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ルミナス冒険譚  作者: 日光 たいら
第一章
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Ⅰ-Ⅳ  《一日目の長い夜》


 相変わらず白い月は暗い道をきらきらと照らしている。ルミナスとヘインズはエクレティオへと向かう道を歩いていた。彼女は上機嫌で鼻歌を歌いながらスキップしたり、時折くるっとターンしてみせた。


「いい加減落ち着けよ」


「ふふーん。だってこんなにかわいい服を着てても堂々としていられるんですよ! これが落ち着いていられますか!」


 街を出たときから、彼女は既にローブからお気に入りの服に着替えていた。月の刺繍の入った紺のコルセットスカートに、白い半袖の衣。その上からフードのついた短めの外套を羽織り、細紐で首元を纏めている。ところどころフリルが施されているのは彼女曰く、これだけは絶対に譲れないとのことらしい。月の光に照らされて、可愛らしい衣装に身を通した彼女の美しさがなおも引き立って見える。


 右手には神官に与えられる杖を持っていた。先端にはランプがぶら下がっている。彼女は邪魔だと言ったが、旅に慣れていない者が杖も持たずに歩き続けるというのは辛かろう、というヘインズの配慮でもあった。


「汚れても知らねえぞ。寒そうな恰好しやがって。それにそのフリフリは旅にどうなんだよ」


「魔法で汚れも寒さもなんとかなるんです! ほんとはもっとこう、全身フリルのでもよかったんですけど、さすがに長旅ですからちょっと抑えてみました。かわいいでしょ?」


 ――その恰好も旅向きとは言い難いんだがな。まあ、喜んでるならいいか。


 地図を開いて道を確認する。もう少しで林道が見えるはずだ。懐中時計を見ると十三時。このペースなら二日ほどでエクレティオに着くだろう。林道に入る前に一度休憩を挟むことにした。


「そういえばヘインズさん、エクレティオはどんな街なんですか?」


「そうだなあ……。エクレティオは街をぐるっと囲むように山が連なっている。まあ、盆地だな。山から街の中央にかけてでっかい川が流れててあれは見事なもんだった。あとは小麦の質がかなりいいらしい」


「パンですね!」


 食べ物のことしか頭にないようだ。彼女にとっては小麦はパンということになっているらしい。エクレティオには小麦と砂糖を使った甘い菓子があることは、黙っておいた方が着いたときにもっと喜ぶ顔が見れるに違いない。


 そうこうしているうちに林道が見え始めた。ここから先は足場が悪くなる。林道に入れば魔物や野生動物に出会う危険もある。火を使った料理を作れば、匂いにつられて外敵が寄ってくるかもしれない。だが、今は体力を少しでも回復させた方がいいだろう。それに旅での食事が粗末なものばかりだと、ルミナスの士気にも関わる。


「林道が見えてきたな。ここらで一度メシにするか。薪を拾って火をおこしていてくれ」


「はーい!」


 つい先ほどアルカディアの街で買った食糧の一部に、絞めたウサギが一羽と羊肉の燻製がある。燻製は今後の旅のために保存できる。まだ新鮮なウサギを使うことにした。それをナイフで捌いていく。血抜きは既にされていて内臓も抜かれているようだ。


 まずは足首に切り込みを入れ、頭に向けて皮を剥ぐ。後ろ脚から順に脚を切り落としていく。胴を半分に切ったら食べやすい大きさに切り分けていく。切り分けた食材を全て水で洗い、香辛料をまぶしたところで火の用意ができたルミナスが呼びにきた。


「おー、準備万端ですね」


「まあな。さあ、焼くぞ」


 火の回りに岩を置き、太目の枝を格子状に組み合わせてその上に食材を並べていく。火の様子を見ながら焦げないように丁寧に焼いていく。肉の焼けるいい香りがしてきた。


「ほら、焼けた。食おうか」


「わあ、すごく美味しそうです! では!」


「「いただきます」」


 焼いたウサギ肉は弾力があって香ばしい。焼きすぎると固くなるが、今回の焼き加減は丁度いい具合だったようだ。あの店主の下処理のおかげで臭みはない。味は羊や牛に比べると淡泊だが、それでも十分に美味しいと言える。ただ、難点と言えば時々小さな骨に苦戦することくらいだ。彼女も手づかみで肉にかぶりつき、満足しているようだ。


「私、こういう風に外でご飯食べるの初めてだからすごく楽しいです」


「だろうな。これからはほとんどが外で食べることになる。ま、ウサギばかりじゃないから楽しみにしているといい」


「今後もヘインズさんの手腕が試されますね!」


 食事を終えて火の始末をしたら林道へ入っていく。月の光が道を照らしてくれることがありがたかった。ここから先は道も悪くなる。時折つまづくルミナスを見て、やはり杖を持たせたのは正解だったと思った。


