潜入
作戦の全容を語るまえに、理科室の窓が叩かれた。
小さく小刻みに鳴る音を聞いて、暗幕をすこし避けてみる。
すると、窓の向こうには式神がいた。
俺があの人型怪異に持たせていたものだ。
窓を開けて招き入れ、式神による通信をはじめる。
「――警備に当たっている魔術師が十五名。迎撃用魔術が四十七ヶ所。敷地内には結界が張られている。一ヶ月ほど前に新調された最新式のものだ」
前もって怪異には、四風院家の警備状態を調べるように言っておいた。
それがいま、こうして届けられている。
「双也……これって」
「あぁ、察しの通り。四風院家に潜入する」
そう告げた瞬間、百合が座っていたイスが音を立てて倒れる。
「そんなのダメ。なに考えてるの。冷静になって、双也!」
机上に手を叩き付け、百合は勢いよく立ち上がった。
その動作から見ても、動揺の具合は伝わってくる。
「俺は冷静だよ、百合。言っただろ、策はあるって」
「……なら、それを教えて」
策戦の概要を、この場にいる全員にした。
包み隠さず、すべてを語った。
内容の詳細はもちろん、決行の日時まで。
二日後には怪異の掃討が仕事として、リズに依頼されている。
決行日はその前、つまり明日だ。
「――そんなの……そんなの双也の負担が大きすぎる。それに、それじゃあ私たちは何も出来ないじゃない」
「何も出来ないんじゃあない。何もしないことに意味があるんだ」
「それは……そうだけど」
百合もわかっているはずだ。
四風院を出し抜くには、この手しかないと。
「――双也さん」
ただ黙して話を聞いていたリズが、俺の名前を呼ぶ。
「双也さんが言うなら、私はそれに従います。何もするなというのなら、何もしません。意味のあることなのですから、何もしないことにも耐えられます。ですが、それでも、この場にいる全員と約束してください」
震える声で、リズは言う。
「必ず、生きて帰ってくると」
下手をすれば、今生の別れになるかも知れない。
四風院家に潜入するのだから、失敗した場合の末路は知れている。
「わかった、約束する」
だからこそ、生きて帰ると約束した。
「ふふーん。じゃあ、私は早速、策戦の準備に取りかかろうかなー」
「世話を掛けるな」
「いいよー。かの四風院に喧嘩を売ろうって話だもん。こんなに面白いことはない。それが体験できるなら、これくらい世話くらい幾らでも引き受けちゃう!」
そう言って、理緒は理科室の棚からあれこれと取り出していく。
なんでそれがそこにあるんだ? と言うような物までだ。
前々から思っていたけれど。理緒はこの理科室を私物化しすぎじゃあないのか?
理緒がこの理解室以外にいるのを見たのは、初対面のときくらいなものだ。
それ以外はずっと理科室にいる。ちゃんと家に帰っているのか?
まぁ、それで助かっている部分も多分にあるのだけれど。
「と、言う訳だ。そっちは理解できたか?」
「承知した。四風院家の内部は知り尽くしている。私がキミを導こう。地下の研究施設まで」
「頼もしいな。決行は明日だ、またその時に」
「あぁ」
それを最後に、式神はただの折り紙へと回帰する。
これで諸々の手配は終わった。
あとは、準備が整うのを待つばかり。
「双也……」
着々と策戦が進む中、百合が側にくる。
「絶対、死なないでね」
「納得してくれたのか?」
「リズちゃんがあぁ言うんだもん。納得するしかないでしょ? こんな事態になって、一番辛いのはリズちゃんなんだし。私だけ我が儘なんて、言ってられないよ」
「……そうか」
渦中にあるはずなのに、何も出来ない。
自身が原因なのに、何もしない。
それは間違いなく、精神的に辛い選択だろう。
だが、それをリズは受けてくれた。
痛む心に蓋をして、耐えようとしてくれている。
なら、俺はこの策戦を絶対に成功させなくてはならない。
「頑張って、双也」
「あぁ。頑張る」
そうして時は過ぎ、一夜が明ける。
策戦決行の時はきた。
「――そこにいるのか?」
四風院邸。
敷地内に張られた結界を超え、迎撃魔術をやり過ごし。
まだ日も明るい中、俺は人気のない庭先にまで辿り着いていた。
「あぁ、ここにいる」
人が有する五感から、魔術の無機質な警戒網まで。
周囲の景色、空気、魔力に紛れることで認識されなくなる魔術道具。
理緒の過去作、魔術迷彩は、どうやら上手く機能しているようだった。
目の前にいる怪異にも、姿は見えていない。
「悪いが、この状態も長く続かない。所詮は片道切符だ。急いでくれ」
この魔術迷彩は高性能の代わりに酷く燃費が悪い。
更に、複雑な構築式であるがゆえ、異世界の魔力と相性が悪く、燃料供給が叶わない。
結果、認識阻害が続くのは、魔術迷彩に蓄えられた魔力が尽きるまで。
