罠
最初に動いたのは、雨雲だった。
試合が始まると同時に、彼女は大量の風刃を展開する。
その一つ一つは、先ほど不意打ちで放ったものよりも強力だ。
込められた魔力の密度が、あまりにも違う。
先ほどのように、魔殻の強化のみで無効化できような代物ではない。
「さぁ、行っくよ」
一斉に掃射される風刃は次々と百合へと迫る。
対して、刀を構える百合は、射線から外れるように駆けだした。
迂回するように大回りになって、回避行動をとる。
「逃がさないっての!」
風刃はただ直進するだけでなく、百合を追いかけるように追尾した。
百合の足跡を追いかけるように、それは微かにだが百合を追い詰めている。
「第二輪――杜若」
背後にまで迫った風刃に、百合は自身の魔術をもって対抗する。
第一から第九まである派生魔術、究花。
その第二輪、杜若の能力は飛翔する二匹の燕である。
燕は鋭利な翼で空を裂く。
その切れ味たるや、風刃をも凌駕するもの。
それは風を次々に斬り裂いて馳せ、旋回すると共に雨雲を急襲する。
鋭い嘴を弾丸に見立て、燕は空を馳せた。
「それはもう知ってんだっ!」
しかし、それはすでに過去に披露した魔術。
特待生であるが故の知名度によって、対策は事前に立てられていた。
雨雲は新たな魔術を編む。
顕現するは風の糸。
網目状に張り巡らされたそれは、二匹の燕をたやすく絡め取ってしまう。
鋭利な翼も、鋭い嘴も、胴を捕らえられては意味をなさない。
二匹は捕らえられ、縛られ、そのまま握り潰されるように糸に切断される。
「対策ばっちりって感じだねー」
「あぁ……そうだな」
百合がはじめ、武闘会に出たがらなかった理由がこれだ。
すでに見せた魔術は効果が薄く、新たに見せる魔術には今後対策が取られてしまう。
衆目の中で魔術を晒すということは、こう言ったリスクを伴う。
魔術師の本分は怪異狩りで、魔術師同士の戦闘なんてほとんど起こらないけれど。
手の内を公開するメリットなんて、ほぼほぼない。
「でも、そんなことは百合だって先刻承知だ」
百合はすでに刀の間合いに、雨雲を捕らえている。
用意していた対策は使いたくなるもの。
それを成功させるために、それだけに意識を取られがちだ。
だから、たやすく接近を許してしまう。
「――くっ」
燕が無残にも糸に斬り裂かれた直後には、百合すでに刀を振るっていた。
二匹に気を取られていた雨雲は、それに対しての反応が一手遅れる。
踏み込みは完璧、剣速も申し分ない。
このまま試合は決着にいたるかに思われた。
しかし。
「――っ」
百合は直前で刀を止める。
それだけに止まらず、その場から飛び退いた。
観客席にも動揺が走る。
けれどその直後に、その判断は正しいものだったと誰もが理解する。
「なーんだ。引っかからないんだー」
先ほど百合が踏み込んだ地点から、風の刃が吹き上がった。
それは何者も斬り裂くことなく霧散したけれど。
もしあのまま百合が攻撃を続行していたら、魔殻がズタズタになっていた。
設置型の魔術式罠。
それに百合は直前で気がついた。
「……妙だな」
その罠が、どうにも不自然に映る。
「たしかにねー、あの子が罠を張るような仕草は見えなかったけどなー」
「……まぁ、気づかれずにやるから罠なんだろうが。それでも……」
観客席にいる俺たちの目まで、彼女は欺いている。
この衆目の中で、そのような芸当が本当に可能なのだろうか。
魔術師としての日が浅い俺だけならまだしも、特待生の理緒にまで気取られていない。
雨雲は、この試合が始まってから、いったいいつ罠を張ったんだ?
「さぁ! どこからでも掛かって来なよ。さぁ! さぁ!」
距離を取った百合を煽るように、雨雲は挑発する。
いま戦っている百合でさえ、罠には直前まで気がつかなかった。
どこに罠が仕掛けられているかわからない以上、迂闊には攻め込めない。
遠距離攻撃も、風の糸で無力化されてしまう。
近づけず、攻撃も届かない。状況は、どう見ても百合の不利。
「来ないなら、こっちから行くから!」
雨雲は再び、風刃を展開する。
一斉掃射されるそれを百合は再び回避行動をとる。
けれど。
「残念! そこにも仕掛けてありました!」
回避先で罠を踏む。
直ぐさま、更に飛び退くことで大事は免れたけれど。
罠から放たれた風刃で、魔殻に軽い傷がつく。
「嬲ってあげるよ、特待生!」
絶え間なく、雨雲の攻撃はつづく。
百合はそのいずれにも対応できているが、確実に魔殻に傷は増えていく。
「――ははーん」
その様子を見て、理緒はなにかに感づいた。
「なにか気がついたのか?」
「いやねー。誰にも気づかれず、近づきもしないで、色んな場所に罠を設置する方法を、ざっと数十通り考えてみたけど。どれも現実的じゃないなーと思ってね」
「……つまり、そういうことか」
試合開始から、雨雲はほとんど移動していない。
にも関わらず、この訓練場のいたるところに罠が仕掛けられている。
移動せず、誰にも気取られず、離れた位置に罠を設置することは現実的ではない。
そう。この試合中では。
「予め罠を仕掛けてあったんだ。小賢しいことに罠の完成度はとっても高い。百合ちゃんでも近づかなきゃわからないくらいにねー。あると知ってなきゃ、実行委員じゃ見つけられない」
「……けど、それを言っても実行委員の連中は試合を止めたりしないだろうな」
「私は不正を見抜けない間抜けです、って認めるようなものだからねー。次はない、なんて司会は言っていたけれど、この試合が止まることなんてまずない。言いがかりだ、とか。考えすぎだ、とか。適当なことを言ってお茶を濁すに決まってる」
それに実行委員が不正を見抜けなかったという事実は、武闘会そのものに影響を与える。
この次の試合も、その次の試合も、実は誰かが不正しているかも知れない。
そんな疑念が観客席に渦巻くのは目に見えている。
それは武闘会の失敗とほぼ同義。
実行委員は、絶対に認めたりはしないだろう。
「でも、いま戦っている百合ちゃんが、それに気づいていないはずがないんだよねー。たぶん、試合が始まる直前にはもう罠が置かれてるってことは知ってたはずだよ。正確な位置までは、わからなかっただろうけど」
けれど、百合は。
「それでも続行しているってことは、そういうことなんでしょ。罠なんてはね除けて勝ってみせるって意思表示だよ。そう思わない?」
たしかに理緒の言う通りだ。
百合がわかっていないはずがない。
なのに、なにも言わずに黙って試合に臨んでいる。
「そうだな。なら、見物だぜ。ここから百合が、どう勝つのか」
百合は不正などに屈することなく、勝とうとしている。
なら、俺がなにか行動を起こす理由はない。
昨日、ほかならぬ百合に言われたのだから。
黙って、見届けるとしよう。




