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ルミナス冒険譚  作者: 日光 たいら
第一章
3/16

Ⅰ-Ⅲ  《旅の始まり》


 ――涙は止まったものの、少し呼吸をする度に喉が引くついてうまく言葉が出せない。吃逆(しゃっくり)が落ち着くのを待つ間に頭も冷えてきた。一日に二度も子どものように泣いてしまった。気恥ずかしさもあり、ルミナスはヘインズから体を離した。


 ようやく喉の痙攣が治まって、少し照れくさそうに俯きながら彼に謝罪と感謝の言葉を伝える。そして顔を上げ、彼の目をまっすぐ見つめて一緒に旅に出てほしいと頼んだ。当たり前だ、と白い歯を見せた彼の笑顔に心から安心して彼女もつられて笑顔になった。


 食事を終えて、ルミナスとヘインズは今後の方針について話す。机に地図を広げてどの街を目指すのか、どの道を選ぶのかを一通り決める。ノクトゥーアにある街は八ヵ所。地図に記された村を合わせて十六。国の中心にある王都を含めると十七。アルカディアの街は北西に位置していた。


「……ちょっと多すぎません?」


「よくもまあ易々とこんな依頼引き受けたもんだよ……」


 やってくれたな、といった表情でヘインズは地図を恨めしそうに見ている。


 だが夜の神の命令なら従うほかない。ルミナスが国を巡る旅人に選ばれたのは、神を目の当たりにしても唯一信じた神官だからだというが、恐らく理由は別にあるだろう。そうでなければすんなり信じなかった他の教会の神官が悪いのだ。全員に己の信仰心の是非を小一時間ほど問うてやろう、と彼は固く決意した。


「ひとまずは南下して西の街、エクレティオを目指すことにする。この林道を抜けるのがいいだろう」


「ふむふむ。それで出発は?」


「できるだけ早くって言われたんなら準備が整い次第ってところだな。まあ、そう遠い街でもないから大量に水と食料が必要って訳でもない。馬車でもありゃいいんだが、アルカディアには馬なんぞいねえからな。あとは装備だが――」


「旅に向いた装備ってよく分かりませんね。私のこのローブは当然不向きでしょうが……」


 正直、神官のローブは好きではなかった。街を抜け出すときにはいつも魔法で動きやすい服に着替えている。(よわい)十六の少女はもっと色々な服装をするべきだ、というのが彼女の信念の一つでもある。その信念に従って、街の中では着られないのにも関わらず彼女はお気に入りの服を何着も持っている。


「そうだな……。だが麻のやつはやめとけ。この林道は少なからず魔物も見つかっているからな。できるならもっと頑丈な素材の服で雨風の凌げるフードの付いたのがいいが、お前の場合は魔法でかなり防御性能を上げられるだろう。気に入ったやつを着ていけばいい」


「じゃあ丈夫な繊維でフードのついたかわいい服ならなんでもいいんですね!?」


「お、おう……」


 かわいいのは知らん、という言葉はルミナスの輝いた目を見てしまってはとても言えなかった。もっとも、言ったところで服選びに頭がシフトしてしまっている彼女の耳には入らなかっただろう。こんな形で彼女が着たい服を存分に選べる機会が来るとは思わなったのが、彼には喜ばしく感じた。


「さて、俺の装備は……あいつでいいか」


 銀色の鎧に目を遣る。彼がルミナスの騎士になってからずっと愛用してきた鎧だった。重い鎧は本来、長旅には不向きなのだが、戦闘中以外は魔法で軽量化すれば問題ない。神官であるルミナスには魔法の力では到底及ばないが、それでも彼女を守れるだけの力はある。できれば剣を振るう機会が来なければいいが。


「荷物入れは確か昔使ってたのがどっかに……」


 そう言ってクローゼットやチェストを漁ることしばし、ようやく目的の代物を見つけた。


 大小の革袋が複数個。手の平に収まるほどの最も小さな革袋には旅で使う金を入れる。幸い、自警団時代に稼いだ金や騎士として王都から支給される給金を貯めていた。続いて片手で抱えられるほどの大きさの革袋を二つ。これは飲み水や食糧を入れておくために必要だ。そして、それら旅の携行品を収納するための大きめの革袋。肩から下げるために丈夫な紐がついている。


 革袋を見つめて、しばし髭を撫でながら旅に必要な荷物を計算する。よし、と息を吐いてヘインズはそれぞれの革袋を床に並べ、右手をその上にかざした。魔法だ。手の平から薄赤い光が溢れる。光は四つの革袋の中に吸い込まれるようにして消えていった。


