64 別離
授与式を翌日に控えた日の午後、私とソラは改装の終わった第7部隊の宿舎に購入した日用品の片付けをする為に訪れていた。
真上にあった太陽が西に傾きかけた頃、何とか片付け終えたキッチンをぐるりと見渡す。
調理台に食卓兼作業台のテーブルに椅子が二脚、備え付けの食器棚の奥に食材用の倉庫、その隣にトイレとシャワー室。
玄関を挟んだ奥にリビングがあり、麻のラグの上に正方形の卓上テーブルが置かれている。その隣に八畳程の個室が2つある。
トイレの脇にある扉から騎士達の居住区である二階の廊下に出る事ができるが、この扉は非常用なので普段は屋外階段を使う。
玄関を出て右側に屋外階段があるのだが、その反対側には広めのバルコニーがあり、庭を眺めながら食事やお茶が楽しめるようになっている。日除けのシェードも付けてもらったのでちょっとした雨でも大丈夫だ。
とはいえ庭はまだ整地されただけの状態で、花どころか草の一本も生えていない。
あるのは作りかけの建物とその資材だけ。
これは改装を請け負った人達のせいではなく、部屋の改装を急いでもらった結果だ。
急いでもらった理由は公爵家から出るため、別に嫌だったからではない、ただ単に合わなかっただけだ。
自分の事は自分でするのが当然だった私は、誰かに何かをしてもらう事が苦手だ。有り難いと思う気持ちよりも申し訳なさが先に立ってしまう。それにぶっちゃけ風呂には一人で入りたい。
今日は明日の授与式の準備――髪のセットとドレスの着付け――があるので公爵邸に戻るが、明日からはここで暮らす。
キッチンの窓から庭を眺めながらホッと一息をついた。
公爵家の迎えが来るまでまだ少し時間がある、お茶でも入れようと戸棚から茶葉を取り出し湯を沸かした。
食器が入っていた木箱を片付けに行ったソラも、もうそろそろ戻って来るだろう。
お湯が沸くのをキッチンの椅子に座り、オレンジ色に染まった部屋をぼーっと眺める。
『ギィ……』と懐かしい音が聞こえた気がした。
たわんだ廊下の床板を踏んだ時の音。
そして――――
バンッ! と玄関の扉が乱暴に開かれた。
ギョッとして振り返った先にソラがいて、私と目が合うと無言で側までやって来てジロリと私を見下ろしてきた。
…………え? なに? どうしたの? 私なんかした? っていうか土足……。
疑問符を浮かべ呆然と見上げる私にソラが一言。
「泣け」
と言った。
――――――――――え゛!?
え、なに? 反抗期? 早くね?
いや、まてよ。確か反抗期って3回あるって近所の奥様方が……。
「おい」
真上から聞こえた声に顔を上げると、ソラがしかめっ面、というよりなんだか泣きそうな顔をしていた。「どうしたの?」と小さく問うと、更に顔を歪ませる。
「う゛っお」
突然、髪の毛をぐしゃぐしゃと乱暴にかき混ぜられた。
ひ、酷い。いきなり何するんだと抗議しようと思ったら、今度は抱き締められた。
訳が分からずポカンとしていると、再び「泣け」と耳元で言われた。
――――さっきからなに言って……
ボロリと涙が零れた。
――――は?
慌てて拭っても、次から次へと溢れてくる。
――――は!? なんで!?
動揺してさまよわせた視線の先に食器棚が見えた。
ある程度揃えてはいるが、食器棚の中はまだまだスカスカだ。でもこれで良い、だって――
『初めは必要最低限の物だけ揃えて、生活していてどうしても足りないって感じたら追加して買うんですよ。この方法が一番無駄が少ないんです』
そう自慢気に教えてくれたのは、自称『新生活のプロ』の会社の後輩だ。
お調子者の彼はよく『ハル先輩、お恵みを……』と私の非常食をたかりに来ていて、それを聞いたもう一人の後輩と『ハル先輩(のお菓子)は私の!』『俺の!』と意味不明な言い合いを始める。
結局最後には『喧嘩しないの』と二人に非常食をあげる羽目になる。
もう一人の後輩いわく『あれは連携プレイの詐欺です』とのこと。そして教えてくれた彼にも非常食をあげていた。
あれ?
