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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

謝罪

作者: 桜森よなが

 白状します。


 私は今まで他人のために謝ったことがありません。


 謝る時はいつも自分のために謝っていました。


 本当に心の底から申し訳ないと思って、謝ったことがないのです。



 たとえば小学生のころ、宿題をやってこなかった私に先生がかんかんに怒ったことがありました。


 私は先生に何度も頭を下げて謝りましたが、あれは自分のための謝罪でしかありませんでした。


 本当に先生に申し訳ないと思って、謝ってなどいなかったのです。


 つい先日も、友達と遊ぶ約束をしていて、待ち合わせの時間に遅れてしまったのですが、その時友達にした謝罪も、まったく心にこもっていないものでした。



 このように、私はいつも体面を気にして、その場しのぎの平謝りをしているのです。


 私って酷い女だわ、と思いながらこれまで生きてきました。



 そんな私にきっとバチがあたったのでしょう。


 ある女性と出会いました。


 その人は黒羽根菊子という人でした。


 彼女は神様が私に罰を与えるために、天から遣わした人なのかもしれません。



 ある日、学校の廊下で、曲がり角に差し掛かった時、黒羽根さんとぶつかってしまいました。


「あいたっ」


 と彼女は小さく呻き、手に持っていたノートと教科書を落として、尻もちをつきました。



 私は「あっ、ごめんなさい」と言い、ノートと教科書を拾って、お尻をはたきながら立ち上がる彼女に差し向けました。


「大丈夫ですか?」と私が言うと、彼女は「べつに問題ないわ」とクールに言い、私の手から教科書とノートを受け取りました。


「ケガとかしてない? ごめんね」と言うと、黒羽根さんはそのきりっとした目を細めて私をにらんできました。


「あっ、ケガしてた? 本当にごめんね」と言うと、「べつに、ケガしてないわ、ぶつかったことで怒ってもいない」と彼女は冷たい表情で言うのです。


 私は不思議に思い、「じゃあなんで怒っているの?」と訊くと、「さぁ」と言い、そのまま私に背を向けて去って行ってしまったのです。


 変わった人だなぁ、と思いました。



 その数か月後、こんなことがありました。二学期の体育祭の時のことです。


 私は200メートル走で黒羽根さんと隣同士のレーンで走ることになったのですが、運動不足がたたってしまったのか、私は途中で足がつってしまい、転んだ拍子に前にいた彼女も巻き込んで倒してしまったのです。


 ごめんなさいと私は言いましたが、彼女は無言ですぐに立ち上がり、再び走り出してしまいました。私はそのまま棄権することになりました。



 200メートル走が終わった後、黒羽根さんのもとへ片足を引きずりながら行き、謝りました。


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、私は軽薄な自己保身の謝罪を繰り返しました。自分でもなんて軽くて薄っぺらい言葉なのだろうと思いながら。


 黒羽根さんは偉そうに腕を組んでしばらく黙って聞いていましたが、やがてぽつりと、


「あなたって、すぐに謝るわね」と言い放ちました。



「え、ご、ごめんなさい」


「ほら、またそうやって。本当に申し訳ないと思ってる?」


 そのとき、私はドキリとしました。彼女の目が私をまっすぐ見つめていて、その目はきれいで、透き通っていて、私の心の奥底を見抜いていて、それを責めているようでしたので。