 服選びに没頭していたルミナスが魔法の展開に気付いて寄ってきた。


「今の魔法は……?」


「ああ。荷物が多くなりそうなんでな、ちょっと袋の内側を広げた」


 ルミナスは金を入れる小さな革袋を手の平に乗せて、しげしげと眺める。口を開いて手を入れると驚いたように、


「わあ! こんなに小さいのに手首まですっぽり入っちゃいました!」


「すげえだろ。ま、入れた物の重さはそのままだから、また軽量化の魔法を使わねえといけねえんだけどな」


「いろんな魔法があるんですね!」


 ルミナスが使えるのは日常生活に必要な最低限の魔法と、万が一のことを考えてヘインズに教え込まされた防御魔法だけだ。教会を抜け出して着替える度に使う魔法は、彼女がいつの間にか覚えていたものだ。


 彼女が言うには、全身を覆う黒い光の魔法は、ただ着替えを見られないための目くらましらしい。普段は衣服を彼女の愛用の髪飾りに閉じ込めて出し入れするそうだ。ヘインズの魔法とは違い、髪飾り以上の重さは感じないという。


「私の魔法の応用みたいなものですか?」


「まあ、似てはいるけどな。お前のは原理がよく分からん。本当なら荷物をその髪飾りの中に入れときゃ楽なんだろうが……」


「多分入らないですよね……。一応試してみましょう」


 そう言って魔法を展開する。左胸に手を当てて祈りの言葉を口にし、床に並んだ革袋にそれぞれ視線を投げかけた。革袋に薄黒い光の粒が集まる。


 ――いけるかも。


 深呼吸をして左手で髪飾りに触れる。その途端、革袋にまとわりついていた光の粒は弾けて霧散してしまった。はあ、と溜息を吐いてヘインズの方を見た。


「……やっぱり駄目でした」


 過去にも数々の物を試したが、彼女の収納魔法はうまく機能しなかった。共通して収納できる物はルミナス個人の私物ということだけだ。


「まあいいさ。荷物は俺が持つ。買い出しは……」

 

 壁に掛けた時計の針は二十三時を指している。この時間ではもう店も閉まっているだろう。買い出しに必要な物以外の荷物をまとめることにした。


「明日、食料と水を買い出したら出発だ。風呂に入って寝ろ。今日は散々泣き疲れただろ」


「二回目のはヘインズさんのせいですぅ。じゃあ先にお風呂入りますね。くれぐれも覗いちゃダメですよ?」


「……ガキだ」


 ふっ、と鼻で笑う。ルミナスが浴室へ向かうと、彼は暖炉に薪をくべて椅子に座る。どうしてこんなことになってしまったのだろう。だが、彼女も外に出たがっていたし丁度いい機会かもしれない。彼女をしっかり守れるだろうか。もし彼女の身に万が一のことがあったら、いったいどうすれば……。暖炉の火を見つめながらそんなことを思う。


「ヘインズさん、か」


 ――いつからだったかな、あいつが俺をそう呼ぶようになったのは。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 教会に捨てられていた、赤ん坊のルミナスを偶然見つけたことが彼の人生の転機だった。当時、魔物や野盗の討伐や街のいざこざを解決するといった、いわゆる自警団に彼は所属していた。


 最初に発見したということもあるが、彼はなぜかこの赤ん坊を絶対に自分が引き取らなければならないと強く思った。当然、周りの人間は反発した。孤児院に引き渡すべきだ、無謀にも程がある、と。彼自身もそれが愚行だということは分かっていた。それでも彼は赤ん坊を諦めなかった。何かに取り付かれたかのような妄執に、彼を制止していた人々は長い交渉の末、ついに諦めを見せた。


 彼は引き取った赤ん坊にルミナスと名付けた。この夜の国を照らす月のように輝いて欲しい、と願いを込めて――。

 

 男親ということもあり、女の子を育てることに少なからず苦労した。自警団の同僚夫人や街の女性の力と知恵を借りることもしばしばあった。彼が自警団として働きに出ている間は、彼女たちが交代でルミナスの面倒を見てくれた。彼女を引き取って以来、酒を飲むことはなくなり、周りの人間も気を遣ってくれたのか、彼を誘うことはなかった。彼女たちや街の人々には感謝してもしきれない。


 子どもの成長とは早いものだ。ルミナスを引き取って半年ほどが過ぎたある日、料理をしていた彼が何かを引きずるような音に気付いた。そちらに目を向けると、横になっていたはずの彼女が一所懸命に這って彼に近付いて来ていた。食材を扱う手を止めて、その場にしゃがみ両手を差し伸べた。


 ――ほら。こっちだ。頑張れ。


 目の奥が熱くなるのを堪え、一心に這うルミナスに絶えず声をかけた。ゆっくりと時間をかけて、彼女がようやくヘインズの手に辿り着いた。満面の笑顔を浮かべて無邪気に喜ぶルミナスを抱き上げ、高く持ち上げてやるときゃっきゃと笑い声を上げた。


 ――この子がこの俺の手に、俺の声に応えてくれたんだ。


 その笑顔が余りにも眩しくて堪えていた涙を抑えられなかった。子育てを始めて最初に流した涙だった。その後、彼が街の人々にこのことを自慢したのは言うまでもない。最初はどうなることかと思っていた自警団の同僚たちも、心から彼とその娘に祝福を送った。


