別れ
「チカ、すまない。陛下のところまで付き添いたかったが、どうしても彼に会いたくなくってね。それに、部下たちを連れて行かねばならない。あの先頭の二人は、参謀と副将軍の地位に就いている優秀な連中だ。年齢もきみよりすこし上だから、こんなおっさんよりよほど話が合うだろう。あと数時間、彼らがきみをエスコートしてくれる」
「では、ここでお別れということですか?」
なにもかもが突然すぎる。
せめてあと数時間、いっしょにいてほしかった。
ただの甘えということはわかっている。結局、クラウスとは別れることになる。ほんの少しだけそれがはやくなったというだけのこと。
わかっている。わかっているけれども、少しでも長く彼といたかった。
彼にいて欲しかった。
「すまない。その、もしかして、きみが泣いたのはおれのせい?」
ドキッとしてしまった。
「あ、いえ、あ、ちが、違うんです」
何言っているの、わたし?
素直に「あなたと別れたくないから泣いた」って言いなさいよ。
だけど、わたしは皇帝に嫁ぐ身。そんなことを言えば、彼に迷惑がかかってしまう。迂闊なことを言ってしまったことが原因で、あとで彼が疑われるようなことがあるかもしれない。
なにより、彼自身が迷惑に違いない。
「夜、眠れなくって、最初の屋敷でお借りした恋愛小説を読んだのです。それが、悲しいシーンで。涙が止まらなかったのです。そうそう。小説は、どうすればいいでしょうか?それと、彼女もです」
「そうか……」
一瞬、彼はわたしから視線をそらした。彼の視線は、わたしの乗っている牝馬に移った。
小説を借りているだけでなく、乗馬の練習をしたときに以来ずっとわたしを乗せてくれている牝馬も借りている。
「どちらもきみにあずけておく。また会ったときに返してもらうよ」
彼がそう言ったタイミングで、若き将校たちがすぐ近くまでやって来た。
「チカ、元気で。笑顔を忘れるなよ。誕生日、おめでとうっ!」
若き将校たちに促され馬を進めると、クラウスの言葉が背中にあたった。
嘘……。
そうだった。今日、わたしの誕生日だった。二十二歳の。
忘れていたわ。だけど、どうして彼が知っているの?
そういえば、一番最初に話をしたときに、何かの話から今日が誕生日だということを伝えたような気がする。
ということは、彼はそれを覚えていてくれたわけ?
馬首を返して、彼のもとに戻りたい衝動に駆られた。
急激にわけのわからない感情が溢れ出、制御出来なくなりそうになった。
その感情を抑えるのに必死になった。
「ありがとうございます。クラウス様もお元気で」
顔だけうしろへ向け、笑顔を作った。だけど、ひきつってうまく作れない。
どれだけ笑顔にしようとしても出来そうにない。
彼は、ずっと手を振り続けていた。
溢れ出る涙をこらえられなかった。
クラウスに借りている牝馬は、すっごくかしこい。かしこいどころではないわね。
わたしがメソメソ泣いているのを気遣ってか、前を進む二頭の馬についていってくれている。
しばらく泣き続けると、少しだけ気分が落ち着いてきた。
そこでようやく、道のない木々の間を進んでいることに気がついた。
クラウスが言った若き将校二人が先に進み、わたしがそのすぐうしろをついていっている。
彼らが連れている軍とは違う制服を着た騎兵たちは、ずっとずっとうしろからついて来ている。
涙は、とまったというよりかは枯れ果てたと思った。それなのに、まだ一滴、二滴と涙が頬を伝う。
そのとき、前を行く二頭の馬が停止した。
そして、わたしが追いつくのを待ち、左右にはさんだ。
三頭は、停止している。
ちょうど木が途切れた地点である。
木漏れ日がキラキラ輝いている。遠くや近くで、小鳥たちの囀りや羽音がする。
それ以外に音はない。
穏やかでやさしい空間……。
自然の穏やかさを感じていると、両脇から真っ白いハンカチが差し出された。