ごく短時間だ。帰りまでは、持ちそうにない。
「承知した。そのまま後をついてこい」
そう呟くように言って、怪異は四風院邸の内部へと向かう。
四風院邸は、百合の実家のような日本屋敷である。
内部構造は比較的、簡素な造りであって複雑ではない。
一般的なそれとは規模こそ違うものの、滞りなく案内は進んでいった。
「あの角を曲がった先に地下へと続く隠し通路が――」
しかし。
「おい、おまえ。どこにいく」
巡回中の魔術師に、運悪く遭遇してしまった。
「……貴様には関係ない」
「なんだと? てめぇ、自分の立場がわかってねぇみたいだな。怪異風情がよぉ」
立ち往生。
このままだと魔術迷彩の効力が切れる。
「……さっさと行け」
「あ? もういっぺん言って見ろ」
「聞こえなかったのか? キミに言っているんだ」
「あぁ!? 誰に向かって口聞いてんだ、てめぇ!」
いまの怪異の発言。
行け、と。お前に言っているんだ。
この二つは、恐らく俺に向けられた言葉だろう。
返事はしない。
俺は二人の側をすり抜けて、角の先にある隠し通路へと向かった。
「この先……」
角を曲がった先は、行き止まりだった。
だが、立ち止まることなく足を進め、最奥の壁に手を当てる。
すると、その指先は感触を得ることなく、壁へと吸い込まれていった。
どうやら実体のない魔術で、通路を隠しているだけのようだ。
「これなら……」
ゆっくりと足を進め、行き止まりの先にいく。
壁を抜けると、その先には地下へとくだる階段が続いていた。
「この先か」
地下とだけあって、暗くて何も見えない。
なので、魔術で光源を造って浮遊させる。
それを引き連れて、一段一段と階段を慎重に下っていく。
「――と、魔力が切れたか」
その途中で魔術迷彩の効力が切れた。
ここから先は、認識阻害なしで進まなくてはならない。
危険度は当然、跳ね上がる。
しかし、目標はもう目前だ。このまま進むとしよう。
決断を下して、再び階段を下っていく。
そうして階段が途切れた先に待っていたのは。
「ここが……研究施設か」
怪異の研究施設。
その広大な地下空間には、幾つもの透明な容器が並べられている。
一つ一つには、あらゆる動物の特徴を持つ人造怪異が浮かんでいた。
ここが人造怪異の研究と製造を行う場所で間違いない。
決定的な証拠を掴んだ。これを然るべき所に見せれば、言い逃れはできない。
そう喜んだのも、束の間。
背後より何かが爆ぜるような音がこだました。
「――今のは」
音に釣られて背後を振り返った直後、視界に何かが飛び込んでくる。
飛来するそれは、側にあった容器の一つに叩き付けられた。
そうなってからようやく、それが人の形をしていることを理解する。
吹き飛んで来たのは、紛れもなく巡回の相手をしていた人型怪異だ。
いったい、どうして。
「いやいや。実に驚きだ。賞賛に値するよ、渡世双也くん」
かつかつと、足音を鳴らして階段を下る音がする。
足音だけでなく、手でも叩いているのか、乾いた音もする。
そんなふざけたことをしながら階段を下ってきた人物。
それは、他でもない四風院景正、その本人だった。
「なぜ、キミがここにいる? キミは魔術学校に登校してから、どこにも行っていないはずだが?」
「……さて、なんでだろうな」
理緒が造った俺のダミーは、正常に機能していたみたいだ。
リズの仕事に合わせて、俺に別の仕事を割り当ててきたとき。
俺の動向はある程度、監視されていると察していた。
俺が監視されているなら、リズは当然として、同伴者である百合もそうだろう。
だから二人には俺のダミーが偽物だと見破られないよう、普段通りに振る舞ってもらうことにした。それが四風院の監視を欺くために必要だったからだ。
なにもしないことで、監視の目をかい潜るはずだった。
だが、こうして俺の存在は四風院景正に露見してしまった。
「不思議そうな顔をしているね。良いだろう、教えてあげよう。実はこの研究室にはちょっとした仕掛けが施してあるんだ。許可のない者が入ると、警報が鳴るという簡単なものだがね」
「……なるほど。金庫に警報を仕掛けておくのは当然か」
まぁ、それが事前にわかっていたとしても、結果は変わらないか。
俺は罠と知っていたとしても、この研究室に入らざるを得なかった。
四風院を倒すには、もはやそれしか道は残されていないのだから。
「監視の目を欺いたまではよかったよ。でも、詰めが甘かった。こっそりこの研究室に入り、人造怪異の決定的な証拠を入手し、然るべき所で私を告発するつもりだったのだろうが」
四風院景正は、手の平に魔術で焔を灯す。
「残念だったね。キミの頑張りは、たったいま徒労に終わった」
そして、焔は放たれた。