「言葉はね、言えば言うほど軽くなるのよ、あなたってなんか薄っぺらいわ」


 それを聞いて、確信しました。


 ああ、彼女は私の醜悪な本性を見抜いているのでしょう。


 私は私のエゴイスティックな心を恥じました。


 しかし、恥じても、私の利己性は変わることはありません。


 直そうとしてどうにかなるものではないのです。


 利己的な人間というものは根っこからエゴの塊なのですから。



 それからさらに月日が経って、高校二年生になったとき、なんと黒羽根さんと同じクラスになってしまいました。


 毎日、彼女と顔を合わせることになったのですが、私の顔を見るたびに、ちっと舌打ちしたり、睨んだりしてきます。


 そんな彼女に対して、私の友達たちは「なんか感じ悪いよねー、あの人」と言っていました。


 黒羽根さんは嫌われ者で、対する私は、実際のところはどうであれ、表面的には優しいのでクラスでも人気のある存在でした。


 よく言えば、私は誰に対しても気配りのできる人、悪く言えば八方美人というかんじの人なんだと思います。


 黒羽根さんはだいたいいつも一人でいて、他人に興味なさそうで、協調性のない人でした。



 そんな彼女ですが、私に対してだけは露骨に嫌悪感を示してくるのです。


「きっと優しくてかわいくて、勉強のできるあやちゃんに嫉妬しているのよ」


「そうにちがいないわ」


 と私の親友たちは言ってくれます。


 私は自分で言うのもなんですが、客観的に見ても美人でした。黒羽根さんはというと、はっきり言ってお世辞にもルックスが良いとは言えない顔立ちです。


 見た目がよくなくても愛嬌を感じる顔立ちというのはありますが、彼女はそれにすら当てはまりません。


 人に不快感だけを与える見た目をしているのです。


 そのせいもあるのでしょう、ここまで彼女が悪印象を持たれているのは。


 でも、彼女が妬みや嫉妬心から私に冷たく当たっているのではないと、私は知っています。


 黒羽根さんはそんな浅い人間ではないのです。



 ある日、教室に消しゴムが落ちていました。それが私は黒羽根さんのものだと知っていたので、彼女が落としたのだろうと思い、拾いました。


 黒羽根さんの席に行き、彼女に声をかけました。


「黒羽根さん」


「なに?」と迷惑そうな顔を私に向けてきました。


「これ、黒羽根さんのでしょう? 落ちていたよ」


 と言うと、彼女は奪い取るように、私から消しゴムを受け取りました。


 それから礼も言わず、彼女はそっぽを向いて黙りこくってしまいました。


 私は心の中で溜息をついて席に戻ると、先ほどのやり取りを見ていたのか、わらわらと私の周りに友人たちが集まってきました。



「なーにあのひと」


「礼くらい言いなさいよ」


「あの態度はないよねー」


 なんて友人たちは言います。優しい(というイメージを持たれている)私は苦笑いをただただ浮かべていました。



「最近、思い出したのだけど、黒羽根さんって確か、一年の時の体育祭であやちゃんとぶつかっていた子よね? もしかしてその時のことを根に持っているんじゃないかしら?」


「あー、そういえばそんなことあったね、あれ、黒羽根さんだったのかー」


「でも、だからってあの態度はなくない?」


「そうよねー、いつまで根にもっているのよ、ってかんじ」


「あやちゃんはちゃんと謝ったのよね?」


「うん」


「謝ったのに、まだ怒ってるっていうこと? 心狭すぎじゃない?」



 友人たちは、だんだん私がひどいことされたから怒っているというより、自分たちがただ黒羽根さんを中傷したいから怒っているというかんじになっていきました。


 彼女たちはそれからも黒羽根さんの悪口で盛り上がります。


 悪口というのは、いい話のネタになります。


 人間は――特に女性は、えてして悪口を好んで言うものです。


 私も表面上は困ったかんじで苦笑をしていますが、心の底では実は楽しんでいたりします。


 しょうがないじゃないですか、私だって一般的な醜い人間のうちの一人ですもの。


 ちらっと黒羽根さんを見ると、彼女は私に対して「ニコリ」と侮蔑の笑みを向けてきました。


 ああ、やはり、彼女は私の醜い心の奥底などお見通しなのでしょう。



 そのうち、黒羽根さんは私を露骨にいじめるようになりました。


 廊下ですれ違ったとき、わざと肩をぶつけてきたり(まるでヤクザや不良のようですよね)、私の上靴に画びょうを入れたり(なんて古典的なのかしら)、シャーペンや消しゴムが紛失したり(ゴミ箱に入れられていました)、彼女の嫌がらせは枚挙にいとまがないです。


