現実と悪夢 -Reality and Nightmares-
現実はいつでも、悪夢のようだ。
わたしのかんがえたさいきょうのいせかいてんせい
目が覚めるとそこはいつもの自分の部屋で、涙にぬれた顔を両手で覆ってわたしは安堵感から咽び泣いた。
奇妙な夢を見るようになったのは数カ月前からで、それはこことは違うどこかでの「わたし」の話だった。
話? いや違う、作り物ではなくて、手に取るものの熱さえもはっきりと自覚できるほどの鮮明ななにか。
わたしはその中で「ナカタサン」と呼ばれていて、皆と同じ紺色の膝丈のスカートを穿いて仕事をしている女性だ。
顔はわからない。
めったに鏡を見ることがないから。
仕事に出かける前の身支度のときにさえ、小さな化粧道具の小さな鏡に映る自分を直視しようとはしなかった。
だからわたしは「ナカタサン」がわたしであるとはわかってはいても、その容姿はよくわからない。
ただいつもうつ向いているので、爪の形とよく履く靴だけはすぐに思い出せる程度だ。
毎日が同じことの繰り返しだった。
そして「ナカタサン」であるわたしはそれに嫌気が差していた。
同僚の「マエハシサン」の勤務態度に怒りを覚えながらも表面ではそれを隠し、上司である「コウノカチョウ」に嫌味を言われても必死に耐えた。
その繰り返し。
「ナカタサン」は孤独だった。
わたしはその気持ちをすべて体感して、恐ろしいほどにそれを理解している。
だから夢の終わりにいつもいつも、「ナカタサン」が取る行動に心が悲鳴を上げる。
「ナカタサン」はある日、とてもとても高い建物の屋上に、いつもの紺色のスカートで向かった。
遺書は書かなかった。
いつもの靴を揃えて脱いだ。
いつも繰り返し考え夢見ていることはひとつだ。
死んで生まれ変われれば、違う人生を歩める。
「ナカタサン」は飛び降りた。
落ちる、落ちる、落ちる。
そして、その中で気づいてしまった。
生きていることに意味なんてなかったけれど、もし生まれ変わりがなかったら、死ぬことにも意味はない。
着地する直前、「ナカタサン」は絶望する。
痛みですらない衝撃と暗転。
……わたしは今日も怖気とともに目を覚ました。
眠ることが、怖くなってしまった。
それなのに、夢の途中で目を覚ますことはできない。
吐き戻さなくなっただけ、進歩とでもいうのだろうか。
誰かに相談することもできなくて時間ばかりが過ぎてきた。
心が限界に来ているのはわかっている。
都心の医者にかかるにも先立つものが必要で、わたしも「ナカタサン」のように同じ一日を始めに、ベッドを出る。
……生まれ変わりはあるのかもしれない。
でも、それでなにかが変わるだなんて、ご都合主義のお話の世界だけだろう。
現実はいつでも、悪夢のようだ。
「ナカタサン」とは、爪の形が違う。
わたしは磨かれていない鏡を一瞥した後手早く身支度し、見慣れたいつもの靴を履いた。




