隷属
勝敗は決した。
叩き付けられた怪異を見下ろし、身じろぎもしなくなったことを確認する。
地上に降り立ち、ゆっくりと横たわる奴へと近づく。
そして、その喉元に鋒を突きつけた。
「まだ死んでないだろ?」
深く刻んだ刀傷は、徐々にではあるが復元されている。
見立てでは完治に至るまで、十数分ほど掛かるはず。
驚異的な速度だが、それだけあればこと足りる。
「……ころ、せ」
人型怪異は、言葉を詰まらせながら言う。
自らの命を断て、と。
「はやるなよ。お前には聞きたいことがある」
「――殺せ」
「見上げた忠誠心だな」
怪異が人に忠誠を誓う。
あり得ない、とは言わないが、かなりのレアケースだ。
魔術師は使い魔を使役することはあっても、怪異と縁を結ぶことなどまずない。
一部の有効的で人畜無害な怪異ならまだしも、だ。
妖力を身に宿すほど高位の怪異が、人間の命に従うとは。
「俺を殺せと、お前に命令したのは誰だ?」
返事はない。
「お前のような怪異はあと何体いる?」
返答はない。
「なぜ、お前ほどの怪異が大人しく従っているんだ?」
反応はない。
「……答える気はないか」
頑なに口を閉ざしている。
受け答えすらままならない。
この様子だと、どんな手を使っても口を割りそうにない。
そうなると、困るのはこいつの処遇だ。
拘束して魔術組合に届ける、なんて真似は当然できない。
かと言って、妖力を宿している以上、どこかに監禁しておく訳にもいかない。
負わせた刀傷も、時期に治る。
百合とリズのことも気がかりだ。
これ以上は、時間の無駄か。
理緒の解析のほうに期待するとしよう。
土産にこいつの一部でも持ち帰るかな。
「これが最後だ。俺の質問に答える気はあるか」
奴は沈黙をもって、返事とした。
「そうか。わかった」
鋒を振り上げ、天を刺す。
「くそッ」
刀を振り下ろした直後、奴はそう言った。
心底、悔しそうに口にした。
それは初めて、奴の感情が乗った声だった。
「――待て!」
止まる。
鋒は寸前のところで停止する。
待ったが掛かったからだ。
他ならぬ、人型怪異から。
「――話す。お前が知りたいことはすべてだ」
「どう言う……風の吹き回しだ?」
先ほどと主張が一貫していない。
真逆と言ってもいい。
あれほど話すことを拒んでいたのに、何があった?
罠、か?
「この身体には魔術が刻まれている。隷属の魔術だ。言葉も、行動も、すべて主人である魔術師が決める。私は、それに従わざるを得なかった。だが、どう言う訳か」
「……その隷属魔術の効力が消えた、か?」
「……あぁ」
隷属魔術。
たしか対象者の身体に直接、構築式を刻み込むものだったはず。
先の一刀で、怪異殺しの剣技で、刻んだ刀傷が構築式を壊したのか?
「動くなよ」
確かめるように、その衣服を斬り払う。
そこにはたしかに隷属魔術の構築式があった。
刀傷によって、真っ二つになっている。
だが、構築式から術者を読むのは難しい。
よくある汎用型の量産式だ。
癖や特性から、人物像が浮かばない。
「なら……なぜはじめから、そう言わなかった」
「魔術の効力が消えている、などと気がつくはずもない。それは本来、起こり得ないことだ。ゆえに自らの生をすでに諦めていた。だが……」
あの言動は忠誠などではなく、諦めの果てだったか。
だが、明確な死に直面し、自身の感情が口をついて漏れ出した。
それが隷属魔術の効力が消失していると知る、切っ掛けとなった訳だ。
そして、間一髪のところで死なずに済んだ。
「私は奴隷だ。ただ忠実に命じられたことに従うだけの人形だ。しかし、いま初めて私は私になれた。私は、私でいたい。私として、生き続けたい。もう、誰の言いなりにもなりたくないんだッ」
それは心の奥底からくる、叫びのように聞こえた。
泣いているような、苦しんでいるような、声音だった。
「そのためなら、キミが知りたいことを――私の知る限りのことを、話す」
月光に照らし出され、フード越しに奴の顔が見える。
男とも、女とも取れない中性的な顔をした、人間の顔。
その双眸に宿る瞳に、嘘の濁りはないように見えた。
「……わかった」
嘘かも知れない。
「なら、話して貰おう」
罠かも知れない。
「まずは――」
だが、その答えに耳を傾ける価値はある。
「お前の後ろで糸を引いているのは誰だ」
「それは――」
怪異は告げる。
自らに隷属魔術を刻んだ、魔術師を。
裏切り者の名を。
「四風院景正」
四風院景正。
いま四風院と言ったか?