「さすがに道が悪いな。ゆっくりでもいいから気を付けて歩けよ」


「は、はい……」


 左右は木々が立ち並んでいる。先ほどの料理の香りでいつ魔物や野生動物が現れてもおかしくない。ヘインズは常に周囲を警戒しつつルミナスの歩幅に合わせて歩く。十九時頃からこの林は霧が出る。そうなってしまっては進むに進めなくなってしまう。左手に地図を、右手は常に腰に据えた濃紺の剣の柄を握っている。


「ほら、頑張れ。これじゃエクレティオに着くまでに何日経つかわからんぞ」


「魔法で空を飛べたらいいのにって心底思います。……あの、ヘインズさん」


「なんだ?」


 地図に目を向けていた顔を上げると、ルミナスがもじもじとしている。察しろと言いたげにこちらをじっと見つめている。


 ――ああ、なるほど。


「そればかりはどうしようもない。そこらでやっちまいな」


「うええ!? 本気ですか!?」


「漏らすよりマシだろ。誰も見てないんだから別にいいじゃねえか」


「ヘインズさんが見てます……」


「バカかお前は。こちとらお前のおねしょシーツを洗ったりしてきてんだ。見ねえから向こうの林ででもしてこい。ほれ、ちり紙」


「……っ!」


 ヘインズの差し出したちり紙をひったくると、彼女は林の方へ駆けてしまった。しばらくして戻ってきた彼女は屈辱だ、と言わんばかりに顔を赤くして半泣きでうつむいてしまった。まあ十六にもなって外で用を足すってのは恥ずかしいか、と少し気を遣ったつもりでヘインズは、


「なんだ間に合わなかったのか?この歳になってまだお前は――」


「違います! このバカ髭!」


 そんな会話をしながら少しずつ休憩を挟みながら歩くこと数時間。遂に霧が出てきた。ただでさえ道が悪く、初めての旅で消耗したルミナスを連れてこのまま歩くのは難しい。今晩はここで野営することにした。焚き火を起こし、地図を見る。当初のペースとは遅れてはいるがまだ順調だ。


「さすがにお風呂は無理ですよね?」


「魔法で土を固めて桶さえ作ればなんとかなるが、飲み水を大量に消費することになる。川でもありゃいいがそれもないしな」


 ですよね、とちょっとがっかりそうな表情を浮かべて、焚き火の前に小さく座り込んだ。火を見つめる彼女がなんだかとても寂しそうに見えて、ヘインズはその隣に座る。


「なんだか想像してた旅っていうものとは全然違いました。本で読む旅ってもっと簡単そうで、あっという間に目的地に着いちゃったりして。でも、実際に旅をしてみてそんなことはないんだなって」


「帰りたくなったか?」


「……ちょっとだけ。でも大丈夫です。一人じゃないから、頑張れます」


「そうか。ここも魔物や狼なんかが寄ってくるかもしれない。俺が見ててやるからお前は寝てろ」


「それなら私の魔法で結界を……」


「そんくらいのことなら俺にもできる。初めての旅で疲れたろう。俺に任せときな」


「じゃあお言葉に甘えて。おやすみなさい、ヘインズさん」


「ああ、おやすみ」


 ルミナスが眠りにつくのを確認した後、周囲の林を見渡しても特に異常はない。眠っている間にも襲われる危険もあるが、ヘインズ自身も久々の旅で体力を消耗していた。薄い赤色の光を焚き火に向けて放つと、その焚き火を中心に半透明に結界が張られた。横になって見上げれば、木々が結界を通して薄い赤色に見える。何も起きなければいいが、と彼も目を瞑って眠りに落ちた。




 ――(くさ)い。


 どれほど時間が経ったことだろう。ヘインズは異臭に気付き、目を覚ました。既に焚き火は燻って灰色の煙を上げている、ように見えたが霧が濃くなっていて分からない。起き上がることはせず、目だけを(しき)りに動かして状況を確認する。ルミナスは隣で背を向けてすうすうと寝息を立てている。ひとまず彼女の安全は確認できた。


 足音が聞こえる。一歩、二歩と大きな生き物が近付いてくる。この足音は人間や狼のそれとは違う。野盗や狼なら群れで行動するはずだ。それにこの悪臭、思い当たるのは一つ。


 ――魔物だ。


 ゆっくりと音を立てないように背に置いた剣に手を伸ばす。結界が割られた気配はないが、彼の魔法の力で魔物相手にどこまで保つかは分からない。おまけに霧で視界が悪い。状況は最悪だ。その手にようやく剣を掴むと、首だけを後ろに向けて魔物の姿を確認する。


 まだ視認できない。だがこちらに近付く足音は確実に聞こえている。結界の近くにいないことが分かると、彼は勢いよく立ち上がり剣を引き抜いた。黒い刀身の幅広の剣を両手に構えて、足音の出どころを探る。


 彼の起き上がる音を聞いてか、足音はピタリと止まった。不気味な静けさが空間を支配していた。どこから来るか、警戒しつつルミナスの様子を見る。相変わらず背を向けて横になっている。ごくり、と生唾を飲んだ瞬間、足を地面に二、三度擦りつけたような音がした。


 ――来る!


