強制召喚
その夜は月がよく映える夜だった。
月下のもとに鮮血は舞い、断末魔は轟く。
弛緩した肉が横たわり、砕けた骨が散乱する。
そんな、いつもとなんら変わらない日常だった。
「――こいつで最後っと」
自らが振り下ろした剣閃が、怪異の頭蓋を裂く。
かつて人々に信じられていた存在は、その末路を体現するように尽きて果てる。
屍は山となり、血は河となる。
屍山血河はうずたかく積み上げられ、人の世を紅く穢す。
「怪異の全盛期はとうの昔に終わったって言うのに。どうしてこうも毎日毎日、わらわら湧いてくるのかね。無限湧きのMOBだって、もうちょっと謙虚に湧くぜ」
一晩にこなす仕事量の多さに、思わず愚痴がこぼれる。
それに反応してか、共に行動していた百合の眉がひそむ。
「下らないこと言ってないで集中。まだ怪異がいるかも知れないでしょ」
「わかってるよ。いつものことだ。残業代が出ないのもな」
「もともと無いでしょ。残業代なんて、こっちの界隈では。どっちかって言えば夜勤なんだし」
「夜勤ならそのぶん、色付けてもらいたいもんだがな」
まぁ、魔術師という職業柄、夜の仕事が遥かに多い。
昼の仕事が妙に安いのは、すでに色を付けられているからか?
だとしたら、基本給が少なすぎるのが問題か。
なんともまぁ、世知辛いことで。
「……そんなに困ってるの? お金」
「うん? まぁ、な。食うには困ってねぇけど、娯楽に回せる金がほとんどないんだよ。キャンディーなめたら終わりってな具合にな」
魔術師として稼いだ金は、家賃だの食費だの諸々に消費されて消えていく。
貯金もしなくちゃならないし、贅沢なんてとてもとても。
「やっぱ、足下見られるとキツい。まぁ、魔力なしに仕事を振ってくれるだけ、ありがたいってなもんだけど」
魔術師の家系に生まれたくせに。
魔術師として活動しているくせに。
俺には魔術の源たる魔力がない。
生まれながらに、宿していなかった。
だから、こなせる仕事も限られてくる。
向こうもそれを把握しているから、足下を見られて更に報酬を下げられる。
二束三文でこき使われているわけだ。
まぁ、とはいえ。
その二束三文でなんとか食い繋げているのが現状だ。
大事な大事な生命線である。贅沢は言っていられない。
劣悪な環境、安い給金でも、仕事があるだけありがたいのだ。
「……まだ認められないんだ。その剣――技量は」
「まぁな。だって前代未聞の大偉業なんだぜ? 魔術を使わずに怪異を殺せる剣技、なんてのはさ」
怪異は魔術でしか殺せない。
だが、魔力が無くては魔術は使えない。
ゆえに、俺は剣の腕を磨いた。
技量を身につけ、突き詰めた。
その果てに掴んだのが、怪異殺しの剣技。
魔術を用いず、魔力に頼らず、刀の一振りで怪異を斬り伏せる技だ。
「そりゃ、認められないさ。魔術以外の可能性なんて――対抗手段なんて。それまでの地位も、名声も、在り方も、魔術によって築き上げられたすべてが、丸ごと崩壊しかねないんだ。まともな仕事になんてありつけないさ」
出る杭は打たれる。
どれだけ革命的な手段も、旧体制の維持のために潰される。
真綿で首を絞めてでも、現状の維持を優先してしまう。
そんなことは、よくある話だ。
「ねぇ。どうして、そんな扱いをされまで……続けてるの? 魔術師」
「そりゃあ、決まってるだろ」
月を見上げて、刀を掲げる。
「これしか知らないからだよ」
月光を反射して輝く刃は、波紋を鮮明に映し出す。
「――自分を肯定する術を」
魔術師の家系に生まれ、魔力を持たずに産まれてきた。
そんな自分を肯定するには、死に物狂いで剣に縋るしかなかったんだ。
来る日も来る日も剣を振った。
暇さえあれば剣を握った。
機会さえあれば剣で斬った。
その末にたどり着いた一つの境地。
過去、十数年を費やした結実がこの怪異殺しの剣技だ。
それが例え、認められないものだとしても。俺は、この剣を振るい続ける。
今更、ほかの生き方なんて出来ない。
「まぁ、慎ましくとも、なんとか生活は出来ているんだ。今はそれだけで――」
言葉を、中途半端なところで句切る。
句切らざるを得なかった。
見上げた空に、掲げた刀の先に、不可解なものが現れたからだ。
「――召喚陣、か? ありゃ」
「間違いない、と思うけど」
百合は、空を見上げて言葉を詰まらせた。
「あんな構築式……見たことない」
未知の召喚陣。
魔術学園に通う百合でもわからないとなると、俺には見当もつかない。
「いったい、なにが顔を出してくるんだ? ドラゴン、なんて言わないよな」
結果として、その心配は杞憂に終わった。
あの召喚陣から、ドラゴンが出てくることはない。
「――違う」
まったくの逆だったのだ。
「あれは――あの召喚陣は!」
百合が、その正体に気がついた頃には、もう何もかもが遅すぎた。
「なっ!?」
身体が宙に浮かび上がり、肉体が粒子化する。
光の粒となり、上空の召喚陣へと吸い込まれていく。
「嘘だろ、冗談じゃないッ」
強制召還。
あの召還陣から何かが出てくるのではない。
俺があの召還陣を通って、どこかへと移動させられるのだ。
「呼び寄せられているのか。俺のほうが!」
どうする。どうすれば回避できる。
召還陣を壊すか? いや、ダメだ。
もう身体の半分以上を持って行かれている。
この状態で召還陣を破壊すれば、どの世界のどの時代に飛ばされるかわかったものじゃあない。最悪、次元の狭間に放り出される可能性だってある。
こうなってしまったら、素直に召喚に応じるしか手はない。
「双也!」
すでに召還陣が間近に迫るころ、地上から百合が叫ぶ。
消えかかった身体をなんとか動かし、そちらへと視線を向ける。
すると、何かがこちらに向かって投げられているのが見えた。
一直線に向かってくるそれを、辛うじて右手に掴み取る。
抵抗らしい抵抗と言えば、それだけだった。
あとはただ消えていくだけ。召還陣に吸い込まれていくだけ。
身体は完全に粒子化し、すべてこの世界から消え失せる。
そして、俺は一瞬にしてひどく長い旅をした。
時空を超え、次元を超え、まったく異質な世界へと召喚される。
次ぎに意識が覚醒し、目に光が宿ったとき。
「ありえねぇ……」
そこはすでに肌で感じる大気中の魔力が、まったく違う場所だった。
地球上のどこであっても、濃淡はあれど大小はあれど、魔力の根本は違わない。
だが、ここはまったく違う。根底から異なっている。
この世界に溢れる魔力は、元の世界のそれとは別物だ。
つまり、ここは。
「異世界……なのか?」
異世界に住む何者かに、時空を超えて召喚された。
しかも、鬱蒼とした人気のない森の奥に。
いったい誰が、なんの目的で。
「――ようこそ、おいでくださいました」
不意に花のように可憐な声がして、そちらに目を向ける。
「勇者様」
そこには格調高いドレスを身に纏う、一人の少女がいた。
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