止まらぬ涙
「きみの笑顔は、もともときみ自身が持っていたものだ。笑えるということは、きみ自身が明るく前向きな証拠。おれは、それを引き出すきっかけを作ったにすぎない」
「その作っていただいたきっかけが、わたしをかえたのです。感謝してもしきれません。皇帝陛下にお会いするのも、不安ではないとは言えません。嘘になりますから。ですが、最初の頃よりずっと気がラクになっています。自信を持って、笑顔で陛下にお会い出来る気がします」
「その意気だ。陛下は、『獅子帝』などとごたいそうな呼ばれ方をしているがただのやもめジジイ。きみのその素晴らしい笑顔で、一発かましてやれ。きっとイチコロさ」
彼は、よほど皇帝が気に入らないのね。
あいかわらずひどいことを言う。
それから、いつものようにあれやこれやと話をした。内容は多岐に渡る。だけど、皇帝陛下やその息子たちのことはあまり話題にのぼらない。もしかすると、クラウス自身が気に入らないのでわざと話題を避けているのかもしれない。
そして、このように葡萄酒を飲みながら気がついたことがある。
それは、彼があまり飲んでいないということである。
多くてグラスに一杯。一杯も飲んでいないときもある。
最初は、そのこといまったく気がつかなかった。彼は、チビチビと飲んでいるからかもしれない。
飲めるようになって、たいてい三杯は飲む。それ以上は、ぜったいに試さない。どうなってしまうかがわからないので、怖いからである。
彼は、わたしのグラスに注いでばかりいる。わたしが彼のグラスに注ぐのは最初の一杯だけ。それ以降は、一度も注いだことがない。当然、彼が自分で自分のグラスに注ぐことはない。
彼自身が飲むのを控えているのか、それとも弱いからなのかはわからない。
しかし、葡萄酒の知識は豊富で、ほんとうに様々なことを教えてくれる。味や香りも含めて。
このことは、謎でしかない。
「さて、遅くならないうちにお開きにしよう。休む前に、ひとつ伝えたいことがある」
クラウスは、そう切り出した。
思わず、身構えてしまう。
「ここは、皇族の直轄領なんだ。ここよりまだ帝都に近いところに、皇族専用の別荘がある。じつは、いまそこで陛下や皇子たち、それから皇子妃たちがすごしている。わずかな親衛隊が身辺を警護している。侍女や執事といった使用人の類はいない。もっとも、陛下や皇子たちは剣やナイフの相当な遣い手でね。何かあったような場合は、親衛隊の方が足手まといになるくらいの腕前だ。だから、親衛隊も最小限だけだ。明日、きみはそこに行くことになる。つまり明日、きみの長い旅は終わる。きみとこうしてすごせるのは、今夜が最後だ」
「そんな……」
突然すぎる。まだ数日はいっしょにすごせると思っていたのに。
胸が痛くなってきた。どうしてかはわからないけれど。
「もう会えないのですか?」
「おれは、飛びまわっているからね。なかなか会えないだろう。だが、陛下に意地悪をされたり虐められるようなことがあれば、すぐに知らせてくれ。たとえ戦争中でも、飛んで行くから」
「ありがとうございます……」
ショックのあまり、それしか出てこなかった。喉の奥の方から、何かがせり上がってくるのを感じる。
「ほら、チカ。笑顔だよ、笑顔。なにも生き別れってわけではない。そうだな。直近では、婚儀のパーティーで顔を合わすことが出来るだろう」
だけど、笑顔をつくることは出来なかった。努力することが出来なかった。
こんなに悲しくて、胸がジンジンと傷むなんて……。
わたし、どうかしてしまったのかしら。
部屋に引き取ってから、思いっきり泣いてしまった。
嗚咽が漏れるのが嫌で、頭から布団をかぶったり枕に顔を押し付けなければならなかった。
自分でもどうしてこんな状態になったのかわからない。そして、どうしていいのかわからない。
そんな状態で、ほぼ一晩中泣き続けた。
涙は止まらず、胸の痛みも止まることはなかった。




