名前
「どう、でしょうか? 勇者様」
白を基調とした清涼感のある洋服を身に纏い、エリザベスは恥じらった。
この現実世界で、この日本で、格調高いドレスは嫌でも目立つ。
京都で舞子になりたがるような外国人観光客でもしない格好だ。
これが違和感なく通用するのは、極めて限定的な局所のみだろう。
ゆえに、百合の衣服を貸してもらったわけだが。
「あぁ、よく似合ってるよ。まるでフランス人形みたいだ」
雑誌のモデルを見ているようですらある。
白の衣服に金の髪がよく映えている。
本人は丈の短いスカートに慣れないのか、しきりに気にしているようだけれど。
「えへへ。すこし恥ずかしいですけど、嬉しいです。私もこれで、格好だけですが、この世界の住人になれたのですね」
「そうだな。後は、文字の読み書き。常識。紙幣価値。交通ルール。法律関係。価値基準。礼儀作法に……その他もろもろだな」
「うぅ……先は長そうです」
まぁ、それらも少しずつ身につけていけばいい。
追っ手がかかる心配はないんだ。
ゆっくり、着実に、一歩ずつ進んでいければいい。
「――エリザベスちゃん。着替えは……終わってたね」
襖が開かれ百合が顔を出す。
そのまま敷居を跨いだ百合は、エリザベスの周囲をぐるりと回る。
「うん。やっぱり白が似合うね」
「これ、選んだのは百合なのか?」
「そう。どう? いいセンスしてるでしょ」
百合は、いつもと変わらない口調でそう言った
けれど、どこか違和感があるようにも見える。
いつもと、ほんのすこし違う。
繕ってはいるけれど、その内側は。
「――あぁ。違いないな」
いや、止めておこう。
これは時間が解決してくれることだろうから。
「さて、準備も整ったことだし、組合のところまで行くとしようか。百合は、たしか用事があるんだったか?」
「うん。ちょっとしたね。だから、組合には二人で行ってもらうことになるけど、大丈夫?」
腕を組み、不安そうに百合は言う。
「まぁ、大丈夫だろ。組合って言ってもじーさんとばーさんが踏ん反り返って書類に判子を押してるだけの場所だ。ぱっと言って、ぱっと帰ってくるさ」
「私が心配しているのは、組合で双也が暴れかねないってことだけどね」
「俺はそんな常識のない奴じゃねーよ」
暴れたいのは山々だが、暴れたところで自分の立場を悪くするだけ。
ただでさえ目の敵にされているんだ。
これ以上、面倒なことになるのは、流石に御免こうむる。
「じゃ、行こうか。エリザベス」
「はい、勇者様」
出発の準備も整い、俺たちは百合の実家を後にする。
魔術組合の支部があるのは、ここから少し歩いた先にある商店街の向こう側だ。
「――今日は意外と冷えるな」
今年もすでに三ヶ月強が経過したと言うのに、一向に暖かくならない。
吐く息は未だに白いままだし、肌を刺すような寒さは健在だ。
なにが四季のある国だ。夏と冬しかない国に改名しろ。
「はぁー……はぁー!」
寒さに震えながら歩いてると、隣で大きく息を吐く音が聞こえる。
何をしているのかとエリザベスのほうを見ると、意外な姿が見えてきた。
どうやら、自分の息が白くなるのが珍しいらしい。
何度も何度も息をしては、白くなって霧散するそれを眺めている。
「エリザベスの国に、冬はなかったのか?」
「はい。私の国はずっと一定の気温に保たれていましたから。寒い気候の国では、息が白くなるとは本当だったのですね。はぁー!」
「楽しそうで何より」
異世界の姫君ということで、忘れてしまいがちだけれど。
本来なら、まだ蝶よ花よと大切に育てられる時期の年齢だ。
王室なら、なおさら。
この無邪気な姿を見ると、エリザベスが天涯孤独だという現実が嫌になる。
だから、せめて、出来る限りエリザベスの隣にいよう。親しい関係でいよう。
孤独に苛まれないよう、寂しくないよう。
「んー……」
そんなことを考えていると、ふと思い立って思案する。
「どうかしたんですか?」
「いや。エリザベス、だとちょっと長いかなって思ってさ」
「長い?」
エリザベスは、きょとんとした表情を造る。
「まぁ、これは感覚の問題だけど。この国の人は短い名前が多いんだ。二文字とか三文字とか。もちろん例外も沢山あるけど、傾向としてさ。だから、愛称でも考えてみようと思って」
まぁ、とうの本人が嫌なら止めておくけれど。
無理強いをしてまで、付けることでもないし。
「愛称……勇者様がつけてくださるのですか? 嬉しいです!」
意外と乗り気だった。
「んー……そうだな」
エリザベスの愛称はたしか幾つかあったはずだけれど。
エリーザ。エルザ。エリーゼ。リーザ。ベティー。ベス。イザベル、イザベラもたしか愛称だっけ。こうして候補を列挙してみると、選択肢が多すぎて困るな。
でも、エリザベスのイメージ的に考えてみると。
「――よし、決めた」
エリザベスと向かいあって、その名を告げる。
「リズ。リズに決めた」
「リズ……それが私の新しい……名前なのですね」
復唱し、自身の深いところにその名を落とし込んでいく。
「気に入ってくれたか?」
「はいっ、とっても! ありがとうございます、勇者様!」
名前が変われば、自分も変われるかも知れない。
変わり果てた環境に対応するため、適応するため、エリザベスは――リズは自身が変わるための切っ掛けを探していたのかも知れない。
それが今回の愛称付けだった。
このことで少しでも、リズの心境が安らぐといいな。
「――そうだ。俺のことも名前で呼んでくれないか? 勇者様、じゃなくてさ」
「勇者様を、ですか?」
勇者様と言われて、悪い気はしないけれど。
今後、ずっとその呼び方だと色々と弊害が出てくる。
特に、周囲の目が怪訝なものになりかねない。
なにも知らない外国人に変な日本語を教えて、自分を勇者様と呼ばせている変態野郎。ということにでもなったら目も当てられない。
「そう……ですよね。では、こほんっ」
リズは、そう小さく咳をして口にする。
「そ、双也っ」
顔を赤らめ、胸の前で手を組み、恥じらいながら名前を呼ぶ。
なかなかどうして、ぐっとくる呼び方だった。
「その調子だ、リズ」
「えへへ。なんだか、すこし恥ずかしいですけど」
新たな名前と、呼ばれ方を引っさげて、俺たちは止めていた足を動かした。
現在地はすでに商店街を目視できる所まで来ている。
そこを通り抜ければ、目的地である魔術組合はすぐそこだ。