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有木亜梨沙

 俺が押しつけられた『(やぐら)係』というのは、自分の団の本陣……味気なく言うなら応援席・休憩場所を設営する仕事だ。本陣には本番までに大きなパネルを取りつけなければならず、そのイラストデザインを創作し、色塗りをするのが専らの作業内容となる。まあ根本的な部分は三年生の然るべき生徒がやってくれるので、俺は本当に色を塗るだけだ。しかも、きっちりと指定された色を。機械的に。これもこれで楽なもんだ。


 作業は放課後、中庭にて、時間のある団員達でおこなう。俺は帰宅部なのでガッツリやらされる。面倒っちゃ面倒だが、他の厄介な役割を担っているクラスメイト達のことを思えば、まあこれでよかったよなとなる。


 任されていた箇所の塗りが完成したので別の絵の具をもらいに三年生のところへ向かう途中、知らない女子の目の前を通過したのだが、「(くさ)っ」と小声で言われる。


「え」俺は驚いて立ち止まり、振り返る。俺? 俺のことだよね? だって、今この周辺には俺とその子しかいない。その子は内履きの色から察するに同級生だ。「今、俺のこと(くさ)いって言った?」


「あ、いや」その女子はしまったという顔で口元を押さえている。「ご、ごめん。つい、反射で」


「いや、臭いよな?」と俺は改めて確認する。怒っているわけじゃない。そうなのだ。俺は日頃から姫川さんに『いい匂い』『いい匂い』と持て囃されているが、実際そんなはずなくて、普通に臭いのだ。臭いとまでは言わなくても、決していい匂いなどではないはずなのだ。「臭いでしょ?」


 俺がテンションを上げてグイグイ確認すると、その子は引き気味になり「えー……なに?この人」と顔をしかめる。


「いや」俺はなんか、自分の体臭に関して自分の思っている通りの意見をはっきりと言われ、思いがけず高揚している。「臭いって言われて、なんか落ち着いた。……えっと、友達に俺のこと『いい匂いだ』ってしきりに言う人がいて、ずっとむずむずしてたんだ」


 姫川さんは姫川さんで心の底から俺の匂いを愛しているんだろうけれど、ずっと俺の中で合点がいかないというか、納得できないというか、すんなり受け入れられないものがあったのだ。俺はどちらかというと臭いと思うんだけど……という気持ちがあったのだ。だからそれをズバリと指摘されて妙に晴れやかになってしまった。


 女子は顔をひくつかせて苦笑している。「いい匂いではないよ」


「臭いよな?」


「…………」


「正直に言っていいよ」


 俺が許可すると、その子は「悪いけどマジで臭い」と正直になる。「すごく臭い」


「そんなに……?」


「この世界でもっとも汚いジジイ五十人の糞尿とゲロを混ぜ合わせたみたいな匂いするよ。この世界のあらゆる罪の吹き溜まりの匂いがする。死ぬほど臭い。ってか殺したいほど臭い」


 俺は笑ってしまう。「そこまで言われるとちょっと傷つくんだけど」


 その子も悪びれず笑っている。「少なくともあたしにとっては苦手な匂い」


「そっか。ありがとう」

 お礼を言うのも我ながら謎だったが、とにかくその場を切り上げて俺は絵の具をもらいに行かなければならない。


「あ、ねえ」と呼び止められる。


「ん……?」俺は絵の具バケツを抱えたまま振り向く。


「四組の人? あたし八組で、有木亜梨沙(ゆうきありさ)っていうんだけど」


「ああ……俺は丹羽菖蒲(しょうぶ)です。四組の人」


「そなんだ。あたしも櫓係だから。よろしくね」


「あ、うん。よろしく」


 よろしくって言ってもメチャクチャ臭がられているし、よろしくはできないだろ……と思う。たぶんだけど、有木亜梨沙さんは姫川さんの逆なんだろう。姫川さんが俺の匂いを無条件で好きなのに対して、有木さんは俺の匂いが無批判的に嫌いなんだと思う。いや、いくら俺だって体臭についてそこまで酷評をされたことがないので、有木さんも有木さんで少し特別な気がする。姫川さんの例を既に知っていたので、俺は真逆のことを言われてもスッと受け取ることができた。好きな人もいれば嫌いな人もいるのだ。


