Un Happy Birthday
勉強を始めた理由は「楽しいから」だった。
変わった子どもだったと思う。普通子どもは勉強に楽しさを見出だせない。宿題なんか後回しにして、手に握るのは鉛筆でもプリントでもなく、ゲームのハードだ。母親に口五月蝿く「宿題やったの?」と聞かれ、「後でやる」と答えては「今やりなさい」と怒られるのが「普通の家庭」だと言われていた。
つまり、子どもにとって、勉強は「義務」で他人から「強いられるもの」だった。そんなのが楽しいわけがない。
けれど、自分は楽しかった。勉強をして、新しいことを覚えることが楽しかった。親は口五月蝿くないし、自由だった。けれど、自分は自ら「勉強」という「義務」に縛られに行った。勉強が楽しかったからだ。
昨日まで読めなかった漢字が勉強をすれば読めるようになって、一ヶ月前までは意味のわからない文字の羅列だった本が勉強をすれば素晴らしい物語に見える。これもまた普遍的な楽しみなのではないだろうか。少なくとも、自分はそうだった。
昔から、何かを書くのが好きだった。だから小学校入学前にはひらがなは全部書けるようになっていたし、ただひたすらに「あ」とか一文字を練習していくだけのプリントにも異様なまでにるんるんで取り組んでいた。
欲しいものは特になく、「家族との楽しい時間」とか「みんなと仲良くなりたい」とか歯の浮くような綺麗事を言うこともなかった。齢六にして完全なる自己完結主義、自分さえよければあとはどうでもいいエゴイストだったわけである。語るだけで恐ろしい六歳だ。
そんなエゴイズムも小学校以降も続き、今も「自分がよければ周りにどう思われようとかまわない」というのが精神の根底にあり、それは容易にとんでもなく人でなしな発言をさせる。他人の気持ちがわからないというか、痛みに鈍感で、よく言われる「自分が言われたら嫌なことを人に言ってはいけない」というのと照らし合わせて、「別に自分は言われても傷つかないから言ってもいっか」という極振り甚だしい考えに繋がるわけである。
けれど、ろくでなしなりに、ささやかな願いさえ叶えばそれでよかった。自分が楽しく勉強して新しい文字を連ねる。そんな日々が続けばいい。自分の願いはただそれだけだった。
だから、正直、テストの点数なんてどうでもよかった。そりゃ、褒められれば嬉しいけれど、褒められるために勉強しているわけじゃなかった。楽しいから勉強をしていた。
そんな勉強ばかりしている自分が欲しかったのはまっさらな自由帳と鉛筆。誕生日何が欲しいか聞かれたときは、決まってそう答えていた。そんなんでいいのか、と言われたが、あの頃はそれ以上のものはなかった。そりゃ、誕生日に好きなケーキ食べるのも好きだけど、誕生日プレゼントと誕生日ケーキは別だろう。
勉強を頑張るのは、当然大変だった。楽しくても苦行なことだってあった。例えば、夏休みの宿題を一所懸命やったのに、字が下手という理由で漢字ノート一冊を全部消してやり直しとかさせられたり。よく考えると普段干渉しない割に、あのときの父は横暴だった。
それでも一冊書き直したのだから、自分の勉強への執着度の異様さがよくわかる。同時に、やはり勉強とは「他者から強要されるもの」なんだな、とも思った。
田舎なので、受験で入るような学校はない。けれど何故かモチベーションはそのままに中学に上がった。周りの環境もさして変わりなかったから、悪くない中学校生活だった。
中学に入るまでに変わったことといえば、誕生日がどうでもよくなったことだ。今でもよく覚えている。年が二桁行ったときの誕生日、好きな誕生日ケーキを買ってもらって、夜にみんなで食べるのを楽しみにしていた。しかし、何が発端かは知らないが、その夜夫婦喧嘩が起こり、そのため、誕生日パーティーはおじゃんになった。みんなで楽しく食べるはずだったケーキを一人寂しく家の隅で縮こまりながら食べた記憶がある。
自分のせいならまだしも、他人のせいで誕生日がポシャったのはなかなか心に効いて、その年からあまり誕生日に期待しないようになった。年に一度の自分が好きなケーキを食べられる日は、どうでもいい日に変わった。
中学生になる頃には、なるべく手のかからない子どもであることに努めた。でも、失敗だったように思う。結局勉強に執着して、その他のことはどうでもいいのだから、変わっていない。
テストでは学年一位が当たり前だった。百点とか、九十九点とかが当たり前だった。九教科合計八百点以上が当たり前だった。五教科合計四百点以上が当たり前だと思われていた。「この人は勉強ができるから、平均点九十以上なんて朝飯前」……なんて、いつの間に勝手に評価されていたんだろう。