 黒羽根さんはそういう行為を、私以外の人にはバレないようにしてきます。


 最初のうちは我慢していた私も、限界になってきました。



 べつに彼女が私に何もしなければ、私も何もしないのに。


 残念です、黒羽根さん。



 私は彼女のよくない噂をあることないこと流しました。


 あくまで私が直接悪口を言うのではなく、「こんなこと話してる人がいた」とか「こんな噂をしている人がいた」という体で友人たちに言いふらしました。


 だって私が直接悪口を言ったら優しい私のイメージが崩れてしまうではありませんか。


 売春をしているとか、万引きをしているとか、そんな信憑性の全くない話をしても、私はクラスメイト達から信頼されていたので、その話は真実として受け入れられました。



 やがて、彼女はいじめられるようになりました。


 机に、ブス、とか、売春婦、とか悪口をマジックで書かれるようになりました。


 彼らに良心の呵責はありませんでした。


 人は悪い(と思い込んでいる)人間に対しては、ひどく残酷になれるものです。


 彼らはあのようないじめをなんと正義感でやっているのです。不思議ですよね。



 私は表面上は優しい人間でしたので、いじめに加わりませんでした。


 むしろ、目にしたときは止めました。「やめようよ、そういうことは」と善良なふりをして。


 「あやちゃんは本当に優しいね」なんて言われます。


 ごめんなさい、私、本当は全然優しくないのです。バカなあなたたちは一生、気づかないのでしょうね。



 ある日の放課後、黒羽根さんが私を人気のない体育館の裏に呼び出してきました。


 彼女は蔑んだ笑みを私に向けてきます。


「私の変な噂を流しているの、あなたでしょう?」


「あら、なんのことかしら?」


「とぼけないで、わかっているのよ」


「ごめんなさいね、黒羽根さん」


「謝らないで、気持ち悪い、ぜんぜん悪いと思ってないくせに」


「ええ、悪いと思ってないわ、悪い?」


「悪いわよ、いつも人畜無害そうな顔しているくせに、心の中はそんな真っ黒だなんて、気持ち悪い、死ね」


「死ねだなんてひどいわ、あなただって、私にさんざん嫌がらせしてきたじゃないの」


「あなたみたいな人には当然の対応よ」


「そんな、私とてもいい子に過ごしているのに」


「表面上はね」


「中身もきれいよ?」


「どうだか。あなたのその醜い心の内、いつかぜったい白日の下に晒してやるから、覚悟してなさいよ」


「どうやって? 私はクラスの人気者で、とても信頼されているわ、それに比べてあなたはどうかしら? クラスで孤立しているあなたが――嫌われ者のあなたが、どうやって私が醜い人間であると、みんなに気づかせることができるというのかしら?」


「無論、最初はなかなか信じてもらえないでしょうね、ですが根気強く、あなたが周りが思ってるような人間でないと、きちんと根拠を示して、少しずつでも知れ渡らせていくわ。あなたが破滅するその日を私、楽しみにしてる」