 嫌がられそうなので有木さんの傍へは寄らないでおこうとしていたのに、有木さんの方から寄ってくる。「あたしもその色塗る。絵の具貸して。二人で使おうよ」


「え、あ、うん。いいけど……」


「いいけど、なに? 対価を求めるってこと?」


「求めないよ。いや、有木さんって」


「呼び捨てでいいよ。あたしも丹羽って呼び捨てにするし」


「うん。有木さんってさ」


「呼び捨てでいいって言ってんじゃん」と笑われる。「聞いてた?人の話」


「や、女子を呼び捨てとか、慣れてないんだけど」


「あ、そんな感じ? 女子に慣れてない?」


「呼び捨てに抵抗感がある」


 有木さんは無視しつつ「まあ女子とはお近づきになれないかー」と一人頷く。「くっさいもんね、丹羽。マジで近づけない。結界師じゃんね」


「一度許可したらホント容赦ないな。……それについて言いたかったんだけど、俺って臭いんでしょ? いっしょに作業できるの?」


「この距離がギリギリ」と有木さんは俺を指差し、自分を指差す。二メートルくらいか。「この距離でも、丹羽が動いて気流を作ったら無理だし、丹羽がもっと汗掻いてきたらそれも無理」


「じゃあわざわざいっしょにやらなくてもいいよ」と俺は笑う。


「や、あんた面白いし」と有木さんも笑う。「すごい変わってるでしょ?丹羽って」


「普通だよ」その発言は心外だった。「匂いのことに関しては……まあ臭いって言われて新鮮だったからテンション上がったけど、あとは別に普通だよ。平凡」


「臭いって言われてテンション上がる時点でおかしいから」とまた笑われる。「まあいいじゃん。いっしょに作業しようよ。今日は友達いなくて超暇なんだよ」


「臭くないんだったらそれでいいんだけど」


「臭いけど。心配しなくてもときどき息継ぎしに抜けるよ」


「いま呼吸してないんだ……」


「ホントにちょーっとしかしてない。それでも匂うよ」


 ずっと笑ってしまう。「そんなんだったらあっち行けよ」


「いいじゃんかよー。気にすんなって。マジで耐えられなくなったら一時避難するから」


「ったくよう」


「ふししし」


 つって、まあたしかに有木さんがいてくれると退屈せずに済んで時間の流れもスムーズだ。喋ってばかりで色塗りの手が止まってしまっている感もなくはないが、こんなの、一時間も二時間も黙々となんてやっていられない。先は長い。準備期間はまだまだあるのだ。


 午後五時を過ぎてもまだ塗り塗りしていると、青団の応援係、つまり姫川さん達が一足先に帰っていく。姫川さんは陽キャ軍団に囲まれ、さらには六海皐月と肩を並べて中庭を通り過ぎていく。ああいう集団の内側にいる姫川さんはやっぱり様になっていて、少しも不自然じゃなくて、あそここそが姫川さんにふさわしい場所なんだなあと改めて思わせられる。六海皐月も、姫川さんに負けず劣らず輝いていて、ムカつく。


 姫川さんは六海と何やら話していて、櫓係には目もくれず歩き去る。


 眺めていると「丹羽はあそこには加われないよ」と有木さんに言われる。「悔しいだろうけどね」


「加わりたくないよ」と俺は返す。


「あたし達には遠い存在なんだよ」と有木さんはわざとらしく悲しげに言う。


「でも、有木さん」


「有木でいいっつってんじゃん。叩くよ?」


「俺に触れられる?」


「いや無理だったわ。汚い」


「汚くない。臭いだけだよ」


「でも臭いものって基本触りたくなくない? 汚いし。うんちとか」


「女子高生がうんちって言わないで」


「いや言うでしょ。じゃあうんちしに行くときなんて言って席外せばいいんだよ」


「何も言わなくていいよ。黙ってしに行けよ。あと俺をうんちと同列に扱うな」


「同じじゃん。臭いんだし。……で、なに?」


「何が」


「何が?っつって、あんた何か言いかけてたじゃん。なに?」


「なんか言いかけてたっけ?」


「あんた頭涌いてるんじゃない? 脳味噌うんちなんだよ。言いかけたじゃん。『デモユウキサン』っつってさ」


「そんな地球外生命体みたいなイントネーションじゃないと思うんだけど……ああ、思い出した。たしかになんか言おうとしてた」


「なに?」


「いや、有木さんはさ」


「有木でいいって」


「ちょっと黙って。有木さんってさ、でも陽キャ軍団に混ざれないの? けっこう綺麗じゃない?」


「はあ?」蹴られる。スカートの中身が……と思ったけど、当たり前のように体操服のジャージを穿いているから見えないんだった、そういえば。「あんた、バカじゃないの?」


「いや」


「臭いのは体臭だけにしときなよ。台詞まで臭かったら救いようないよ」


 臭かったか。だけど有木さんが普通に綺麗なのは率直な感想だ……が、まあたしかに面と向かってわざわざ言わなくてもよかったかもしれない。有木さんが遠慮なくバンバン言うので、心の距離感がバグる。友達と駄弁っているかのような心持ちにさせられてしまう。しかしさすがの有木さんもちょっと顔を赤くしているし、言っていいことと悪いことはきちんと分けて考えるべきなんだろう。

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