「獅子帝」のギャップと気弱な将軍
「なんだ?」
ラインハルトは、名残惜しそうにもう一度わたしをきつく抱きしめてから離れた。
尋ねた声は、「獅子帝」の鋭く厳しい声音だった。
「陛下、グラーツ将軍閣下がお見えでございます。調練の出発の準備が整ったということです」
執事長の報告に、ラインハルトは控えの間にグラーツ将軍を通せと命じた。
「グラーツ将軍も宰相派の一人だよな」
「ああ、シュッツ。でっ、ディアナの元彼氏だ」
シュッツとジークは、顔を見合わせて笑った。
「ああ、きいたよ。なんでも、たったの二日でディアナにフラれたとか」
「ええ、陛下。それもこっぴどくです。青年将校だけでなく、独身の将校のほとんどが彼女に手痛い目にあわされています。そういう連中は、それでもまだ宰相派なのですから呆れます。矜持ってものがないのでしょうかね?」
「いまどきの軍人は矜持よりもレディにモテることの方が大事なのさ、ジーク。もちろん、ぼくらは違うけどね」
シュッツの最後の言葉は、リタとゾフィに向けられたものである。
彼女たちは、苦笑でそれを受け止めた。
みんなで控えの間に移ると、頼りなさそうな将校がウロウロと歩きまわっている。彼は、ラインハルトを見ると、慌てて最敬礼をした。
背が低くて小太りでメガネでオドオドしていて、まるで自分を見ているみたい。
グラーツ将軍の第一印象は、「わたしみたい」である。
「ご苦労」
ラインハルトは、じつに堂々と応じる。
つい先程の彼とはまったく、ま―ったく違う。違いすぎる。
このギャップもまた、彼の可愛いところのひとつなのよね。
わたしったら二十五歳も年長の彼にたいして、いまのは失礼すぎるわ。
だけど、やはり可愛すぎる。
「その、準備が整いました」
グラーツ将軍は、とにかく頼りない感が半端ない。もしもわたしが彼の大隊に配属されたら、即座に配置転換をお願いするか戦死することを嘆き悲しむかするに違いない。でも、よく見ると知的な感じがする。同じメガネ顔でも、彼のメガネは。もともと頭脳明晰で本を読みすぎたり勉強のしすぎで目が悪くなったのかもしれない。
「すぐに行く」
「は、はあ……」
彼は、オドオドしながら再度敬礼をした。
よほど自信がないのね。彼の家庭環境とか周囲の状況はわからないけれど、もしかしたらいろいろなプレッシャーに押しつぶされているのかもしれない。
「あの、グラーツ将軍。不躾ですが、目は使いすぎで悪くなったのではないですか?」
「は? あ、ええ、あ、は、はい。妃殿下、仰る通りです。子どもの頃から、あらゆる大陸の様々な国々の戦記や戦史、軍略や戦術という書物や資料を読み漁っていました。それで、視力が落ちてしまったのです」
「視力のことは残念ですが、すごく素敵な趣味ですね。では、いまの将軍という地位はまさしくふさわしいものですね」
「あ、いえ……」
彼は、真っ赤になって俯いた。
「グラーツ将軍。子どもの頃から多くの書物を読み、様々な知識を得ていらっしゃるのです。それは、バーデン帝国軍にとってかけがえのない財産のひとつであることに違いありません。将軍として、どうか陛下を助けて下さい。あなたの知識と経験が、陛下や皇子たちを助け、役に立ってくれるのです」
彼の知的なメガネ顔がパッと上がった。
やだ。単純で思い込みが激しいのもわたしと同じだわ。
内心で苦笑してしまった。
「は、はい。妃殿下、バーデン帝国軍の将軍の一人として、微力ながら全力を尽くしたいと思います」
彼はまたまた敬礼をすると、意気揚々と控えの間を出て行った。
「驚いたな」
「ああ、驚いた」
わたしたちだけになると、シュッツとジークが顔を見合わせて肩をすくめた。
「義母上の励ましで、やる気なしなし、ついでに自信なしなしのグラーツ将軍にスイッチが入ったようです」
「彼はいつもおとなしく言いなりで意見を言うこともないけれど、今回は違うかもしれませんね。これは、こちら側にひきこめるかも。義母上のお蔭です」
「ジーク、シュッツ。それはかいかぶりすぎです。グラーツ将軍は、まるで以前のわたしです。だから、つい口をはさんでしまいました。陛下、差し出がましいことをしてしまい申し訳ありません」
「いや、チカ。それはかまわない。だが、他の男にやさしくしてもらうのはやめてほしいな」
ラインハルトは、軍靴の先端で床を蹴っている。
もしかして、妬いているの?
やだ。可愛すぎる。
キュンキュンしてしまった。
「陛下、重ねてお詫び申し上げます」
だから、自分から彼に抱きついて謝罪した。
「ごちそうさまです」
「ほんと、お腹がいっぱいだわ」
リタとゾフィが言い、みんなで大笑いしてしまった。
そして、ラインハルトとジークとシュッツは調練に出かけた。




