82 問
暗殺者だと思われる人物が地面に崩れ落ちるのと同時に、微かに血の匂いがした。
暗殺者はピクリとも動かない。黒い覆面から僅かに覗く横顔が赤く染まっているのが見える。あれだけ強く頭部を打ち付けられたのだ、しばらくは目を覚まさないだろう。
『鑑定』を使用しながら2対1という最悪の状況にはならないようだとほっと胸を撫で下ろす。
そんな私をよそに、修羅場慣れしている隊長さんは私の武器の影に身を潜め、先ほどまで対峙していた男に意識を集中させていた。
隊長さんの隊服の襟の隙間に再度潜り込みながら、襲撃を受けたであろう迎賓館の方を『索敵』と『鑑定』で確認するが、獣人も人間も同じ色で表示されるうえに終始入り乱れており、戦闘経験のほぼ無い私にはどのような状況か判断出来ない。
さて、どう動くのが正解だろうと考えていると、布越しに隊長さんが僅かに身じろいたのを感じた。
咄嗟に身構えるのと同時に周囲を『索敵』で確認する。
特に変化はない。
対峙している男も動いていない。
だが、隊長さんの雰囲気は今まで感じたこともないほど張り詰めていた。
おそらく数秒程だっただろう。
息苦しいほどの緊張の中、突如、ガチャンという金属音が闘技場内に響いた。
同時に視界がぶれ、武器の向こう側が見えた。
長身の男がひとり立っていた。
逆光で男の顔はよく見えないが、オレンジ色のランプの光が、男の鋼色の髪を淡く照らしている。
そんな男の側に剣が落ちていた。先ほどの音は剣が地面に落ちた音だったのだろう。
その状況に違和感を覚えるより先に、隊長さんが男に向かって走り出した。そして男の名を叫ぶように呼んだ。
「ルドルフ!」
まるでそれが合図であったかのように、男の体がぐらりと傾ぐ。
そして隊長さんの手が届くより先に、ルドルフと呼ばれた鋼色の髪の男はその場に倒れた。
隊長さんがしゃがみ込み男を抱き起こすのと同時に、先程、暗殺者から嗅いだものよりも更に濃い血の匂いがした。
黒い服のため分かりにくいが、男の腹辺りの服の色が濃く変色しており、さらに時間が経つに連れてじわじわとその範囲を広げていく。
「周囲を確認!」
「は、はい!」
怒鳴るような隊長さんの声に、慌てて索敵画面を確認するが、特に不審な物はなにもない。
誰が? いつ? 隊長さんが暗殺者に襲われた時か、それとも別のタイミングか。常に警戒はしていたが、戦闘慣れしていない私の『索敵』は完璧とはいえない。暗殺者に気付き、それに対処出来たのはただ単に運が良かったからだ。
様々な考えがよぎるその間にも、男の衣服の染みは徐々にその範囲を広げ、吸いきれなかった血液がポタポタと地面を濡らしていく。応急処置をするために隊長さんが男の衣服に手を伸ばしーーその手は男によって遮られた。
「止めろ」
救いの手を拒むその言葉に、隊長さんの顔がピクリと引きつる。
「ーーーーどういうつもりだ?」
低い、地を這うような言葉が隊長さんの口からこぼれた。そこそこの付き合いだが分かる。これはかなり、いや、激怒している。
そんな感情を向けられたルドルフは苦しげに顔を歪ませ、浅い呼吸を繰り返しながらも、淡々と答えた。
「こうなる、事は、予想、していた」
そして続けて暗殺者が来たのは予想外だった事、隊長さんとの私闘に邪魔が入った事だけが心残りだと話した。
「……中級ポーションはどこだ」
感情を押し殺したような隊長さんの声に、男はああ、と思い出したかのように口を開いた。
「破壊は、していな————」
「どこにあるかって聞いてんだよ!!!」
闘技場が揺れたのではないかと思うほどの怒声に、男は視線を隊長さんに向けた。そして怒りで荒い呼吸を繰り返しながら睨みつけてくる隊長さんをしばらく見つめた後、ポーションが隠されている場所を伝えた。
隊長さんの顔が怒り以外の感情で歪む。
ポーションが隠されているのはここからかなり遠い場所だった。今から取りに行っても、間に合わない。
「ポーションを隠したのは自分に使わせないためか」
隊長さんの問いに男が是と返した。
「なぜだ」
隊長さんのその言葉に、男の顔に初めて感情が浮かんだ。
悲しそうな、疲れたような、諦めたような、そんな感情だった。
「お前が、羨ましい」
隊長さんの顔が困惑に変わる。生まれも育ちも、現在の地位も、約束された将来も、その全てが自分より恵まれている人物に羨まれる理由が思いつかないのだろう。
「お前は、私が、欲しいものを、全て手にできる。だが、お前はそれを、簡単に、手放す」
続く「なぜだ」という男の問い掛けに、返す言葉が見つからない隊長さんの様子を見て、苦笑した男の口から、こぷりと嫌な音をたてて血が溢れた。
慌てて男の名を呼ぶ隊長さんをよそに、虚ろな瞳で淡く照らされた闘技場の壁を見つめながら、男は最後に、ここにはいない誰かに語りかけた。
「これが貴方の答えか」
その言葉を最後に、男は静かに目を閉じた。