 フフフフフフ、と不気味に笑って黒羽根さんは去っていく。



 ああ、彼女は本気なのでしょう。


 私にはわかるのです、黒羽根さんはどれだけ時間をかけても、私を徐々に徐々に追い詰めていくのでしょう。


 彼女はとても執念深い女です。


 でもね、黒羽根さん、破滅するのはあなたの方よ。


 あなたは、私を本気にさせました。


 とても残念です。私だってしたくないのよ、こんなことは。



 私は綿密に計画を練りました。


 そして準備が十全に整ったところで、彼女を夜の学校の屋上へ呼び出しました。



 私は職員室に侵入して盗んだ屋上の鍵を使って、屋上へと出ました。


 星の瞬く夜空が近くで見られる学校の屋上、なかなか幻想的な光景です。


 私は向こう側の右端のフェンスにもたれかかりました。


 この学校は四階建てで、見下ろしてみると、その高さを如実に感じさせられます。高所恐怖症の人は怖くて下を見られないかもしれません。


 やがて、黒羽根さんがドアを開けて出てきました。


 来るなり、私をぎろりとねめつけてきます。


「おまえ、どうして私のIDを知ってる?」


 私はトークアプリで彼女を屋上へと呼び出したのです。


「あなたの妹が教えてくれたのよ、あの子、あなたと違って美人で純粋な子ね、あなたと友達だって言ったら、快くあなたのIDを教えてくれたわ」


 と言うと、黒羽根さんの顔がさらに険しくなりました。


 彼女には昨夜、こういうメッセージを送りました。



『黒羽根さんの妹と会ったわ、とてもいい子ね。

 平穏な学校生活を送れるといいわね、あなたの妹。

 あ、明日の夜10時に、学校の屋上に来てね。待ってるから』



 黒羽根さんは約束通り、来てくれました。


 いえ、来ざるを得なかったのでしょう。


 彼女は同じ高校に通う一歳年下の妹をとても大事にしているということを、情報収集によって私は知っていました。



「私の妹に何をするつもり?」


「はて、私がいったい何をするというのかしら?」


 と口では言いましたが、あなたが来なかったら、あなたの妹のあることないことを学園中の人に言いふらすつもりでした。



「ふざけないで、私の妹にだけは、手を出させないわよ」


「被害妄想が過ぎるわ、なにもしないわよ」


「信じられないわ、わざわざ妹のことを言及しておいて。私の身内まで攻撃対象にするなんて、なんて狡猾な女なの、あなたは」


 彼女は私から一定の距離をとって、侮蔑の目を向けてきます。


 私はそんな彼女を手招きしました。


「ねぇ、黒羽根さん、そんなところにいないで、もっと近づいてきなさいよ、声が聞き取りづらいわ。ほら、私の隣まで来て、星がきれいよ、一緒に見ましょう?」



 黒羽根さんは警戒心を抱きながらも、私へ近づいてきました。


 彼女は私に逆らえません。私の機嫌を損ねたら妹に危害が及ぶかもしれないからです。


 黒羽根さんは私のすぐ隣には来ずに、少し離れたところの柵にもたれかかりました。


 私は彼女ならそうすると読んでいました。


 黒羽根さんは私のすぐ近くに来ることを嫌って、少し距離を取るだろうと予測していました。



「へっ?」


 黒羽根さんが素っ頓狂な声を上げました。


 彼女がもたれかかっていた柵が外れたのです。


 そのまま彼女は柵とともに真下へ落ちていきます。


 四階建ての学校の屋上から、勢いよく地に吸い込まれて行って、やがてドシャッという音がかすかに聞こえてきました。



 私は事前に調べていました。さっきまで黒羽根さんがもたれかかっていたところの柵が外れかかっていたということを。


 私は狙ってこの状況に彼女を追いこんだのです。



 黒羽根さんの死に顔を見ようと、校舎を出て、グラウンドの方へ行くと、私を鬼のような形相でにらんでくる彼女がいました。


 血だらけで体がぐしゃぐしゃになっていました。意識がまだあるのが不思議なくらいです。でも、この様子だとまもなく息絶えるでしょう。



「呪ってやる……ごほっ、げほぉっ、呪ってやるぅ……」


 血反吐を吐きながらつぶやく黒羽根さんはなんだかホラー映画に出てきそうでした。


 私は慇懃無礼に頭を下げました。


「ごめんなさい、黒羽根さん」


「全然申し訳ないと思ってないくせに……」


「ええ、さすがね、黒羽根さん、あなただけね、私をわかってくれるのは。ねぇ、黒羽根さん、私ね、実はあなたのこと、そんなに嫌いじゃなかったのよ」


「ふん…っ…嫌いじゃないのに殺すのか……本当に気持ち悪いわ……私はあんたのことが大嫌いよ……」


「でしょうね」



 私はきっと今、満面の笑みを浮かべていることでしょう。


 彼女は最後まで侮蔑の眼差しを私に向けたまま、死んでいきました。


 かわいそうな黒羽根さん。報われない人生だったね。


 そうして私は彼女を殺しました。私が殺したとばれないように。


 私の安寧のために彼女には死んでもらいました。



 その後の話をしましょう。


 黒羽根さんの死は少しの間だけ世間を騒がせました。


 しかしながら彼女の死は不慮の事故ということで片付けられてしまいました。警察って無能なんですね。



 彼女の葬式が行われました。


 クラスメイト達も葬式に来ていましたが、誰も泣いていませんでした。みんな薄情ですよね。


 え?私ですか、私は泣きましたよ、それはもう号泣です。


 当然じゃないですか、だって私は優しい女の子なんですから。

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