将軍クラウス・ザックス
「荷物だ。さっさと荷物をおろしてとっとと行ってくれ」
老馭者は、泡を食っているって感じね。
バーデン帝国軍って、それほどひどい軍なの?
それとも、老馭者たちが何かヤバい物でも運んでいるのかしら?
いまは戦時中でもないのに、残忍で冷酷な軍であっても民間人にどうこうするというのは考えにくい。もしもそんなことが横行しているのなら、バーデン帝国軍がヤバいのではなくってバーデン帝国じたいが世も末的にヤバいのではないかしら。
自分がまだ子どものときのことを思い出してしまった。
戦争で負けたとき、敵国の軍隊は横暴のかぎりを尽くした。
わたしだけが生き残れた。死ぬはずだったのに、助けられた。
幸運以外のなにものでもない。
とはいえ、それ以降の人生を考えれば、生き残ったことがほんとうに幸運なのかどうかはわからないけれど。
それでも、生きてさえいたら何かいいことがあるかもしれない。
ただ、いまのところそれがないだけ。
そんなことを考えつつ、荷台から二個のトランクをおろした。
「侍女の仕事なら、ルーベン王国の宮殿で充分だろうに。なにも怖ろしいバーデン帝国の宮殿で働かんでもな」
老馭者は、はやく行きたくて仕方がないみたい。
しかも、わたしを侍女と勘違いしている。
「お給金が三倍以上違うのです。家族に仕送りするには、稼がないと」
だから、もっともらしい嘘をついた。
こんな嘘は許されるわよね。
わたしを運んでくれた老馭者たち輸送団は、逃げるようにして去って行った。
馬の蹄の音でハッとした。
振り返ると、少し距離を置いたところに白馬が立っている。その少しうしろには、二頭の馬が立ち止まってこちらを見つめている。
白馬からその騎手がさっそうと飛びおりた。そして、こちらに向って来た。
惚れ惚れするほど将校服姿の似合う、渋い美貌をしている。
やわらかい笑みをたたえるその美しい顔は、敵であったり害をなしたりという存在ではないことをあらわしている。
彼は、こちらが恐怖心や不快感を抱かない距離を置いて立ち止まった。
「おれは、バーデン帝国軍の将軍の一人でクラウス・ザックス。皇族に名を連ねてもいるが、大したことはない。チカ・シャウマンだな? 皇帝の命により、迎えに来た」
彼が特異なのは、その渋い美貌だけではない。
金色の髪に金色の瞳というところ。
すごくきれいだわ。
頭上に輝く太陽の光を受け、この世のものとは思えないほど光り輝いている。
「ああ、この髪と瞳だな? ザックス家の象徴だ。これのお蔭で目立って仕方がない。戦場では、的になりやすいのだ。想像出来るだろう? 他の将軍より目立つから、槍やら矢が集中する。だから、おれは他の将軍たちだけでなく、部下たちからも絶大な人気を誇っている。おれのうしろにいれば、かならずや助かるから」
おどけたように言った彼の様子が可笑しくて、つい笑ってしまった。
「その笑顔がいい。少しは緊張がとれたかな? 金色に輝く的が、姫を案内仕る」
クラウスが指を鳴らすと、彼のうしろで控えている将校の一人が手を上げた。
向こうの方から馬車が一台やって来る。
す、すごい馬車ね。
四頭立ての豪奢な馬車である。
その豪華絢爛な飾り物や意匠に圧倒されてしまう。
「疲れただろう。帝都までは遠い。とりあえず、近くに居城がある。今夜は、そこでゆっくり休むといい」
彼が手を差し伸べてくれたけど、両手はトランクを持っているのでふさがっている。
すぐに将校の一人が飛んで来た。
「お預かりします」
品のいい青年が、二つとも預かってくれた。
差し伸べられたままのクラウスの手を取ると、彼はわたしを馬車へと導いた。
あまりの待遇に、声をだすことが出来ない。
お礼さえ言えず、豪華絢爛という表現がぴったりな馬車に乗りこんだ。