帰還
粒子化した肉体は再構成され、元の形へと収束する。
「――帰ってきたか」
意識が覚醒し、召喚の成功に確信をいだく。
身体のどこにも異変はなく、過不足もない。
いや、だが、変化はある。
異世界で受け継いだ古龍の遺伝子は、未だにこの身体の奥底に根付いていた。
「おかえ……り、そう……や」
「ただいま、百合。随分、疲れてるみたいだな」
再会した百合は、とてもとても疲労しているようだった。
「当たり前……でしょ。すっごく、疲れるんだから。召喚陣の……即興構築なんて」
たしかに、その通りだ。
召喚陣は魔術の中でも複雑で難解な構築式をしている。
それを即興で、しかも何の見本も参考にせずに、脳内のみで書き上げたのだ。
例えるなら、城の設計図を自身の感覚のみで精巧に仕上げるくらいの無理難題。
並の魔術師にはまず不可能な芸当だろう。
よくよく考えてみると、途轍もなく凄いことしてるな、百合。
そりゃ、魔法学園で特待生になれる訳だ。
「ありがとう。お陰で帰ってこられた」
「どう致しまして。ふぅ、ちょっと落ち着いたかな」
膝に手をついて肩で息をしていた百合は、ゆっくりと姿勢を正した。
呼吸も落ち着いて、正常な間隔に戻りつつある。
「……それで? さっきから双也の後ろに貼り付いてるその子は?」
そうして気を整えたところで、百合の視界にエリザベスが入る。
眉をひそめ、怪訝そうな顔をして、俺に詳細を訊ねた。
「あー……その……なんだ。ちょっとした事情があってだな」
「へぇ。私が必死に召喚陣を構築している間に、いったい何があれば人一人をこっち側に連れてくるようなことになるの? うん?」
「それはだな……」
現にこうして人が一人、こちらの世界にやってきている。
その説明をしない訳にはいかないし、事情を明かさない訳にもいかない。
だが、しかし、どこまで話していいものやら。
「あのっ」
そう難儀していると、背中から声がした。
「私から、ご説明いたします」
影に隠れるようにしていたエリザベスは、意を決したように隣にまで歩み出る。
「ですが、その前に一つだけ約束して欲しいのです。この話を口外しない、と」
古龍の遺伝子。
王国の姫君。
国外逃亡。
その他もろもろ。
これらの要素をふんだんに持つエリザベスの事情を明かすには、それなりのリスクがある。それは異世界だろうが、現実世界だろうが、同じことだ。
それ故に慎重にならざるを得ない。
だからこその約束だ。
これで百合にも意図は伝わっただろう。
面倒ごとに巻き込まれたくないなら止めておけ、と。
「……それは双也も知ってること?」
視線が、こちらを向く。
「あぁ、把握済みだ」
「……そう。わかった、私にも話して」
意外にもあっさりと決断した。
「よろしいのですか?」
「何も知らないままって言うのも気持ちが悪いし。なにより、召喚したのは私だから」
自身も当事者であると、百合は言う。
たしかに召喚したのは百合だが、連れてきたのは俺の意思だ。
気負う必要はないが、百合の性格上、言っても聞かないだろう。
「っと、その前に。場所を変えよっか。流石に、こんな場所でするような話でもなさそうだし」
「そういや、道のど真ん中だったな。ここ」
日課の怪異狩りの最中に召喚されたんだったか。
幸いにも、担当区域の掃討はすでに済んでいる。
帰るにはまだすこし速い時間帯だが、問題ないだろう。
「それでいいか? エリザベス」
「はい。私は構いません」
「じゃ、行こっか。私についてきて」
まず先導するように百合が歩き始める。
それに続こうとして一歩を踏み出し、ふと気がついてエリザベスを見た。
「どうかしましたか?」
「いや、こうしたほうがいいかなって」
そう言いつつ、エリザベスの手を握る。
手を繋ぎ、そうしてから、歩き出した。
「手を繋ぐ必要ある?」
「はぐれないようにするためだよ。べつに深い意味はない」
というのは建前で、本当は一人ではないと印象づけたかったのだ。
世界の垣根を越えてこちら側に召喚され、天涯孤独の身となった。
そんなエリザベスの孤独は察するにあまりある。
だから、すこしでもそれを紛らわせたかった。
ただ、それだけだ。
「ん――」
手を引いて歩くことしばらく。
人気のない静かな住宅街に差し掛かったところで気がついた。
エリザベスの視線が、きょろきょろと忙しなく動いていることに。
「珍しいか? こっちの世界は」
「はい、とても興味深いです。この堅牢な道も、あの立派な建物も、それらを照らす光の数々も、なにもかもが違っていて……すこし、驚いてしまいます」
道路整備も、建築技術も、街灯の設置数も光量も、異世界とはまるで違う。
まぁ、実際にこの目で異世界の文化を見た訳じゃあないけれど。
結局、俺はあの森林から出ることはなかったしな。
しかし、王国の姫君たるエリザベスが言うのなら、そうなのだろう。
この世界と異世界とでは、かなり文化が異なっているらしい。
「大丈夫だ。すこしずつ慣らしていけばいい。今は物珍しく思うだろうけど、そのうちすぐに日常の一部になる」
初めは誰でもそうだ。
物珍しく、新鮮で、興味が尽きない。
しかし、それも慣れてしまえば日常だ。
普段、目にしている光景の一部でしかなくなる。
「そう、ですね。私、頑張ってこの世界を勉強しますっ」
「その意気だ」
思いの外、エリザベスは前向きに物事を捉えられている。
まだ不安や未知への恐れを抱いているはずなのに。
賢明に、気丈なまでに、前を向いて進もうとしている。
その意思は硬く、強く、だからこそ、心配になる。
無理をしていなければいいが、それを俺が知る術はない。
とにかく、その辺の気配りは怠らないようにしておこう。
エリザベスには、色々なことが起こりすぎている。
「ほら、ここだよ。私の家」
そう思考しているうちに、百合の家にまでたどり着く。
日本古来から続く由緒正しき魔術師の家系である百合の実家は立派な日本屋敷だ。
見た目の心証は完全に反社会勢力の本拠地だけれど。
庭には松が生え、池には鯉が住み、枯山水まである豪勢な造りとなっている。
「わぁ……」
エリザベスは、そんな屋敷をみて感嘆していた。
歴史的な重みを感じる建造物に、関心を覚える質らしい。
今度、世界遺産特集の記事でも探してみようかな。
「今日は、お父さんもお母さんもいないから私たちだけだよ。だから、安心してね」
「なんか意味深だな、その台詞は」
意味深もなにも、事情を話すのに懸念はないと言っているだけだけれど。
「ちょっと! 変なことを言わないでよ」
「意味深?」
「あぁ、なんでもないの。なんでもないから。ほら、はやく中に入ろ」
そう言って背後に回り込んだ百合は、俺たちの背中を押したのだった。