閑話~蠢く~
霧深い夜。
とある屋敷の豪奢な部屋の一室で、机の上の魔石を用いたランプの灯りを頼りに1人の男が机に向かい、各地にいる部下達から送られてきた書類に目を通していた。
それらはペラリ、ペラリと一定のリズムで捲られ、男によって数秒も経たないうちに要か不要かを判断される。
その選択によって、最低でも人ひとりの運命が決まると知っていても、男の手には一切迷いはない。
要と判断された者達には救いが。
不要と判断された者達には死が、あるいは死よりも恐ろしい未来が待ち受けている。
それでも男の冷たい鋼の瞳にはなんの感情も浮かんではいない。
苦悩も、逡巡も、哀れみも、他者の運命を左右する事による暗い愉悦も、傲慢も、何もない。
ただ無慈悲に、ただ無感動に、ただ無関心に。数秒とかからずに男の手によって命は仕分けされてゆく。
そんな男の手がある書類で止まった。
無機質な鋼色の瞳に浮かぶのは――――
「旦那様」
その時、閉ざされた分厚い扉の向こう側から入室を求める声が聞こえた。
男の許可を得て開かれた扉の先には、長年この家に遣える年老いた執事がひとり。
日の光の下でならただの年老いた老人だが、薄暗いこの部屋でひっそりと佇む姿は、まるで幽鬼のように不気味だ。
家督を継ぐ際に「裏切らん、使え」と、ただそれだけを父から言われて継いだ道具のひとつ。この老執事がどこから来たのか、いつからいるのか、なぜこの家に支えているのか、男は知らない。
だがそれで構わない。
この亡霊のような老執事が使える道具である事は確固たる事実だ。それに裏切るなら始末すれば良い。男が所有する“使える道具”はひとつではないのだから。
男が視線で話をするよう促すと、老執事は黙礼し、見た目通りの嗄れた声で淡々と話し始めた。
「少年と少女の証言通り、山中にて賊の隠れ家と賊の体の一部と思わしきものを複数発見致しました。既に喰われており腐敗も進んでおりましたので正確な人数までは把握出来ませんでしたが、おそらく全員生きてはいないかと」
予期していた報告に頷く男に、老執事は「ひとつ問題が」と続ける。
「ナーガが賊の隠れ家近くの岩場を巣と決めたようで、少女が祖母と住んでいた家を探すとなると森を大きく迂回せねばなりません。此度の春先の雨により山が崩れている場所も多々あり……今暫く時間が必要かと」
「娘の証言の真偽が確認できんか……」
老執事が頭を下げ謝罪の意を示すのを視界の隅に捉えながら、男はどうするべきかと思考する。
「王都での動向はどうだ?」
「今のところ問題はないかと。王族の方々や特定の貴族に取り入ろうとする様子も見られません。行動範囲、購入品も取り立てて不可解な物はございませんでした。――――ただ、少女の方ですが些か変わった思考を持っているようです。室内で靴を脱ぐ習慣や食の知識から判断しまして、小人族と縁が深いように思われます」
「第七部隊の報告書にあった『ジョン=テレビ』なる人物が小人族で、その影響を強く受けて育ったと考えるなら納得がいくか?」
「その可能性は高いかと」
老執事の報告に暫し黙考し、男は決断を下す。
「森での捜索は打ち切る。だが王都での監視は引き続き行え。――ナーガの巣に関しては適当に噂を流しておけ」
これで話は終わりだと視線を机に向ける事で退室を促したが、老執事はその場から動こうとしない。それを不信に思い顔をあげる。
「なんだ? まだ何かあるのか?」
男の問いに老執事は暗い瞳で返した。
「…………ご子息が動かれたようですね」
ジリッ……と、寿命を迎えたランプの中の魔石が音をたてて崩れ、一瞬、男の顔に複雑な影を落とす。
「ブルクハルト様に繋ぎをとりますか?」
老執事の口から出た人物の名に、男の手の中にあった紙が微かに揺れる。
重苦しい沈黙の後、男は「否」と答え、続けた。
「ニーヴ侯爵家に使いを送れ」
男の命令に含まれる真意を悟った老執事が深く頭を垂れるのを視界の隅にとらえながら、男は手に持っていた紙を放った。
男の手から離れた紙は、不要と判断された命の紙束の上に、音もなく、重なった。
【後書き】
魔石は魔力を補充して繰り返し使用できますが、永久的ではありません。
どんなに良質な魔石でも使い続けていくうちに劣化し、最後には灰のようになって崩れます。
――――って設定です。