中学になれば、勉強はぐんと難しくなる。それは六年生辺りから耳がたこになるほど聞かされる常識だ。で、実際にやってみた感想は「大した変化はない」だった。
結局、基礎と応用をやっているだけ。新しい用語や公式を覚えるだけ。書く漢字が増えるだけ。それだけ。あとは英語を覚えるだけ。
それでも、授業内容を分析して、自分で発見して、その内容が次回の授業内容だったりすると楽しかった。近年、「~の考察」というのが流行っているとか何とか言うが、中学での勉強は正に「次の授業の展開考察」だった。当たると嬉しいし、発見は面白かった。
だが、突然、勉強が楽しくなくなった。
モチベーションが下がった、とも言えるだろう。高校受験の話が持ち上がってきたのだ。
いい成績の人はいい学校に入りなさいとか、そういう風潮が出てきて、「いい成績」であることを強要された。加えて「いい学校」に入ることを強要された。
自分が楽しければそれでいいという観念で生きている者にとって、それは心底どうでもいいことだった。いい学校に入って自分は楽しいのか? そう考えた。いい学校に入る利点は自分というより学校側にあり、「我が校はこんな優秀な生徒を輩出しています」という自慢にしかならない。
何故自分の楽しみでやっていることを他人の利益のために強要されなければならないのか。もう疲れてきたので、そこでとうとう勉強をやめた。
勉強をしなければどうなるか。それは火を見るより明らかだろう。成績はずどんと落ち、走り続けた学年トップから、順位は二桁に下がる。
そのことを何とも思わなかった。けれど周りは黙っていなかった。「なんで手を抜くの?」「なんで勉強しないの?」「私たちがどれだけ頑張っても手に入れられなかったものをなんでそんな簡単に手放すの?」──これも一種の罵詈雑言だろうか。そんなこと言われたって、ますますやる気を失くすだけなのに、こいつらは馬鹿なのかな、とか思った。
誰かをライバルなんて思うことはなかった。よく歌なんかで言うだろう。本当の敵は自分、最後に乗り越えなければならないのは自分だって。
手なんか抜いてない。ただ勉強がしたくなくなっただけ。なんでこっちが泣かせたみたいになるのやら、さっぱりだ。手放してなんかいない。そもそも、手に入れるつもりもなかったものだ。
評価されたら、そりゃ嬉しいけれど、評価されること自体に意味なんてなかった。そこで初めて気づいたのだ。自分は自分のためにしか勉強をしていないのだ、と。他人なんかどうでもいい、と。
何故どうでもいいことで他人から罵られなければならないのか。自分の道を強要させられなければならないのか。勉強を強要されなければならないのか。
気づいた途端、全てがどうでもよくなった。
高校受験、どうでもいいからレベルが高めのところを望まれた通りに受験した。落ちてもかまわないとさえ思っていた。学校の評価上げのために使われた推薦で受かったやつらが喜ぶ気が知れない。まあ、行きたい学校ならよかったのかもしれないけど。
それなら信念を持って評判のよくない農業高校の推薦を受けたやつの方がよほど評価に値するだろう。
で、自分の受験はどうだったかというと……
合格発表当日、自分の番号を見つけたときの第一印象は「受かってしまった」だった。
そこで気づいた。自分は高校になんて、行きたくなかったのだ。
なんてこった、と思った。でももう取り返しがつかない。
もう流れに身を委ねた。諦めの人生の始まりだった。
高校受験がこんなにも嫌だったもんだから、大学には行かないことにした。勉強も楽しくなくなったし、特に目標はない。そんな自分が大学に行くなんてあほらしいことこの上ない。学校からは何度も大学受験を勧められたが、就職希望にした。
就職に関してもほとんど興味はなかった。ニートになろうとさえ思った。だから市職員に受かったのは青天の霹靂というか。結局そう長くは続かず、現在は引きこもりである。
勉強は好きだ。けれど、今は教科的なものではなく、雑学的なものが好きだ。もう、学校の勉強なんて懲り懲りだ。人間関係を築くのも面倒くさい。家の中でさえ、生きづらい。家庭が崩壊しつつある。
壊れてしまえ、と思った。人生、楽しくない。勉強が楽しくなくなってから、世界が楽しくない。元々生きるのが楽しいわけではなかったので、ただ生きているだけで楽しいわけがない。もし、「生きるのが楽しい」とか言い始めたら、たぶん頭が沸いたのだと思う。
今の楽しみは文章を書くことだろう。楽しい。だからどれだけ叩かれても、書きたいように書くのだろう。今の勉強を取り入れながら。
何が楽しいのかもわからなくなりながら、生きていくのだろう。自分が楽しいと思えることがある限り。