怪しげな手紙
そのイルマが、封筒を差し出してきた。困ったような表情をしている。
「家族からの手紙といっしょにこれが……」
「あら、ご家族はかわりない?」
イルマの家族は、彼女によく手紙を送ってくる。とくに弟や妹たちが日常のなんでもないことや、村や学校や教会で起こった出来事を記したり、絵を描いて送ってくるらしい。
もちろん、彼女も三日にあけず返事を出している。
「はい、とても元気です。弟の一人が、近くの町で主催された絵画のコンクールで優勝したらしいのです」
「なんですって?」
絵画ときいて壁の絵に視線を走らせた。
ラインハルトの主寝室に飾られていた絵を、続きの間に移してもらったのである。
黒馬が疾走している絵で、ここに来て一目で気に入ってしまった。もちろん、ラインハルトが描いた絵である。
別荘の池の絵も静寂に満ちて素敵だったけれど、この黒馬の絵は躍動感があって素敵すぎる。いまにも絵から飛び出してきそうなほどの大迫力である。
いまはまだ続きの間ですごすことが多い。だから、いつでも見ていたい。
そうねだると、彼はすぐにみずからこちらに移してくれた。
絵がかけられるよう留め具などもちゃんとつけてくれた。
行動力もさることながら、その器用さに驚いてしまった。
「それはおめでとう。一番上の弟さんよね? 帝都の美術学校で腕が磨けたらいいわよね」
「妃殿下、ありがとうございます」
彼女は、うれしそうに笑った。そのブラウンの瞳はキラキラしている。
だけど、美術学校の費用がそう安くはないことを、ラインハルトからきかされた。
いまわたしが言ったことは、無責任であることはいうまでもない。それどころか、傲慢だったかもしれない。
だったら、わたしがどうにか出来るのか? 彼女の弟が美術学校に通えるようにすることが出来るのか?
ラインハルトに頼んで入学金や学費を融通したり、美術学校に入学出来るよう手をまわしてもらったり。
当然、彼に頼めばすぐにでもやってくれる。だけど、それは違う気がする。
それに、彼女の弟だけ、いえ、彼女だけにそういう特別なことは出来ない。それなら、皇宮で働く人みんなになんらかの融通をきかせるべきである。
だけど、やはりなにか出来ればいいのに。
友人として、彼女の力になりたい。
そこまで考えて、ハッとした。
これこそが傲慢だということに気がついてしまった。
愚かすぎるわ。わたしは、たかだか「たらいまわし王女」よ。神様か運命かのいたずらで、たまたまラインハルトに目をかけてもらっただけのこと。それも、いつすべてが消失してもおかしくない。
しあわせをつかんだときと同じように、すべてが消えてしまうのだって唐突に起こるかもしれない。
このしあわせに終止符が打たれるかもしれない。この信じられないようなしあわせが、いつまでも続くとはかぎらないのである。
それを援助ですって? なにか出来ることをしたいですって?
自分のバカさかげんにただただ呆れてしまう。
「あの、妃殿下?」
「あ、ごめんなさい。弟さんにおめでとうと伝えてね」
「はい、かならず。それで、この封筒なのですが……」
気を取り直し、差し出された封筒を手に取った。
わたしの名が記されている。
しかも「チカ」、とだけ。ほんとうに「チカ」、だけしか記されていない。
チカ・ザックスでもなく、旧姓のチカ・シャウマンでもなく。それをいうなら、敬称もない。
封筒をためつすがめつしてみるも、やはりそれ以外に文字は見当たらない。
なに? もしかして、挑戦状とか果たし状の類のもの? 小説に出てくるような決闘でもしようとでも?
男性ならともかく、それはないわよね。では、金銭的なこと? だけど、借金はないはず。だから、督促状でもないわよね。
「怪しげなので侍女長に相談しようと思ったのですが、わたしのところに混じっているのがなにか意味があるのかと。申し訳ございません。危険なものかもしれないと、いまさら思いいたりました。やはり、侍女長に……」
彼女は、慌てて封筒を奪い取ろうとした。
「妃殿下、支度はまだですか?」
「ほんとう、せっかく誘ってあげたのにグズグズしないでほしいわ」
そのとき、リタとゾフィがテラスからやって来た。
二人がさっと視線を走らせ、いまの状況を把握したのがわかった。
「やだ。もしかして、恋文?」
「バカね、リタ。そんなことがあるわけないでしょう? でも、面白そう」
ゾフィがわたしの手から封筒をかっさらってしまった。
「イルマ、行っていいわよ。これ、妃殿下を揶揄うネタになるかもしれないから」
「皇子妃殿下、ですが……」
「いいのよ、イルマ。あなたは何も知らない。見なかった。いいわね? 秘密にしておくのよ。そんな顔をしないで。あとであなたのせいにしたりしないから。あのディアナみたいにね」
ゾフィに言われ、イルマはわたしをそっと見た。
「イルマ、ごめんなさいね。ゾフィは、言いだしたらきかないから。どうせ彼女とリタのイタズラよ。だから、気にしないで」
彼女にささやきかけた。
とはいえ、リタとゾフィにきこえているけれど。
イルマは、不承不承ながら頭を下げて続きの間を出て行った。




