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夜景


「えーっとたしか……あそこか」


 位置を確認し、背に古龍の翼を生やす。

 地上から舞い上がり、三階にある百合の部屋にたどり着く。

 百合はすでにベランダに出ているようで、すぐに姿を発見できた。


「よう。どうしたんだ? 急に」

「うん、話すから。とりあえず、斬ってくれる?」

「んー……まぁ、わかった」


 相変わらず用件はわからないが、言われるがまま結界を斬る。

 剣閃は結界を引き裂いて、刀傷は穴となって広がった。


「さて、それじゃあお次はどうする?」

「ちゃんと受け止めてね」

「なんだって?」


 そう聞き返すも返事はない。

 百合はベランダの手すりを足場にして跳躍する。

 結界に空いた穴を通り、外へと跳び出した。


「あっぶなっ」


 慌てて百合を抱き止めた。

 受け止め損なっていたら、地面に真っ逆さまだ。

 まぁ、百合も魔術師だから、この程度の高さはなんてことないはずだが。

 それでも肝が冷えた。


「おい、なに考えて――」

「いいから。ほら、ずっと上まで昇って」


 百合ってここまで人の話を聞かない奴だったか?

 いや。百合がこうなるときって、大抵の場合は。

 なにか訳がありそうだな。


「……しようがない、しっかり捕まってろ」


 背の両翼が空を掻いて、この身体は急上昇する。

 人一人を抱えていても、その推進力が衰えることはない。

 あっと言う間に学生寮が小さくなり、この街を見渡せる位置にくる。


「これくらいでいいか?」

「うん。これなら誰にも聞こえない」


 聞こえない?


「耳、塞いでて」


 そう言って、百合は大きく息を吸い込む。

 その仕草から、これから百合が何をしようとしているのか理解できた。

 俺はすぐに魔力で自身の耳を塞いで、きたる衝撃に備えた。

 直後。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」


 耳に蓋をしていても、それを貫通してくるほどの声量が轟いた。

 その細い身体のどこからそんな大きな声が出るのか。

 そんな風なことを思わず考えてしまうような大絶叫だった。


「ふー」

「気は済んだか?」


 きーんとする耳から魔力の蓋を外しつつ、そう問いかける。


「うん。スッキリした!」

「なら、よかった。こっちは危うく鼓膜が使い物にならなくなる所だったけどな」


 鼓膜は破れても再生するというが、出来れば破られたくないものだ。


「なにか嫌なことでもあったのか?」

「まぁね」

「やっぱり。昔からそうだもんな」


 俺と喧嘩したときとか、家出したときとか、何かに失敗したときとか。

 そんな時は決まって河川敷やら、人気のない場所で大声を出していた。

 それが百合のストレス解消法だったからだ。

 今回の急な呼び出しも、主立った理由はそれだろう。


「聞くだけ聞いてやるよ。この辺を軽く流しながらな」


 背中の翼を動かして、夜の街をゆっくりと旋回していく。

 俯瞰視点から見下ろす街の景観は、また一味違ったものだ。

 建物の明かりが、街灯が、自動車の光が、街全体を飾り付けている。

 身のまわりは随分と光で満たされていると気づかされた。


「それで、なにがあったんだ?」

「えーっと。双也は知ってる? 武闘会のこと」


 今日はよく武闘会の話をする日だな。


「あぁ、冬馬と心から聞いたけど」

「それに参加してくれって、実行委員の人にしつこく言われちゃって」


 実行委員からの勧誘か。

 百合は特待生だし、参加が決まれば盛り上がるのは間違いない。

 主催者側として、是非とも百合には参加してもらいたいだろうな。


「どれくらいだ?」

「油汚れくらい」

「そいつは酷いな」


 専用の洗剤を買ってこないと。


「終いには寮の中まで。もう、うんざり」

「そりゃあ、叫びたくもなる」


 まぁ、実行委員も話題作りに必死なんだろう。

 万が一にも失敗は許されない。

 伝統行事とさえ例えられるのだから、その責任から生じる重圧は想像に難くない。


「って、ことは百合は参加しないんだな」

「私の魔術は知ってるでしょ? あまり、手の内を見せたくないの」


 百合の魔術は究花きゅうかと呼ばれるものだ。

 幾つもの派生が存在し、選択肢が多いのが売り。

 リズの硝子の魔法とは違った意味で、どんな状況にも臨機応変に対応できる魔術だ。


「双也はどうするの?」

「俺も似たような理由で参加はしないつもり」

「そっか」


 まぁ、俺の場合は面倒臭いというのが大部分を占めているけれど。


「……ごめんね。こんなことに付き合わせちゃって」

「いいさ、このくらいなら幾らでも」


 百合には世話になっているしな。

 こんなことで多少の恩返しになるなら、なんてことない。


「……なんだか、久しぶりだね。こうして二人きりになるの」

「そう言えば、そうだな。最近はずっと側にリズがいたし、久しぶりか」


 一ヶ月半ほど前までは、当たり前だったことなのに。

 この短い期間で随分と変わったものだ。

 交友関係も、俺自身も。


「リズちゃんかー」

「どうした?」

「ううん。なんていうか、敵わないなって」


 敵わない?


「突然、現れて双也の夢を叶えちゃった。私はずっと側にいたのに、なにもして上げられなくて……なーんてね」


 なんだ、そんなことか。


「俺は百合に随分と助けられたけどな」

「え?」

「剣技の修練に毎日付き合ってくれただろ? 無茶した時は叱ってくれたし、怪我をしたときは治してくれた。俺が怪異殺しとして曲がりなりにも魔術師になれたのは、百合がいてくれたからだ」


 言っているうちに、自分でも恥ずかしくなってきた。

 それゆえ百合の顔は見ずに、けれど気持ちは伝えた。


「だから、その、感謝してる」

「双也……」


 ダメだな。

 顔が熱くなってきた。

 慣れないことはするものじゃあないな。

 この夜風が顔と頭を冷やしてくれることを願おう。


「……んんん」


 冷却を求めて速度を上げると、腕の中の百合が動く。

 ぴったりと貼り付くように、身を寄せた。


「悪い、寒いか?」


 まだ五月の半ば、それも夜中の時間帯だ。

 流石に、この速度での飛行は堪えるか。


「ううん。大丈夫。だから、もうすこしこのまま」

「わかった」


 それからしばらくの間、百合とともに夜空を飛んだ。

 夜景を存分に楽しんだ後に、俺たちは学生寮へと帰ってくる。

 斬り裂いた結界は、すでに自動修復によって塞がりつつあった。

 これをもう一度、斬るのは心苦しいがしようがない。


「今日はありがとう、双也」

「叫びたくなったら、いつでも言ってくれ」

「うん。そうする」


 百合をベランダに下ろし、これにて夜景旋回ツアーは終わりを向かえた。


「あ、そうだ。例の武闘会だけど」

「うん?」

「リズは参加するってさ」

「リズちゃんが?」


 そう繰り返して、百合はすこし思案した顔になる。


「話はそれだけだ。じゃあな、おやすみ」

「あ、うん。おやすみ」


 背中にある翼の効力を弱めながら、緩やかに下降して着地する。

 ふと百合の部屋を見上げてみると、ちょうど見下ろしていた百合と目が合う。

 かるく手を振ってくれたので、俺も男子寮へと向かいながら片手を振った。

 そうして今日という日のすこしだけ長い夜は終わりを迎えたのだった。

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