学生寮
真央魔術学校には、比較的規模の大きな学生寮がある。
共有スペース、広い食堂があり、希望すれば他校の学生でも宿泊が可能らしい。
かねてより百合の世話になっていたリズは、ここに住むことになっている。
「噂には聞いていたけど、随分と大きいな」
見た目は完全に高級ホテルだ。
隣り合った二棟。
片方が男子寮で、もう片方が女子寮だ。
「ここが私の新たな住居となるのですね」
学生寮を見上げ、感慨深そうにリズは呟く。
初めての一人暮らしとあって、思うところがあるようだ。
「何かわからないことがあったら私に聞いてね。しばらくは、私も寮に住むから」
「はいっ。心強いです!」
そんなリズを心配して、百合もしばらくは女子寮に住むことになった。
特待生とあって、その辺の融通はいくらでも付けられるのだろう。
たしか学費も免除だったか。
特別待遇の生徒とは、なかなかどうして便利に学生生活を送れるようだ。
「双也も男子寮に住むんでしょ?」
「あぁ。いまのアパートよりずっと環境がいいからな。家賃もそんなに違わないし」
家を飛び出してから今まで住んでいた場所。
そこは、とてもじゃあないが良いところとは言えなかった。
耐震基準を満たしているかも定かじゃないほど、古めかしいアパート。
虫が湧き、カビが生え、埃が舞い、雨漏りがする。
そんな劣悪な環境に比べれば、この先で待っている寮は天国に思える。
ようやく文化的な生活に戻れそうだ。
「部屋番号は?」
「えーっと、たしか……って、待て。それを聞いてどうする」
男子寮は女子厳禁。女子寮は男子厳禁だ。
部屋番号を聞く理由なんて、本来ならないはずだ。
なにか嫌な予感がしてならない。
「たとえば、私が門限を破ったとするでしょ?」
「うん? うん」
「こっそり戻るには寮の結界に感知されないようにしないといけないじゃない?」
なるほど。
「だから、俺に結界を斬らせようって魂胆か」
学生寮には、特別製の結界が貼り付くように展開されいる。
魔力にとても敏感で、結界に触れた侵入者を即座に感知して報告する優れもの。
魔術による攻撃にも同様の反応がなされる。
結界を魔術で破ろうものなら、ものの数秒で教師陣が現場に到着する仕組みだ。
だが、この怪異殺しの剣技なら、結界を密かに破ることができる。
剣技は魔術ではないから、感知されないのだ。
「双也って携帯とか持ってないし。式神を飛ばしたら魔力で感知されちゃうし。双也の部屋の近くまでいって声を掛けるしかないでしょ?」
「まぁ、それはそうだが――というか、門限を破る前提で話をするな。時間はきっちり厳守しろ」
「もちろん、そのつもり。だけど、どうしてもって時があるの。たまにだから、ね?」
「……まったく。わかった、たまにだからな」
まぁ、たまにならいいか。
百合にはいつも世話になっている。
魔術学校の生徒になれたのだって、百合がいたからこそだ。
それを思えば、門限破りの共謀者になるくらいは許容できる。
「流石、双也ならそう言ってくれると思ってた」
「調子のいい奴だな、ほんと」
本当にたまにで済むのやら。
「リズにも困ったら協力するぞ、門限破り」
まぁ、リズの育ちの良さからして、そうなることはなさそうだけれど。
「門限破り、ですか……いけないことですけど。なんだか、どきどきしますね」
自身の胸を押さえて、リズは言う。
いたずら、という未知にトキメキを覚えるように。
育ちが良いが故に、悪行に多少の憧れを持ってしまうようだった。
こりゃあ、予想に反して出番がありそうだな。
「じゃあ、今晩にでも」
「おい、百合」
「冗談、冗談だから」
リズに悪い影響を与えているのでは?
という疑問を抱えながらも、百合に部屋番号を教える。
「――よし。じゃあ、また後でね。行こう、リズちゃん」
「はい、百合さん。失礼します、双也さん」
手招きする百合のもとに、リズは駆け寄っていく。
その姿を見届け、俺も男子寮へと舵を切った。
エントランスで自身の部屋番号を告げて鍵を受け取り、自室となる部屋へと向かう。
「ここか」
部屋番号を何度か確認して、鍵穴に鍵を刺す。
がちゃりと音がして開けた扉の先には、清潔感の漂う空間が広がっていた。
「へぇー」
備え付けの家具は種類が豊富だ。
台所周りも充実している。
トイレも綺麗。
ベッドはふかふか。
ソファーも座り心地がいい。
「それにしても、一人一部屋とは贅沢なことだな」
これであの古いアパートの家賃と、そう違わない費用で済むのだから驚きだ。
一生、ここで住んでもいいかも知れない。
「……」
まぁ、それは流石に言いすぎか。
「えーっと、あと見てないのは……ベランダか」
ソファーから立ち上がって、ベランダへと向かう。
ガラスの引き戸を開けると、途端に冷たい空気が流れ込んでくる。
途端に引き返したくなったけれど。
とりあえず、外へと足を踏み出した。
「向かい側は女子寮か」
ベランダの手すりに肘をおいて、ふと思う。
「反対側がよかったな」
景色もなにもあったものじゃあない。
それらしいのは男子寮と女子寮の間にある、ちょっとした噴水くらいのものだ。
それでもないよりはマシだけれど。
「ん?」
そう何気なく噴水を眺めていると、向かい側でなにかが動くのが見えた。
視界の端に捉えたそれを、正面へと持っていく。
その動いたものとは、こちらに向かって手を振る女子寮の生徒だった。
よくよく見てみると、綺麗な金色の髪が風に靡いているのが見える。
「リズか? あれ」
その隣にもう一人でてくる。
あれは遠巻きだが、百合に見える。
ということは、間違いないな。
「ちょうど向かい側って訳だ」
すこし大きめの動作で手を振り返してみる。
すると、それが伝わったのか。もっと大きな動作で振り返してきた。
「楽しそうだな、あっちは」
ひとしきり手を振り合い、身体が冷えてきたところで部屋へと引き返す。
ガラスの引き戸をぴたりと締め、冷気の侵入を拒む。
それから備え付けの暖房器具をつけ、荷物の整理に取りかかった。
と言っても、必要最低限のもの以外はみんな処分してしまったから、それも直ぐに終わってしまったけれど。
「ふー、これで一段落っと」
荷物整理も終わり、段ボールをたたみ始める。
その作業も半分ほど進んだところで、この部屋に訪問者が現れる。
部屋の扉が何度かノックされ、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あの声は……冬馬か。いま開ける」
急ぎ足で玄関へと向かい、掛けてあった鍵を解錠する。
扉の向こう側にいたのは、やはり冬馬だった。
「よう、双也」
「おう、どうした?」
「いや。友達に双也のことを話したら会いたいって言ってさ」
すこし申し訳なさそうに言った冬馬は、その場から一歩ほど横へとズレる。
そうして視線が通った先にいたのは、一人の男子生徒。
かの生徒は俺を見るなり、にやりと笑う。
そして。
「俺と勝負しようぜ! 怪異殺し!」
随分と堂々とした挑戦状を叩き付けられた。