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古傷

 ラインハルトの身支度を手伝わせてもらった。彼も、自分のことは自分でやる主義である。というよりかは、彼は根っからの軍人なので、身支度はもちろんのことなんでもこなせるのである。もっとも、他の上級将校のほとんどは貴族である。彼らは身の回りのことは自分でせず、従卒が世話をしているらしい。


 ラインハルトとジークとシュッツの三人は、皇宮にしろ軍にしろ出来るだけ身の回りの世話をしてほしくないのである。仲がうまくいっていないふりをしていること、スパイされることを懸念していること、これらの理由で出来るだけ周囲に他人を置きたくないのである。


 というわけで、彼は皇宮でも身支度は自分でしてしまう。


 それを、今朝はじめて手伝わせてもらったというわけなのだ。


 シャツを着用するとき、彼の右腕に傷痕があることに気がついた。上腕の裏側だったから、いままで目につかなかった。


 上腕二頭筋から手首にかけて、一筋の線がはしっている。とはいえ、かなり昔のものらしい。


 剣で斬られたもののように見える。


 そのとき、また頭の中にモヤモヤとした映像が浮かんできた。


 いやだわ。またデジャブ?


 わたし、どうかしてしまったのかしら?


 違う意味で不安になってきた。


 それはともかく、彼の腕の傷に見覚えがあるわけはない。それどころか、彼にかぎらずどんな傷痕も思い出せるかぎりでは見たことがない。それは、わたし自身も含めてである。


 剣による傷痕だなんて、そうそう見る機会はないでしょうから。


 それとも、自分が覚えていないだけで幼い頃に傷痕が出来るようなことがあって、トラウマとか潜在的に残っているというのかしら?


 生まれ育った国は、幼い頃に戦争で滅ぼされた。もしかしたら、そのときに斬られて大ケガでもしたのかもしれない。そんな怖いことがあったのなら、そのときの記憶はもちろんのことその前後の記憶がなくなっているというのもありえるかもしれない。


 小説では、そういうことがよくあるから。


 亡国の王女の大活躍を描いているとか復讐劇とか……。


 同じ亡国の王女でも、わたしとは比べものにならないほど魅力的な王女はじつに多い。


 そういう小説を読むたび、創作とはいえあまりにも違いすぎて滑稽だった。


「チカ?」

「あ、陛下。申し訳ございません」


 すっかり考え込んでしまっていた。

 慌ててラインハルトにシャツを手渡した。


「この傷に……」


 彼が言いかけた。


「古傷ですね。大分と前のことですよね」


 剣士である彼に、あまり傷のことを詮索するのはよくない気がする。きっと、不愉快に違いないでしょうから。


「あ、ああ。若かったからな。無鉄砲の結果がこれだ。情けないかぎりだ。筋をやられなかっただけでも幸運だった。やられていたら、剣を握ることが出来なくなったかもしれない」


 そうなっていたら、彼はもしかしたら皇帝になれなかったかもしれない。皇帝という地位は、彼が望んで得たわけではない。だけど、彼が皇帝であるからこそ、いまのバーデン帝国があるといっても過言ではない。


 帝都にやってきたときに見た光景や、遠乗りの際に見るこの国の平和で穏やかな日常は、もっと違っていたかもしれない。


 そして、わたしたちの出会いもなかったかもしれない。


「チカ、じつは同じ時期にもう一か所傷を負ったんだ」


 彼が下着の裾をめくると、左腹部にやはり剣で斬られたような古傷があらわれた。


 斬られたというよりかは、かすめた感じかしら。


 んんんんんんん?


 またまた見たことがあるような気がする。


 これまでのようなモヤモヤした感じではなく、チカチカと何かの光景が頭の中で瞬いている。


 いったい、なんなのよもうっ!


 だんだんイライラしてきた。


 なにか思い出さないといけないような気がしてならない。重要ななにかを。


 それなのに、まったく思いだせそうにない。


「チカ。もしかして、きみは思い出したのか? この傷、見覚えがある……」

「お義母かあ様、身支度をしましょう」

「まあっ、お邪魔でしたか?」


 ラインハルトがささやくように言ったタイミングで、テラスからリタとゾフィがやって来た。


「陛下、申し訳ございません。なんとおっしゃいましたか?」


 あいにく、彼のきこえなかった。傷がどうのこうのと言っていたのかしら?


「い、いや、なんでもない。あとは自分で出来るから、二人に手伝ってもらって身支度をするといい」


 彼はそう言ってくれたけど、気になるわ。


 気になってはいたが、そのあと自分の身支度でてんてこまいになってそのことは忘れてしまった。


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