さらに爆走ディアナ嬢
ディアナは、わたしの腕をひっぱりつつどんどん廊下の奥へと突き進んでいく。
彼女、たしかここは「お仕置き屋敷」って言ったわよね。使用人を一人も置かず、彼女だけ閉じこめているのかしら。それだったら、ほんとうにお仕置き屋敷にふさわしいかもしれない。
屋敷内に使用人などがいる気配はない。並んでいる部屋の扉は、どれも開けっ放しになっている。廊下もだけど、部屋の内もロウソク一本灯っていない。
ディアナはここに何回も、いえ、何十回も閉じこめられているに違いない。だから、うす暗くてもなんの躊躇もなく廊下を歩けるのかもしれない。
ほんのちょっとだけ彼女を頼もしく思いかけて……。
「ギャアアアアアアアアッ!」
ディアナのことを頼もしく思いかけた瞬間、彼女がすさまじい悲鳴を上げた。
鼓膜がやぶれたのではないの? というくらいすさまじい悲鳴だった。
一瞬、侵入者がいたのかと思った。
だけど、そんな気配はない。わたしも、いまはうす暗さに目が慣れてきている。人影くらいは見分けられる。
「ディアナさん、いったいどうしたのです?」
ディアナにささやき声で尋ねてみた。
「な、なにかフニフニした物を踏みました」
「フニフニしたもの?」
侵入者が、はやくも罠か何かを仕掛けたということ?
「ディアナさん、そっと足をどけて下さい。そう、そっとです」
彼女の足許にしゃがみ込み、フニフニの正体を探ろうとした。
彼女の素足がそっとどけられた。
彼女、屋敷内を裸足で歩きまわっているのね。
まぁ一人きりなのであれば、素足だろうが靴だろうが咎める人はいないでしょうけど。
彼女の足の爪は、ド派手な色合いに塗りたくられている。さすがよね。頭のてっぺんから足のつま先までおしゃれに余念がないのね。
ムダに感心してしまう。
あっと、いまはそれどころではなかった。
うす暗い中、しゃがんだ姿勢でさらに顔を床に近づけてみた。
廊下の床上に、何か塊が落ちている。
うっ……。
すさまじい臭気に、わたしの低すぎる鼻がもげるかと思った。
いまさらだけど、わたしは鼻も低い。神様は、体のすべての部位が小さいので鼻も低くしてくれたのよね。
そんな自虐めいたことはともかく、一瞬毒のにおいかと思った。だけど、酸っぱいこのにおいは嗅いだことがある。
お酢?
そう。酢のにおいのような気がする。
「酢のにおいみたいだけど」
「ああ、それならさっきキャベツの酢漬けの瓶から中身をふっ飛ばしたのです」
「はい?」
「キャベツの酢漬けです。妃殿下は、ご存知ではないですか?」
「それは知っています。大好きですし」
「わたしはあまり好きではありません」
あの、ディアナ?
わたしたち、いまここでキャベツの酢漬けの好き嫌いについて論じあっている場合じゃないわよね?
「食べようと思ったら、瓶の蓋が開かなくって。それで、この厨房でナイフやフォークを使い、こじ開けようとがんばってみたのです。そうしたら、スポーンッてはずれちゃいました。あ、蓋がってことです。ビックリなことに、蓋が飛んでいっただけでなく中身も飛んでいってしまいました。それが、これです。廊下までふっ飛んでいくって、どれだけ飛べばいいのよって感じですよね?」
彼女は、世の中の男性たちが見惚れるほどの笑顔に笑声を添えた。
耐えるのよ、わたし。人にはそれぞれ性質というものがあるの。わたしには、たくさん悪いところがある。もちろん、彼女にだってあるわ。おたがい様なのよ。
だから、いまは無心でいるの。
「どうして掃除をしないの」とか、「そもそも、瓶の蓋をどうしてもっとスマートに開けようとしなかったの」とか、思うところはいろいろありすぎるけれど、そんなことは些細なことなの。
そのとき、気配を感じた。
ビビビッときたのである。これは、小説などに出てくるような「運命的な何か」のビビビッではない。
動物的感覚? 女の勘? 第六感?
とにかく、嫌な感じのビビビッである。
身構えたときには、廊下に複数名の影が浮かび上がっていた。
ディアナがふっ飛ばした酢漬けキャベツの前でしゃがみ込んだまま、何度か瞬きして集中してみた。
いずれもこの夜の為にロイター公爵家が雇った給仕人たちである。正装で、髪もきっちり整えている。小説のように黒色の覆面をかぶっているわけではなく、素顔をさらしている。
ディアナは「ガラの悪そうな連中」と言っていたけれど、給仕人の恰好をしているかぎりではそこまで悪そうには見えない。
パッと見たかぎりでは四人。もしかすると、屋敷内のどこか他の部屋にまだ複数人いるかもしれない。だけど、たかだかわたし一人を殺すのに、そんなに大勢を雇っているとは考えにくい。
うす暗がりの中、そう言われてみれば男たちはちょっと特殊な雰囲気を醸し出しているような気がしてこないわけでもない。
小説では暗殺者とか工作員などは、そういう特殊な気をまとっていることが多い。だけど、現実世界では違う。
リタとゾフィは、ふつうの雰囲気だから。
だけど、目の前のこの四人からは、普通の男性にはないものを感じるような気がする。
雰囲気がどうであれ、侵入者であることに間違いない。わたしを殺そうと、あるいは攫おうとしていることに違いないでしょう。




