どんなに強い力を持っていても、できることには限りがある。それが精霊の個性でもあるわけだが。
彼はその『個性』が、『なんでもできること』ということだろうか。テオもクレアもそんな力は聞いたことがなかった。
「その……つまり、貴方は万能の精霊、ということですか……?」
流石のクレアも、己の聞き間違いかと思う程には混乱していた。怪しむようなクレアの問いに、パシィは、おっと、と人差し指を立てて横に振る。
「間違ってもらっちゃ困るぜ、俺は『なんでもできる』けど『万能』じゃない。力を使うには、心から強く願うこと、が必要だ」
「そうなんすよ、生半可な気持ちじゃ力は使えないっす! これぐらい願わなきゃダメっす!」
エルが大きく手を広げて、空中に書けうる最大の円を描いた。どうやら気持ちの大きさを表現しているらしい。具体的なところはよく分からないが、彼らが言わんとすることは察せられた。
テオが顎に手を当てて考える。長い前髪の奥で細い眉が寄った。
「願いの強さで叶えられることも変わる、ということか」
「人によっちゃ何者にもなれて、何者にもなれない。俺の力はそんな力さ」
「じゃあ、『何者にもなれる』可能性のある君は、なぜ、人形師を選ぶんだ?」
それはテオの最大の疑問。そして、必ず聞かねばならぬことであった。
罪を犯した者として。同じ災いの芽は、摘まなければ。
「聞いてくれるっすか、俺の夢!」
テオの言葉を前向きに捉えたのか、残像が起こるほどの速さでカウンター前に移動するエル。思わず背を仰け反らせたテオに沿うように、ぐいーっとカウンターに身体を乗せて、少し低い位置にある彼の目を覗き込んだ。
青の目に、同じ青の目が、反射した。
「俺の夢は――――
――――パシィを、世界一かっこよくすることっす!!!」
嬉しそうに。誇らしく。
高々と。彼は相棒を掲げた。
言葉はただ真っ直ぐ、青い色を駆け抜けた。
「俺は世界一カッコイイ人形を作って、パシィにプレゼントしたい! なんてったって俺の相棒は世界一だから!!」
ぎゅむっと掴まれて掲げられているパシィは、苦しそうにするどころか、満足気に笑って頷いた。
「楽しみだぜ、相棒。だがストレートに褒められるのはちと照れるな」
「何言ってんだ、本当のことだろ!?」
「相棒のその素直さ、大好きだぜ」
掲げた、そして掲げられたまま楽しそうにクルクルと回り出す二人。テオはまた目を丸くし、クレアは、おや、と人差し指を顎に当てながらテオのほうを見た。
「どこかで聞いたことあるような話ですね」
「……ッうるさいぞ、クレア。君達も楽しくなるのはいいが店内で暴れるんじゃない」
「あっはいっす! ごめんなさい!」
窘められ、すぐに謝り動きを止めるエル。声や行動はいちいち大袈裟だが、人の言葉や心を聞く素直さがある。一連の流れの中、店内の人形たちが一度もぶつかられたり傷付けられたりしていないのも、彼の良識や人の良さを表していた。
青色の瞳が、また重なった。キラキラと、窓の光を取り込んで、輝いていた。
「というわけで、弟子にしてください師匠!」
「……君のことはよくわかった」
「じゃあ!」
「けど、僕は弟子は取らない。創作系の学校に通うなり、他の人形師を探すなりするといい」
「そ、そんな…………!」
断られるという可能性を考えていなかったようで、大口を開けて固まるエル。あまりのショックに膝が折れ、ズルズルとカウンターからエルの上半身が滑り落ちていく。しまいには床に倒れ込み「弟子……」と某かを呟いていた。
床はクレアがいつも綺麗に掃除しているので、そこまで汚いわけではないが、純粋に邪魔である。テオが上から覗き込めば、手から這い出たパシィが金色の頭を登ってポンポンと慰めるように叩いていた。
「相棒、悲しいのはわかるが床は冷たいぜ」
「今の俺には丁度いいもん……」
「まぁそう言うな。人生は今日で終わりじゃないんだぜ、そうだろ?」
「そうだね!!!!!!」
何を感じ取ったのか、はたまた共鳴したのか。急にがばっと起き上がったエルは再びカウンターへ身を乗り出した。覗き込んでいたテオはぶつかる一歩手前でなんとか後ろに避け、また背中をのけぞらせる羽目に。
エルが、テオを見て、笑った。
「明日も来るっす、師匠!」
「……は?」
「俺、絶対諦めないっすから! 弟子にしてもらえるまで毎日通うっす!!」
「いや、ま」
「それじゃまた明日っす、師匠!!!」
引き詰める間もないまま。扉のベルは大きく鳴り、エルと頭の上の人形が大きく手を振った。テオの静止の声は霧散し、窓の向こう元気よく走り去っていく彼らに、クレアはにこやかに手を振り、テオは頭を抱えた。
「嵐のようでしたねぇ」
「なんだったんだ……明日も来るって? 冗談じゃない」
「店が賑やかになって良いではないですか」
「君はこの短時間に絆されすぎだ」
「おや、テオは彼らが信じられないのですか?」
「……彼らが嘘をつける人間でないことぐらい、僕にもわかる。ただ、……」
重い瞼が更に伏せ、水の瞳が揺らぐ。
知っている。テオが容易に人を信じることができないのも。人形師を、創造する者を疑ってしまうのも。
分かった上で、クレアはそれを口にした。
「彼は、良い人形師になるでしょうね」
テオはクレアを一瞥し、そして諦めたように大きなため息を吐いた。
「……明日彼が来たら、伝えてくれ」
「はい」
「『扉はもっと静かに開けるように』」
作業部屋の扉が開かれ、テオの姿が消える。
静かになった店内で、クレアは楽しそうに、隣の人形に笑いかけた。
「いい出会いになりますね、きっと」
人形は静かに、彼の傍に寄り添っていた。