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地学の授業

 相手の匂いが好きかどうかというのは恋愛においてかなり重要なポイントだとネットにもいっぱい書いてあるんだけど、そんなの動物じゃあるまいし、実際に匂いの良し悪しが優先事項の上位に上がって来ることなんてほぼほぼないだろう。そりゃあ匂いがいいに越したことはないけれど、容姿や性格よりも重要視されたりなんてまずしない。まあそれはもうわかっている。もっとタメになることが書かれていないかなと期待して検索しただけだ。


 地学の授業は生物との選択制で、お隣の二年五組と合同で実施される。別棟の講義室へ移動し、そこで地学を選択している四組五組の生徒全員でいっしょくたに授業を受ける。二人用の少し長い机を使うのだが、俺の隣は姫川さんだ。実は姫川さんが隣だって知らなかった。いや、二年生になって地学の授業が始まり、二ヶ月間、席順もずっと変わっていないんだけど、無関心って恐ろしい、隣が女子だとは認識していたものの、興味がなさすぎて誰なのかまでは把握していなかったのだ。姫川さんじゃん。マジかー。


 授業開始までまだ時間があったので、その話を姫川さんにすると「ひどーい」と言われる。当たり前か。


「いや、モテない男子にとっては隣の席の女子なんて誰でもいっしょなんだよ」


「そんなことないよ」


 この『そんなことないよ』は『丹羽くんはモテなくなんてないよ』ってことなのか『モテなくても隣の女子が誰かは普通気になるでしょ?』ってことなのか、どちらなのかがわからないので触れず、「姫川さんも話しかけてくれなかったし」と俺は言う。


「私は……どっちかというと人見知りだし」


「そうなのかなあ」友達も多い印象だ。


「それに……」辺りを見回してから小声で言う。「丹羽くんの匂いを嗅ぐのに必死だったから」


「必死にはならないでよ」


「私は丹羽くんにずっと後ろめたさがあったから、話しかけづらかったっていうか……下心を見透かされそうで、やりづらかったよ」


「黙ってこっそり匂いを盗み嗅ぎしてたっていう後ろめたさ?」


「盗み!? まあ……そうだね」


「これからは大丈夫でしょ?」と俺は姫川さんを見る。


 姫川さんは少し目を逸らし、「バレちゃったからね」と呻く。「後ろめたさはなくなったかな」


「よかったね」


「よか……ったかなあ。まあねえ」


「よかったよかった」


「……丹羽くんは、私と付き合いたいって言っておきながら、隣が私だって知らなかったんだ?」


 今度は姫川さんが俺をジトリと見つめ、俺が目を逸らさせられる。「うーん……不思議なこともあるよなあ」


 まあ俺の場合、姫川さんに熱を上げだしたのが先週からなので致し方ない。姫川さんが可愛いというのはずっと前から知っていたけど、姫川さんが可愛かろうが美しかろうが俺には関係がないと思っていたし。むしろ、姫川さんが可愛ければ可愛いほど、美しければ美しいほど、俺とは縁遠くなる。そういうもんだろう?