「魔術組合に属する、名家の一つだ」
知っている。
魔術師をしている者なら、誰もが一度は聞いたことがある名だ。
四風院と言えば、この地に古くからある由緒正しき魔術師の名家。
この地に根付いた魔術組合の支部だけに限定すれば、一大派閥だ。
相手がそれほど強大なら、解析結果をもみ消すことなど造作もない。
「それが真実であるという根拠はなんだ?」
そんなことを聞いても、納得のいく返答など帰ってこない。
わかりきったことだ。
「……手元には、ない」
だが、それでも問わずにはいられなかった。
「――おーい」
衝撃的な事実を聞かされ、緊迫した空気が漂う中。
それは気の抜けるような声を発して、近づいてきた。
「式神……か?」
遠くから一羽の折り鶴が飛んできているのが見えた。
それは風に煽られながらもこちらまで辿り着く。
そうして自らをただの折り紙にまで巻き戻した。
「やあやあ、双也くん。いま暇?」
「すっげー取り込み中だけど、なんだ? 理緒」
式神は理緒から送られたモノだった。
しかし、俺が渡しておいた式神ではないようで、緊急性のない連絡と思われる。
「残骸の解析が終わったの」
「なっ――一日かかるんじゃあなかったのか?」
「ふふーん。本気出すって言ったでしょ? 私に掛かればこんなもの直ぐに解析できちゃうのだー。あっはっはー!」
あっはっはー、って。
さらっと言ったが、かなり凄いことをしている。
解析を頼んでからまだ半日と経っていない。数時間程度だ。
その短時間で、もう残骸の解析を終わらせてしまったのか。
「でねでね、面白いことがわかったから一番に知らせようと思ってー」
「面白いこと? ……ちょっと、待て」
なにを話すのか見当も付かないが、それを怪異に聞かせる訳にはいかない。
理緒が映る折り紙に魔力を流し、音声を俺だけに伝えるように構築式を組む。
これで俺以外には誰も聞こえないはず。
「ねぇねぇ、まだー?」
「もう大丈夫だ。それで? 面白いことってのは?」
「ふふんっ。よくぞ聞いてくれました。実は、裏切り者がわかっちゃったんだー」
「――マジか」
それはこの状況下において、紛れもない朗報だった。
「そいつの名前はっ!?」
「聞いて驚けー! その名も――」
理緒は告げる。
「四風院! あの偉大なる名家だよー!」
先ほど聞いたばかりの名を。
「……よろこべ」
俺は突きつけていた刀をそっと逸らした。
「お前の言葉は――真実だ」
まだ罠である可能性も捨てきれない。
だが、四風院の名を、いまこの場で出すメリットは皆無だ。
罠にはめるつもりなら、息の掛かった魔術師の名前でも口にしておけばいい。
しかし、そうはしなかった。
この人型怪異は、紛れもない真実の名を口にした。
それは隷属魔術から解放された、一個の生命としての言葉だった。
「もし、俺たちに協力する気があるなら――」
いや。
違うな、そうじゃあない。
「もし、自由になりたいなら――」
そう。
これだ。
「この手を取れ」
差し出した手を掴むか払うかは、怪異しだい。
奴はほんのすこし迷う様子をみせたが、しかしおもむろに左手を持ち上げる。
そして、この手はしかと強く握られた。




