通学路
四月に入り、今朝はまだまだ寒い日々が続いていた。
いつもより、すこしだけはやい起床。
わずかに手を抜いた朝食。
ちょっとばかり急いだ準備。
それらを経てから、最後に普段は見向きもしない鏡を一瞥して身形を整える。
自分でもらしくないな、と苦笑しつつ俺は自宅を後にした。
真央魔術学校へと、通学するために。
「――あ、来た」
今日から通学路となる歩き慣れた道をいき、中間地点である百合の実家に差し掛かる。
立派な日本屋敷のまえには、二人の女子生徒が立っている。
俺はその二人に対して、挨拶をするように片手を上げた。
「よう、待ったか?」
そう言って、待ってくれていたリズと百合のもとに向かう。
歩幅をいつもよりすこし広くしながら。
「私たちもいま出たところ。ね?」
「はい。すこしも待っていませんよ」
「そいつはよかった」
側にまで近づいて、足を止める。
「ふーむ……」
すると、顎に手を当ててうなった百合が、俺の周囲をぐるりと回る。
物珍しいものでも見るような目つきだ。
余程、俺のこの姿が見慣れないらしい。
「似合ってるか?」
「うん。いつもより三割増しで格好良くみえるね」
「三割? たったの?」
「調子に乗らない」
「ははっ、冗談だ。ありがと」
真新しい学生服に袖を通すのは、何度経験してもいいものだ。
冷たい生地が体温で暖められ、学生生活に思いを馳せる心境とともに、すこしずつ身体に馴染んでいく感覚。
これは今しか味わえない貴重な体験だ。
その価値は、計り知れないものがある。
そして俺の目の前には、その価値を知ったばかりの生徒がいた。
「双也さん。私は双也さんの目に、どう映っていますか?」
すこし気恥ずかしそうに、リズは視線を逸らしつつ訊ねた。
「学生に、見えているでしょうか」
その姿をしおらしく思いつつ、素直な感想を口にする。
「リズが思ってるより、ずっとその制服が様になってるよ。とても似合ってる」
「わぁ……ありがとう御座います。双也さんっ」
嬉しそうにリズは満開の笑顔を咲かせた。
どうやら期待に応えられたようで何よりだ。
褒めるということをあまりしない人生だったゆえに、成功するとすこし嬉しい。
「ねぇ。私になには何かないの?」
「百合に? これが初めてじゃないだろ。制服姿みるの」
百合はたまに学生服の姿のまま、仕事場にくることがある。
こうして昼間にきちんとして見る機会はなかったけれど。
それでも最早、見慣れた姿だ。
改まって何かを言うというのは、なかなかどうして言葉が思い浮かばない。
「それでも! なにか言ってよ、ほら。なんでもいいから」
「……じゃあ」
改めて百合の姿をみて、言葉にしてみる。
「――綺麗だよ」
とか。
「な……なななななあっ!?」
直後、予想していた反応と真逆のものが返ってきた。
顔を耳まで赤くした百合は、言葉にならない声を上げている。
そして、口を噤んだかと思えば、ばしばしと手で叩いてきた。
「なんでっ、そんなっ、直接的なっ、台詞をっ! もー!」
言葉とともに、痛くない軽めの衝撃が伝わってくる。
恥ずかしがってはいるが、我を忘れるほどではないようだった。
「なんでもいいって言ったのは百合だろ」
「だからって! あんなっ、あんなぁ!」
「照れるなよ、あんなので。こっちまで恥ずかしくなるだろうが」
というか、もうすでに俺も恥ずかしい。
そんなに照れるとは思わなかった。
ありきたりなことを言って、お茶を濁そうとしたけれど。
どうやら選択を誤ったようだ。
やはり、人を褒めるのは難しい。
「んんんんんんーっ」
「わかったって。悪かったよ」
無言で攻撃を仕掛けてくる百合から、逃げるように周辺を駆け回る。
「ふふっ」
その様を見られて、リズに笑われてしまった。
「お二人はいつも仲良しですね」
「ふんっ」
そっぽを向かれた。
「仲良しにみえるか?」
「はいっ、とっても」
その屈託のない笑顔を見て、二人とも毒気を抜かれてしまった。
とりあえず、先ほどのことはなかったことにすると決めた。
互いに恥ずかしいばかりだ。なるべく、思い出さないようにしておこう。
そうして、いい加減、出発しようと俺たちは通学路を歩き始めた。
しばらくは他愛もない話をして過ごし、通学路も残すところ後わずかと言ったところ。
「――ららら」
ふと隣から鼻歌が聞こえてきた。
「そんなに楽しみなのか? リズ」
車道の白線を踏みつけながら、隣にそう言葉を投げる。
それに反応して、そのまた隣の百合もリズに視線を向けた。
「はいっ。私、学校というものに一度、通ってみたかったんです。同じ志をもつ生徒たちと共に学び高め合う。学校と言うものは、かくも素晴らしい仕組みです」
学校は素晴らしい。
そうリズは純真無垢に言う。
その台詞を詭弁ではなく本心から言える学生が、いったい世の中にどれだけいることやら。
「リズちゃんは学校に通ったことがないんだ?」
「はい。勉学はいつも教育係の方が教えてくださっていたので」
「へー、今でいう家庭教師みたいなものか」
意味合いのスケールがかなり違ってくるけれど。
大雑把な括りとしては似たようなものだろう。
勉学を教育係に教わっていたなら、わざわざ学校にいく必要もないか。
「友達、たくさん出来るといいね」
「お友達……そうですね、たくさん欲しいです」
「じゃあ、目標はでっかく、百人だな」
童謡にもあるし。
「ひゃ、百人ですか?」
「あぁ、あと九十八人だ。楽勝だろ」
「あと九十八人……」
そう呟いたリズは、俺と百合を交互に見る。
「えへへ。頑張りますっ」
終始、和やかな雰囲気のまま、通学路を歩いて行く。
そうすることしばらくして、俺たちは真央魔術学校に到着した。
「当たり前だけど、人がわんさかいるな」
試験当日に見た校舎とは、また違って見える。
周囲に人がいて、続々と校舎の中へと消えていく。
自身もその中の一部になっているのだと思うと、胸の中がざわついた。
ついに俺は魔術学校の生徒になった。
そう、改めて自覚する。
リズも似たような心境なのか、俺を同じように校舎を見つめていた。
「ほら、二人とも突っ立ってないで、はやく行こ」
そんな俺たちを見かねて、百合が一歩先にいく。
はやくそこから踏み出せと、そう言っているように。
「あぁ、行こう」
「はい。行きましょう」
そうして遅れながらも敷居を跨ぐ。
足踏みばかりしていた俺は、一歩を前に踏み出せた。