 木の根を踏み潰す荒々しい音を立ててこちらに向けて走ってくる。ヘインズの立つ位置から右、霧を掻き分けてついに魔物がその巨体を露わに、結界へと突進してきた。轟音と地響きを立てて結界に亀裂が入る。


 霧の中から姿を現したそれは、ヘインズの背丈ほどの長さの脚でその黒い巨体を支えている。見上げれば頭には掌状の枝角を生やし、霧の中で不気味に光る緑の瞳で結界越しにヘインズを見下ろしている。巨大な鹿のようにも見えるその魔物が、目を細めて鋭い牙の生えた口を開いた。その様は笑っているようにしか見えない。


「……化け物が!」


 二撃目を与えようと、魔物は霧の中へと下がっていく。さっきの突進をまた貰えば、次はこの結界も破られてしまうだろう。


「ルミナス! おい起きろ!」


 呼び掛けても彼女は横になったまま動かない。初めての旅に疲弊していたのだろうか。よくもあの轟音の中で寝てられるな、と毒づいて次の攻撃に備える。万が一のことを考えて彼女の身を覆うように結界を張った。


 ――亀裂が入る度に結界を張り直すべきか。いつかは諦めて帰ってくれれば……。いや、防戦一方ではジリ貧だ。淡い期待は捨てろ。だったら結界が割られたところで迎え撃ってやる。


 思案を巡らせ、目の前の亀裂に向けて剣を構える。……また地面を擦る音。数秒後に異臭を放ちながらその巨躯(きょく)が結界に向けて突進をかけてきた。硝子が割れるような音を立てて結界が弾ける。それと同時にヘインズは剣を振りかぶり、魔物の右前足に斬りかかった。


「――――ッ!!」


 低い雄叫びを上げて魔物が後ろに下がる。斬り飛ばした右脚は霧の中へと消えていった。切断された魔物の前足からは黒い血のような液体が流れ出ている。ヘインズは骨を斬ったことによる手の痺れに耐えながら、更に後ろ脚を切り落とそうと魔物の右側面へ回り込もうとした。


 魔物はそうはさせまいと、雄叫びを上げて大きな角を振り回し、彼を敬遠する。ヘインズが一瞬の隙をついて右に回り込んだ瞬間、その牙で彼を噛み殺そうと魔物は大きな口を開けて頭を振り下げる。


 それを咄嗟にかがんで(かわ)し、腹の下に潜り込んだ勢いで左の前足を切り落とす。黒い血飛沫を浴びながら、その巨体に潰されないように距離を取った。魔物は立つことができずに、後ろ足で必死に地面を掻いている。緑の両目はヘインズを睨み、鼻息を荒くして低い呻き声を上げている。


 ヘインズが魔物の首を落とすために左から眺めるように立つと、魔物は恨みの籠った咆哮を上げた。ルミナスがするように左胸に手を当てて祈りを捧げ、その首めがけて勢いよく剣を振り下ろす。


「ガキが寝てんだ! 静かにしやがれ!」


「――――ッ!!」


 叫び声とも雄叫びとも分からぬ鳴き声を上げて、魔物は最後の力を振り絞り、ヘインズを喰いちぎろうと首を大きく動かした。


「はや――ッ!」


 避けられない。そう思ったとき、魔物の動きがピタリと止まった。


 運よく力尽きたかと思ったが、緑の目がまだこちらを見ている。生きている。この隙を逃すわけにはいかない。ヘインズはその下顎を睨み、一気に斬り落とす。唾液混じりの黒い血に濡れながらそのまま太い首に剣を突き立てた。


 黒い血を噴き出しながら、その頭は重い音を立てて地面に倒れ、それきり動かなくなった。


「なんとか、なったな……」


 剣を収めてその場にへたり込み、目の前の死骸を眺める。黒い煙を上げて、その血も肉も空へと消えていく。人や動物は死んでも肉体が残るが、魔物はそうではない。詳しいことは分かっていないが、夜の闇から生まれて世界を彷徨い、その死後は夜に還るのだと信じられている。


 彼の体を黒く染めた返り血もすべて宵闇に消えた。霧が立ち込める静かな林だけが目の前に広がっていた。


「……さて、寝るか」


 立ち上がって戻ると、ルミナスはぐっすり眠っている。人の気も知らずに、と笑って頬を突ついてやると、むにゃむにゃと寝言を言って寝返りを打ってしまった。その様子に笑顔がこぼれた。彼は再び周囲に結界を張り、彼女の隣で横になった。


 旅の一日目はようやく終わりを告げた。

 


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