「丹羽くんはもっと他人に興味を持とう」


「別にいいよ。興味を持ったって付き合ってもらえるわけでもないんだし」


 姫川さんは苦笑する。「嫌味だあ……」


「嫌味じゃないよ」


「嫌味だよ。ごめんねって言ってるじゃない」


「わかってるよ」今はそれでいい。「姫川さんは姫川さんが好きだと思う人と付き合えばいいよ」


「…………」姫川さんは怪訝そうに俺を見てから「とにかく、嫌味は言わないでください」と頬を膨らませる。「私は悲しいです」


「はいはい、わかったよ」俺は姫川さんの近くで夏服のカッターシャツをバタバタさせる。こうするとたぶん香りが立つ。「ごめん。許して」


 姫川さんは瞬く間に目をとろんとさせ、細める。口が少し開く。「……こんなので許してもらおうだなんて…………卑怯だよ」


「ごめんて言ってるじゃん」バタバタバタ。「もう言わないから」


「わ、わかったよ。わかったから。バタバタしないで」


 俺は手を止める。「なんで?」


「みんなに見られたら気付かれちゃう……」


「いや、こんな程度じゃ気付かないだろ」傍から見たら、俺が姫川さんの隣で暑さに耐えかねてシャツの中に風を入れているだけにしか映らないだろう。俺が体臭を巻き上げて姫川さんに嗅がせているだなんて、よほどの変態じゃなければ想像できまい。「過敏だよ、姫川さん」


「そ、そうかなあ?」


「周りの生徒はみんな一般人だから」


「そ、それって私だけがおかしいってこと?」


「言ってない言ってない。そんなことは言ってないよ」


「言いたそうだよ!」


 だけど、実際に姫川さんに匂いを嗅がせてそのときのリアクションを見るのは初めてだったけれど、姫川さんの恍惚とした表情はどうジャッジしても一般人のそれではない。言っちゃ悪いが変質的だ。普通、どんなに素晴らしい香りを鼻に入れても、ああはならない。


 なんか、すごいなあと思う。こんなに可愛らしい女子高生に、あんなに異様な性癖が隠れているなんて、誰が思うだろうか。ひょっとすると、他の女子にもそれぞれになんらかの異常性があったりするのかもしれない。みんな上手く隠しているだけで。そうでも思わないと、こんな、姫川さんだけが飛び抜けておかしいのが……なんというか、不公平というか、可哀想じゃない? 俺はそのおかげで希望を保てているのだが、それでもそう思ったりする。


 授業が始まり、講義室は静かになる。姫川さんも真面目に板書をノートに写している。ただし、ときおり俺の方を見て、によによ笑っている。たぶん、ふと俺の匂いが鼻を掠めるんだろう。そんなときに俺を意識し、俺に目線で知らせてくれるんだろう。『香ったよ』みたいに。姫川さんの鼻は明らかに狂っているけど、姫川さん自体は可愛らしくていい。


 途中、姫川さんがシャーペンを落とす。転がったのが机の内側、俺の方だったで拾おうとすると、「いいよ」と言われ、姫川さんが上半身を低くし、腕を伸ばし、自分でシャーペンを拾う。俺が拾った方が明らかに楽なのに、なんだよ、と思っていると、上半身を下げたまま、姫川さんが俺の(すね)辺りの匂いを嗅ぐ。


 驚きのあまり「う!?」と声が漏れてしまう。鼻! 鼻が当たっている! 姫川さん!


「拾えた」姫川さんは位住まいを正し、ちょっとイタズラっぽく笑う。


「お、おお……」

 声を悟られていないかさりげなく周りに目をやるが、不審がる視線はもらっていない。よかった。


「やっぱり丹羽くんにバレてよかったよ」こそりと言われる。「こんなふうに嗅いでも怒られないし」


「お、怒らないけど、大胆」


「大胆じゃないよ。拾うついでに嗅いだだけじゃない」


「そうかあ……?」鼻が当たったんだけど。「……あ、ちなみに姫川さん。どこの匂いでもいいの? ここは臭くて無理とかないの?」


「全部嗅いだわけじゃないし」と姫川さんは苦笑を浮かべる。「でも、無理な部分はないと思うよ? だって、強い弱いこそあれ、匂いの軸は基本的にいっしょでしょ?発してるのが丹羽くんなんだから。私はどこだって平気だし、嗅ぎたいよ」


「そっか」

 まああの臭すぎる体操服も嗅いでいたわけだから、なんでも来い!なんだろうなあ……。


「足も、汗掻かない限りは落ち着いた匂いだね」


「体育がないとそうそう汗も掻かないしな」


 姫川さんは物足りなさそうにしているが、こればかりは仕方がない。普通に座って授業を受けているだけでは汗など出ない。

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