古龍の遺伝子
夜風に靡く美しい金髪が、月光に照らし出されている。
その様は幻想的で、この世のものとは思えない。
否応なく、再確認させられた。
ここが現実世界ではない、異世界なのだと。
「強制召喚。まずはその非礼をお詫びします」
呼び立てて申し訳ない。
そう言って彼女は一度、深々と頭を下げた。
「私の名はエリザベス。ベクトファルケ王国の第一王女です」
第一王女。王様の娘。
つまりは、本物のお姫様ってことか。
こいつはまた、凄い立場の人間に呼び出されたものだな。
「あー……俺の名前は渡世双也って者だけど……」
とりあえず、そう自己紹介をして周囲に目を向ける。
周囲には鬱蒼と広がる緑が栄えていた。
乱雑に生えた木々の群れが視界を遮り、足下は太い根が幾重にも重なっている。
とても人が――姫君が、従者も連れずに通る道ではない。
見たところ、彼女一人だけ。
しかも、よく見れば格調高いドレスの裾は、土でひどく汚れている。
ただ事ではないのは、たしかみたいだ。
「まぁ、まず何よりも先に、だ。召喚の理由を聞かせてくれるか?」
先ほど彼女が使った勇者という言葉も気になる。
まずは情報収集から始めよう。
どんな状況でも情報の鮮度は命を左右する。
「はい、勇者様。召喚の理由はただ一つ。私をここではない何処かへと、連れ去って欲しいのです」
連れ去って欲しい、か。
「なにか事情があるってことか。それをここで話せるか?」
「それは……」
彼女は、一瞬だけためらった。
けれど、直後には迷いを振り払うように話し始める。
「私は、今はなき古龍の遺伝子をこの身に宿しています」
古龍。ドラゴン。その遺伝子を。
「古龍の遺伝子は、一国を――いえ、世界そのものを揺るがしかねない強大なる力。世界秩序のため、悪用を阻止するため。代々、ベクトファルケ王国は古龍の遺伝子を守り通してきました。けれど」
彼女の表情に、暗い影がさす。
「この遺伝子を狙って、反乱が起こりました」
強大な力を求めて反乱を起こし、古龍の遺伝子を我が物としようとした。
力を求めること、それ一点に関してだけは共感するけれど。
その後の行動は、とてもじゃあないが理解はできないな。
「城内は敵で溢れ、私たちは逃亡を余儀なくされたのです」
「その古龍の遺伝子とやらで、どうにか出来なかったのか?」
世界の均衡を崩すほどの力だ。
反乱くらい、かるく鎮圧できそうなものだが。
「古龍は死してなお、使い手を選びます」
使い手を――主を、選別する。
「代々、遺伝子を受け継いできた我々には……受け継いできただけの一族では、資格を得ることは叶わなかったのです」
「……宝の持ち腐れだな」
その身に強大な力を宿しながら、それを扱う資格を持たない。
「勇者様。どうか、どうか私をここではない何処かへ連れ出してください。悪意ある者に、この遺伝子を渡さないために」
その古龍にとって資格とは力ある者のことらしい。
魂や精神、格式や高潔などではない。
そこに悪意があろうと、善意があろうと、龍に人の機微などわからない。
ただ自身を扱うに足る者か否か。それだけを基準にしている。
ゆえに、酷く危うい。
資格ある者が現れ、そこに悪意があれば、この異世界は簡単に崩壊してしまう。
それを防ぐには、もうこのエリザベスと共に何処かへと逃れるしかない。
「そのための勇者か」
お姫様の護衛役。
なかなかどうして勇者の肩書きは、それらしい。
「――いたぞ! こっちだ!」
唐突に響く、男の声。
次ぎの瞬間には、草木を掻き分け、踏みつける幾つもの音が鳴る。
「後ろに下がってな」
「は、はい」
とっさにエリザベスを背後へと移動させる。
まだ勇者として役目を果たすなんて決めてもいないけれど。
とにかく、彼女を庇うようにして、刀の剣先をそちらへと向けた。
「見つけましたよ、エリザベス様」
背後に大量の兵士を配し、一人の男がそう告げる。
燕尾服を身に纏う執事風の者だ。
どこか親しげに、彼はそう言った。
「……シース。どうして貴方は……」
「裏切ったのか? でしょうか。ふふふ、そんなこと決まっているじゃありませんか」
不敵な笑みを浮かべ、執事は言う。
「古龍の遺伝子を持ちながら資格を持たない一族に、国の王は務まらない。ならば! 資格ある者が国を治め! 世界を支配するべきだ!」
表情を酷く歪ませて、執事はそう言った。
あたかも自身にその資格があるかのような口ぶりで。
「――ところで、そちらの方はどなたでしょう?」
歪んでいた表情は、即座に冷静なものとなる。
変わり身の早さだけは一人前みたいだ。
「ちょっとした縁あって、この世界に馳せ参じた勇者様だよ」
「勇者! くくくっ、勇者ですって! エリザベス様! 貴女はとうとう、そこまで切羽詰まってしまいましたか! 誇りあるベクトファルケ王国の姫君が! 異世界の住人を頼るなど! くははっ、こんなに愉快な話はない! ありはしない!」
笑う、笑う。
狂ったようにひとしきり笑い。
そして、彼は冷酷な一面を見せる。
「残念だ、エリザベス様。貴女には、どんなに追い詰められようと、危機に瀕しようと、高潔でいて欲しかった。王族としての誇りを捨てないで頂きたかった。だが、それももう終わりだ。台無しだ」
そうして執事は片手を振り上げる。
「その勇者とやらを殺せ。エリザベス様は無傷で捕らえろ。傷一つでも付けた者はその場で殺す。いいな」
その言葉を合図に、後方に配した兵士たちが殺気立つ。
すでに話し合いの余地はなく、見逃してもくれなさそうだ。
「多勢に無勢だな。流石に、この数はキツい」
一人だったなら、捌けなくもなかったかも知れない。
だが、いまは後ろにエリザベスがいる。
彼女を守りながら戦うには、敵の数が多すぎる。
「――勇者様、お話があります」
エリザベスは、俺の背中にそう声を掛けた。
向こう側の兵士たちに、執事に、聞こえない程度の声量で。
「ん? なにを話しているのですか? エリザベス様」
それは彼女にとっては苦肉の策だ。
「――まさか」
長きに渡り、守り続けた古龍の遺伝子。
その割譲という選択は。
「不味いッ、今すぐ殺せ!」
命令を受けて、兵士たちは駆けだした。
だが、すでに遅い。
「貴方に古龍の遺伝子を――授けます」
エリザベスは決意した。
エリザベスは覚悟した。
ここで悪しき者に奪われるなら、勇者として召喚された者に賭けることにした。
ゆえに俺たちは交わす。
「――」
口づけを。