79 牢の中
薄暗い牢の中に置かれた長椅子に腰掛けたまま、ソラは周囲を見渡した。
石造りの室内はひんやりと冷たく、天井近くにある小さな明り取りの窓には頑丈そうな鉄の格子が嵌められている。だが、備え付けの木製の机の上にはランプと水差しが置かれ、石床の一部には質素ながらも絨毯が敷かれていた。
ここは王宮で犯罪を犯した者――必然的に貴族またはその関係者となる――を一時的に収監する場所のため、必要最低限の設備が整っているのだ。
ソラはひと通り室内を見渡した後、床に敷かれた絨毯の上で大の字になって寝転がる上司の男に目を向けた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
薄暗い牢の中にヨハンのうめき声とも取れる重い声が落ちる。
わずかな休憩を与えられたとはいえ、早朝から日が沈むまで行われた聴取という名の糾弾には、体力に自身のあるヨハンも流石に堪えたらしい。
「それで、何を盗んだんですか?」
そんなヨハンに、ソラと同じく長椅子に座ったままのレイが冷たく問う。
「……盗んでねぇ」
「そんな事は分かってます。それで?」
「……ポーション」
「ポーション?」
「中級ポーションだとよ」
「中級?」
シン……と室内に静寂が落ちる。
そして――――
「妙ですね」
「だろ?」
そう言ったっきり、揃って眉間にシワをよせ、なんとも言えない微妙な表情で黙りこくった二人の上司の顔に、話の流れが掴めないソラは交互に視線を向ける。
そんなソラに上半身を起こしたヨハンが珍しく説明を買って出た。
「あ〜、なんつーか、俺等は今回の件を“ちょいと手の込んだたちの悪い嫌がらせ”だと思ってたんだ」
実際にこれまで何度かこういった“罪になる系”の嫌がらせを受けたことがある。
もちろん全て冤罪だと証明されてはいるが、いつの間にやら罪名だけがひとり歩きし、真相をよく知らない者達から第7部隊が遠巻きにされる要因のひとつとなってしまっている。
「冤罪であると通達もして貰っていますし、我々もその都度、釈明はしているんですけどね……」
「俺等は外で仕事するのが主だからなぁ」
「私達と接点のない者にとっては噂の方が真実なんですよ」
そう言って二人は諦めたように苦笑した。
「…………今回は違う?」
ソラの問いに「ポーションが関わっていますからね」とレイは神妙な顔つきで頷いた。だが、ソラは納得がいかず眉を顰める。
約半年前。ハルと契約する前ならいざ知らず、現在の第7部隊のポーション事情は十分に改善されている。確かにハルが納めているのは低級のポーションだが、ランクはかなり上。容疑をかけられる謂れはないはずだ。
そんなソラの無言の問に、ヨハンは大きなため息を吐いた。
「“低級”と“中級”は価値が全く違うんだよ。ソラはポーションについてどれ位知ってるんだ?」
「……傷を治す」
「まぁそれが一般的な知識だな」
首を傾げるソラに、レイが追加で説明を行う。
「“低級”は切り傷や擦過傷等の外傷に、“中級”は体の内側、内臓等の損傷を治すのに適しています」
「外傷の薬はポーション以外にもあるが、内臓の傷を治す薬はポーションしか無ぇ。となるとだ、当然、中級ポーションの方が価値はあがる」
「あとは単純に“数”ですね。低級ポーションは錬金術を使える者なら誰でも作れますが、“中級”は一部の限られた者にしか作れないんです」
これは中級ポーションを作る素材の問題ではなく、単純に個人が予め持つ才能の違いによるものだ。才能が無ければどんなに知識があっても、努力をしても、一生作る事は出来ない。逆に言えば才能さえあれば知識や経験に関係なく作れるという事だが、そういった天賦の才を持つ者は少ない。
そして、第7部隊にポーションを卸しているハルはまだ中級ポーションを作れていない。
「当然ですが価値が高い中級ポーションは厳重に管理されています。そんな厳重に管理されてる場所から無くなるという事は……」
「徹底的に捜査されるだろうな。しかも王宮で起こった事件だ、王宮騎士だけでなく王城騎士も血眼になって犯人を探すだろうよ」
捕まれば良くて更迭、悪ければ切断刑。
故に、今回の件はただの嫌がらせではなく本気でこちらを嵌めようとしている可能性が高い。
だが――。
「俺達を罪人にでっち上げるにはちーっとばかしお粗末だ」
ヨハンは再びごろりと絨毯の上に寝転がり、牢の天井を睨みながら眉間にしわを寄せた。
「中級ポーションは低級ポーションのように自由に売買出来ません。第7部隊に限らず、欲しいと思っている者は多いでしょうね」
「実際、俺はあくまでも容疑者のひとりにすぎねぇしな」
今回の事件で身柄を確保されたのはヨハン達だけではない。ここへ連れて来られる間にも王城騎士が容疑者とみられる者と共に、取調室に入って行くのを見ている。
したがって、自分達に対する嫌がらせにしては手が込みすぎている。だが、だからといって本気で嵌めようとしているとも思えない。
中級ポーションが狙いだったのだとしても、なぜ王宮のポーションを狙う必要があったのか。多くはないが王宮以外にも中級ポーションは保管されている。価値があるとはいえ傷を治す薬なのだ、使用する可能性が高い場所――強い魔物が出現しやすい地域の砦等――にはそれなりの量が配布されている。他所より警備が厳重な王宮をわざわざ狙う必要はない。
「ですから“妙”なんですよ」
犯人の狙いが読めないのだと、苛立ちを逃がすようにレイはため息を吐いた。そしてソラに視線を向ける。
「他に知りたい事はありますか?」
ソラはしばし考えた後、ポツリと「……いつ帰れるか」と答えた。
「そこかよ!」
「そこですか……」
ヨハンとレイから苦笑まじりの突っ込みが同時に入る。
だが、続けて発せられたソラの言葉に二人は固まった。
「あんまり遅いとハルが暴走する」
ヨハンとレイの脳内に胡散臭い笑みを浮かべたハルが浮かんだ。
「ありえる」
静まり返った牢にヨハンの呟き声が落ち、直後にレイの焦ったような声が響く。
「い、いえ。いくらアレなハルさんでもこの状況ではどうする事も出来ないでしょう。ドクターの口利きでここに面会に来るくらいなら可能かも、しれませんが……」
そうか? と、問うようなソラの視線に、引き攣った顔を返すしかないレイを横目に、なんだかとんでもない事――色々な意味で――が起こりそうだという予感を振り払うように、ヨハンは努めて明るい声を出した。
「ま、まぁ、そんなに長くはかからねぇだろ。目的がポーション以外なら、今夜にでもなにかしら仕掛けてくるだろうしな」
★
そして、その数時間後。
ソラ達のいる牢の前に三つの人影があった。
そのうちのひとりは左腕に王城騎士の証しでもある青い腕章を付けた、ヨハンと同じ年頃の青年だ。
整ってはいるが表情の乏しい顔の中で、唯一、冷たい鋼色の瞳だけが鋭い光を湛えていた。
その視線の先にいるヨハンは驚いたように目を見開いた後、苦笑しながら呟いた。
「お前が来るのかよ……」と。
★
青年の名は『アドルフ=モルガルド』。
この国で王家に続き最も影響力を持つであろう豪家、モルガルド公爵家のひとり息子。そして――
『昔、演習で同じ班になった事がある。良いやつだぜ。剣の腕も確かだし頭もきれる。クソ真面目だけどな』
昼間にヨハンがそう称した青年だった。