77 間に合わなかった男達
ジリジリと太陽が照りつける中、王宮の敷地内に建ち並ぶ建物の裏を3つの人影が全速力で駆けていた。
先頭を進む男がわずかに後ろを振り返り「急げ!」と短く告げる。
目的地まであとわずか。だが、タイムリミットは刻々と迫っている。男は顔に焦燥を浮かべながら、わずかに残った希望に一縷の望みをかけて走った。
やがて視界の先に目的の建物が姿を現す。
飾り気のない白い石壁の建物の扉はまだ閉まっていない。
最後の力を振り絞り、男はその建物へと飛び込む。そしてそこに広がる光景に――――絶望した。
「間に、合わな、かった……」
男は苦悶の表情を浮かべながら膝から崩れ落ちた。後方から聞こえる仲間の苦しそうな息づかいに申し訳なさがつのる。
もっと自分が優秀ならば仲間を巻き込まずにすんだのに……と。
「……すまん」
そんな思いが小さな呟きとなって口から溢れ落ちる。そんな男にため息と共に仲間のひとりが答えた。
「仕方ありませんよ」
諦めの混じった優しい声音に胸が締め付けられる。そして苦笑と共に仲間は続けて言った。
「今日も栄養バーで乗りきりましょう」
栄養バーとは、穀物やドライフルーツ等を砂糖や蜂蜜と共に混ぜ合わせ焼いた食品で、長期保存が可能な非常食の事だ。
元々は冒険者達の為に作られたものだが、味が良く腹持ちも良いと、今では職種を問わず日常的に食べられている食品のひとつでもある。
とはいえ、それを食事がわりに数日続けるとなると、いささか無理がある。
事実、第7部隊の隊長を勤める男、ヨハン=ロイスは崩れ落ちた格好のまま、後ろに立つ幼馴染みであり自分の隊の副隊長を勤めるレイ=グルベンキアンに、絶望に染まった顔を向け言った。
「飯食いてぇ」
その情けない姿にレイはピクリと頬をひきつらせる。ヨハンの気持ちは分かる、なにせ自分も全く同じ気持ちだからだ。
だが、だからこそこうも簡単に弱音を吐かれると腹が立つ。
苛立ち紛れに隙だらけの横っ腹にひと蹴り入れてやろうと足を動かしたその時。
「あ、あの、すみません」
視線を向けた先にいたのは、海老茶色のワンピースの上に白いエプロンをつけた、十代半ばだと思わしき少女だ。
まだ幼さの残る雀斑の浮いたその顔に緊張を浮かべ、少女は意を決したように言った。
「本日のランチは終了しました!」
☆
ソーニャは騎士が苦手だ。
王宮の食堂に勤める事が決まった時は友人達に羨まれもしたし、ソーニャ自身も、もしかしたら素敵な出会いがあるかもなどと夢を見ていたが、そんな夢はすぐに消えた。
横柄な態度、平民だからとこちらを馬鹿にした物言い、意地の悪いオーダー。
もちろんそういった態度を取るのは一部の騎士だけだが、嫌な思い出ほど記憶に残るものだ。
まだ勤めて間もないころ、決められた時間以外での食事の提供は出来ないと、遅れてやって来た騎士達に告げた際、頭ごなしに怒鳴られた記憶は今でもソーニャの心に暗い影を落としている。
ソーニャは緊張に指先を震わせながら騎士達の様子を伺った。
人数は3人。なぜか座り込んでいる短髪の騎士に、舞台俳優のように美しい顔をした騎士。もう1人は2人の騎士の後ろにいるのでよく見えないが、背格好から見て見習いの騎士のようだ。
「ちょいと! なにやってるんだい!」
その時、食堂の奥から恰幅の良い女が姿を現した。
海老茶色のワンピースはソーニャと同じだが、白いエプロンの胸元には彼女の身分が料理長であることを示す青い星が3つ刺繍されている。
女は足早に近付くとソーニャを自分の背に隠すように前へ出た。そして騎士達をひとしきりじろりと睨んだあと、入り口近くの壁を指差した。
「悪いけど時間外だよ! 規則は守っとくれ!」
壁に貼られた少々色褪せた紙には“時間厳守!!!”の文字と、食事が提供される時間が大きく書かれていた。
ソーニャだけでなく遠巻きにこちらの様子を伺っている同僚達も顔を強張らして騎士達の反応を待つ。
怒鳴られるか、不満顔で去られるか、それとも丁寧な口調でごねられるか……。
“料理長”はある程度の権限は与えられているが、彼女も平民であることに変わりはない。いざとなれば誰かが上の人間――貴族位をもつ文官等――を呼びに走ることになるだろう。
「あー。だよなー。わりぃ」
ピリリと緊張に張り詰めた食堂に、そんななんともいえない緩い声が落ちた。
ちっとも騎士らしくない、まるで下町に暮らす“兄ちゃん達”のような言葉遣いに、ソーニャだけではなく料理長も、おそらく食堂にいた全員がポカンする。
ソーニャ達が反応するより早く、もう一人の金髪の騎士が短髪の騎士の後頭部を軽くペシリと叩く。
「王宮では言葉遣いに気を付けて下さいと言っているでしょう。――――申し訳ありません、すぐに出ていきますので」
「あ、い、いや。分かってくれりゃあいいんだ」
「有り難うございます」
舞台俳優のように綺麗な顔をした騎士の謝罪と微笑みに、料理長はしどろもどろになり、こちらの様子を伺っていた同僚の女性達は小さくだが黄色い悲鳴をあげる。近くにいたソーニャに至っては顔を真っ赤にして石のように固まった。
「ほら、行きますよ」と金髪の騎士が短髪の騎士に立つよう促し、続いて少し後ろを振り返りもう1人の人物に声をかける。
「大丈夫ですか? 全力で走りましたからね」
「大丈夫……です」
そこには浅く肩を上下させて呼吸を整えている騎士見習いの少年が一人いた。
珍しい青みがかった銀髪に冷たい水色の瞳。褐色の額に浮いた汗を腕で乱暴に拭っている。
目付きの悪い少年だなとソーニャは思った。せっかく綺麗な顔をしているのに勿体ないなとも。だが、それと同時に記憶の片隅に引っ掛かるものがあった。
なんだろうと首を傾げる。
少年を知っているような気がする。
だが顔見知りではない。
どこかで偶然すれ違ったのだろうかとも思ったが、どうもしっくりこない。
どうやらそう感じるのはソーニャだけではないようで、料理長も「ん?」と片方の眉を器用に上げながら少年の顔を覗き込んでいる。
2人の騎士は不思議そうに、覗き込まれている少年は不愉快そうに目を眇ませ料理長を睨んでいる――ような気がする。もともと目付きが悪いのでよく分からない。
(なんか……)
隠れてくつろいでいたのに人間に見つかってしまい不愉快そうに睨み付けてくる野良猫、のようだ。
そう思った瞬間、ソーニャの脳裏にある人物の顔が閃いた。それを伝えようとソーニャが料理長に手を伸ばした時、料理長が「あっ!」と声をあげた。
そして腰に手をあて、にんまりと笑い、目付きの悪い少年に向かって言った。
「あんた“ソラ”だろ!」
わずかに目を見開いた後、少年の目付きはさらに悪くなり、眉間に深い皺が刻まれた。
【後書き】
(ランチに)間に合わなかった男達