もしかしてそこまでが連携プレイだったのか?
3人の顔をふと思い出し、彼等は元気にしているだろうか? と思う。
年末だからと仕事を棚上げして帰った。
休み明けに連絡する予定の会社の社長さんはちょっと難しい人で、話し方には注意が必要だ。大丈夫だろうか? 部長はそれに気付いてくれるだろうか?
思わず体に力が入り、椅子が『ギィ……』と小さく音をたてる。
懐かしい音。
たわんだ廊下の床板を踏んだ時の音。
畳の感触。
黒光りする柱。
飴色のちゃぶ台。
タイル張りのお風呂の冷たさ。
磨りガラスの引き戸と縁側に吊るされた近所の子に貰ったアルミ缶の風車が回る音。
重い鉄鍋に油が馴染んだフライパン、初任給で買ったばあちゃんとお揃いのコーヒーカップ、線香の匂い、障子にうつる梅の木の影。
キッチンにある床下収納には、ばあちゃんと一緒に浸けた梅干しがまだ少し残ってた。
そうか。と思った。
分かってた、けど、ちゃんと理解できてなかった。
私は――――『横山ハル』は、死んだ。
皆にはもう会えないし、あの家にも二度と帰ることはできない。
怒り、寂しさ、絶望、諦め、悔しさ。
失ったものの大切さに、その大きさに、訳もなく、意味もなく、ただただ衝動的に喚きたくなる。
自分の意思とは関係なく体が震え、喉の奥がひゅぅ……と鳴る。頭の隅にいる冷静な私が、こぼれ落ちそうになる悲鳴を抑えようと手を持ち上げた。
――――その時。
強い力で抱き締められた。
押し当てた耳から心臓の音が聞こえる。
ソラだ。
ああ、ソラだ。
ソラがいる。
ソラ。
ああ、そうか、
生きているのか。
――――なら、いいか。
――――ソラがいるなら、まあ、いっか。
体から力を抜いて目を閉じた。
流れる涙はそのままに、ソラに体を預け、ソラの鼓動を聴きながら、私は『横山ハルの死』を受け入れた。
★ ★ ★
霧雨の降る明るい午後。
淡黄色のワンピースドレスと同色の靴を履いた少女が、真っ赤な絨毯の上を歩いていた。
下を向いた少女の視界に見えるのは前を行く師のローブと靴の踵だけ。
まだ正式に爵位を得ていない少女が顔を上げる事は許されない。
なぜならこの先にはこの国の王がいるからだ。
予定の場所にたどり着き、何度も繰り返し練習した手順を踏んでゆっくりと両膝をつくと、長い髪が一房、少女の肩から滑り落ちた。
両サイドを複雑に編み込まれた少女の後ろ髪を飾るのは黄色い造花の髪留め。
「“名”を」
少し離れた場所から発せられた男性の声に、少女は『名』を名乗る。
「『ハル=ヨコヤマ』と申します」
その声が広い空間に溶けて消える頃、誰かが近付く気配がし、少女の伏せた視界の端に金糸と宝石で飾られた靴が見えた。
「“華”を授ける。大地と己が名に恥じぬ行いをせよ」
更に深く頭を垂れ、返事代わりに差し出した少女の両手の平の上に、“華印”と呼ばれる魔道具が乗せられた。
その瞬間、『ハル=ヨコヤマ』はイムティア王国の医師見習いとなった。
【後書き】
ハルさんは自分が死んだ事を分かってはいましたが、神様達に出会った時には痛みも苦しみもなく、スライムに転生してからは生きていくのに必死で余裕がありませんでした。
王都に来て生活の基盤が整い、緊張が弛んだことにより改めて己の『死』を認識し、それを受け入れました。
これにて二章終了。
次話の閑話の後から三章スタートです。




