74 “今”出来ること
【前書き】
おまたせしてスミマセン。
やっと出来た(´;ω;`)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
濾過器を通してポタポタとピッチャーに溜まる琥珀色の液体をぼんやりと眺める。
ダルク公爵夫人の店をあとにした私とソラは、王宮内にある師匠さん達が暮らす屋敷――私の職場――を訪れていた。
師匠さんは私とソラの庇護者だ。
けれど、ほぼ毎日会える私と違い、騎士見習いであるソラにはなかなか会えない。そこで、休日にこの屋敷で会えないだろうかと、数日前に師匠さんから提案されたのだ。
貴族街のどこかで会う事も可能だったのだが、治安の良い貴族街であろうとも師匠さんクラスの重要人物には護衛がつく。
他者がいる状態――王都での師匠さんの護衛は第7部隊ではない――では落ち着いて話ができないし、出来ればゆっくり話がしたいという師匠さんの希望もあり、ここへ来ることとなったのだ。
そして今、私は師匠さんに頼まれて“ディッフィア”と呼ばれるお茶を淹れている。
ディッフィアは林檎のような薫りがする高級茶だが、抽出するのに時間がかかる事でも有名なお茶だ。
実際、ディッフィアを淹れ始めてすでに5分は経過しているが、ピッチャー内は4分の1程度にしか溜まっていない。
ふと視線を上げて隣室へと続くドアを見る。
ドアの向こう側では師匠さんがソラの診察をしながら会話をしているはずだ。
二人がどんな会話をしているのか気にならないと言えば嘘になる。
最近、ソラの様子がおかしかった――見た目は全然変わらないけど――から尚更だ。
けれど――
(師匠さんに任せた方がいいか……)
なんとなくだがその理由に心当たりのある私は、隣室へと続くドアから視線を外して、ディッフィアを淹れることに集中した。
☆
「………………先生」
消え入りそうな小さな声で話しかけられ、エドワード=マルチーノは診察結果を記していた手を止めた。
声の先には暗い表情をしたソラ。
ソラの表情をじっと見つめたあと、マルチーノは持っていたペンを静かに机の上に置いた。
「……どうした?」
だがソラは問いかけに答えず、険しい表情のままなにも語ろうとはしない。
そして静かに時が過ぎ、何度も迷うような素振りを見せたあと、ソラは意を決したように顔をあげて言った。
「先生。俺、あいつの、ハルの“お荷物”なんだ。……どうしたらいい?」
その言葉にマルチーノの眉がピクリと歪む。
「……誰かに何か言われたのか?」
「…………別に」
そう言って視線をそらしたソラに、マルチーノは眉をしかめたまま溢れ落ちそうになった溜め息をなんとか押し止めた。
誰かに言われなくては“お荷物”などという言葉が出てくるとは思えない。
――――おそらくは役人か、第7部隊以外の騎士か……。
とはいえ、いずれこういった事が起こるだろうことは予想していた。ハルも自分も常にソラの側にいることは出来ない。それに見習いとはいえソラは騎士だ、役人や他部隊の騎士達とも接する機会はこれからも多々あるだろう。
ふぅ……と小さな息と共に苛立ちを吐き出す。
「先に確認しておくが……ハルがお前の事を“お荷物”だなどと思っていない事はちゃんと理解しているな?」
「……それは分かってる。でも…………俺は、あいつに貰ってばっかなんだ。初めて会った時からずっと」
温かな食事、洗いたての肌触りのよい服、安心して眠れる場所。それだけではない、見習い騎士になれたのも、マルチーノの庇護を得られたのもハルがいたからこそだ。
そもそも今、自分が生きてられるのはハルのお陰だ。ハルがいなければ盗賊達と同じようにナーガに殺され、喰われていただろう。
そしてなによりもハルは――――
『ソラ』
“名”を、くれた。
そう言ってソラは再び暗い顔をして黙りこんだ。
「ハルは別に見返りを求めてなどおらんぞ?」
「…………」
「だからこそ苦しいか?」
その言葉に小さく頷いて返事をするソラに、マルチーノは苦笑した。『まるで過去の自分を見ているようだ』と思ったからだ。
そして同時に思い出す。
自分を救ってくれた人の事を。
その人に似たような悩みを打ち明け、その時に返された言葉を。
『う~ん、そっかぁ。あ、だったら――』
「だったら“お荷物”でいてやれ」
勢いよく顔をあげたソラの、きょとんとした表情に思わず笑みが溢れた。おそらくあの時の自分も、今のソラと同じような顔をしていただろう。
「確かにハルは優秀だ。だが少々潔すぎる」
「それって……駄目なのか?」
「駄目ではないが、過ぎると不安になるというものだ」
よく分からないという風に眉をひそめるソラに、どう説明したものかと顎髭を撫でる。
「そうだな……。例えば、大切な何かが荒れ狂う海にあると分かればハルは躊躇なく飛び込む。その結果として己が不幸になると分かっていても、あれは迷わず動く――――そんな危うさがハルにはある」
「それは……何となく分かる。あいつ考えてるようで考えてねぇし、いきなり変なことするし言い出すし。それにテンパるとぶっ飛ぶしな。…………あいつやべぇな」
眉間にしわを寄せながらそう酷評するソラに特に肯定も否定もせずに空咳をひとつして続ける。
「そう思うなら“お荷物”でいてやれ。お前が足枷になって、ハルが海に飛び込まないよう見張ってやれ」
「……でも、それじゃあ意味ねぇよ」
悔しげにそう呟くソラに、マルチーノは優しく微笑んだ。
「別にずっと“お荷物”でいろとは言っておらん。出来る事はちゃんとやりなさい。ハルと共に並びたいと思うなら、“今”出来る事を精一杯大切にして、出来る事を増やしなさい。――――時間はかかるだろうが、それが一番の近道だ」
その言葉にソラは暫く難しい顔をして考え込んでいたが、やがて顔をあげて頷いた。
その瞳に、もう迷いは無かった。
☆ ☆ ☆
ディッフィアがピッチャーに十分に溜まったころ、閉ざされていた扉が開いた。そして、そこから出てきたソラの顔を見て驚いた。
憑き物が落ちたような、なにかを振り切ったような、そんな顔をしていたからだ。
さすが師匠さんだと尊敬の念を抱いていると、ソラが側に来て私を見下ろしながら宣言した。
「お前が海に飛び込まないように、俺は荷物になる」
「…………………………………………は?」
え? どゆこと? なんなのその宣言。
私が海に飛び込むの? 嫌だよなんで?
ソラが荷物になるってどういう意味?
まさか仮装的な意味じゃないよね!?
――――分からん。
いったいどんな診察をすればこんな結果が? 薬の副作用とかか? し、師匠さん?
と、向けた視線の先にいた師匠さんは片手で顔を覆っていた。“あちゃー”みたいな感じだ。
あ、うん。察し。
今度、時間がある時にでも詳しく聞く事としよう。
それよりソラにはどうしても言っておきたい事がある。
私はソラを見上げてはっきりと宣言した。
「海に飛び込む予定はない!」
師匠さんが両手で顔を覆った。
なんで?