 彼がどこへ行くでもルミナスは這って着いてきた。危ない、と言っても彼女はその度に無垢な笑顔を見せた。その笑顔にはいつも負けてしまう。


 ある星の綺麗な日、ヘインズは庭に出て洗濯物を干していた。洗濯籠を空にしてようやく一段落がつき、家に入って一息つこう、と後ろを振り返った。違和感がある。いつもここから見る家の外観とは違う気がする。違和感の正体は出窓に目を落としたときにはっきりと分かった。


 窓から頭を覗かせてルミナスがこちらを見ていた。ヘインズが彼女の方を向いていることが分かると嬉しそうに笑顔を浮かべた。


 ――あそこはまだ立てない赤ん坊には高すぎるはずじゃ……? まさか……?


 血相を変えて家の中に入り、彼女のいる出窓の方へ向かう。ルミナスは出窓の棚に掴まって立っていた。窓の外にいたはずのヘインズを見失ってきょろきょろとしている。


 ――ルミナス。


 そう呼び掛けてやると、彼女はこちらを振り向いて、楽しそうに棚をぱしぱしと叩いて笑顔を浮かべた。掴まりながらとはいえ、己の力で立ち上がったのだ。居ても立ってもいられず、ルミナスを抱いて家を飛び出した。すれ違う街の人に出会う度に、彼女が一人で立ったことを意気揚々と語った。彼らはすっかり親バカぶりを発揮したヘインズに呆れつつも、まるで自分のことのように喜んでくれた。


 彼女が立ち上がってからというもの、ヘインズは以前にも増して娘の成長が楽しみになった。徐々に立ち上がるのに慣れた彼女の手を取って、歩く練習をさせたり、言葉を覚えさせるために以前よりも積極的に話しかけるようになった。


 そうして数ヶ月、ルミナスを教会で見つけてから一年ほどが経とうとしていた、忘れもしないある日のことだ。


 ――パーパ。


 パパ。ルミナスがヘインズをそう呼んだ。全く心の準備をしていなかった彼は、不意を衝かれて空耳だと錯覚しそうになった。今度こそはっきりと聞きたい。そう思って彼は無邪気に笑う彼女に何度も声をかけた。


 ――もう一度言ってくれ。ほら、パーパ。パパだぞ。


 初めは自分をそう呼ばせることに抵抗があった。だが、彼の子育てに協力してくれる街の婦人連中が言うには、赤ん坊には簡単な言葉から覚えさせなければならないとのことだ。恥ずかしい気持ちを抑え、何度もそう口にしているうちに慣れきってしまったようだ。


 ――パーパ?


 彼が何度も声をかけて、ようやく彼女はそう呼んでくれた。今度こそ聞き違いなどではない。不思議なことだが、そのときになって彼はついに彼女にとっての父親になれたのだと実感できた。胸の奥がむず痒い。嬉しい。照れくさい。様々な感情が彼の中を掻き回していた。


 笑顔を保っているはずなのに、いつかのようにまた涙が出てきてしまった。彼の表情を見てつられたのか、ルミナスまでくしゃっと顔を歪ませて大声で泣き出してしまった。慌てて彼女を抱き上げて宥める。


 ――ごめんな。ありがとうな。


 そんな言葉が自然と漏れた。


 ヘインズはしっかりと躾け、しかし伸び伸びと育てるという教育方針を取った。ある程度ルミナスの物心がついた頃、彼が自警団として仕事に出ている間は教会に通わせて、当時の神官と騎士に文字の勉強など、歳に合わせた教育を受けさせた。


 当初は嫌がっていた彼女だが、教会には彼女だけでなく他にも教育を受けに来ている子どもたちがいる。彼らと友達になってからというもの、教会に行くのが楽しみになったようだ。神官と騎士の穏やかな物腰も彼女の心を開くことに功を奏したのだろう。高齢な二人には子どもは懐きやすいのかもしれない。


 ――あ! パパ、おかえり!


 それでも毎日仕事を終えたヘインズが迎えに顔を出すと、とびきりの笑顔で駆け寄って来た。


 ルミナスが七歳のとき、おもちゃの剣を振り回して柱に傷をつけたことがあった。咄嗟に怒ってしまったが、彼女には危ないことはして欲しくなかった。恐らく彼女はその気持ちに気付いていなかっただろう。しばらくふてくされて声をかけても無言を返されたことを覚えている。その日は彼女の好物であるシチューで機嫌を直すことができた。


 九歳になって初めて街の外に連れ出した。本に書いてあるような海を見てみたい、という彼女の願いを叶えてやりたかったのだ。彼女は終始笑って喜んでくれたが、彼はというと、いつ魔物や野盗が出ないかと冷や冷やしていた。できるだけ襲われる心配のない時間帯と場所を選んだおかげでそれも杞憂に終わった。今でもその場所は彼女にとってのお気に入りの場所の一つになっているようだ。


 十一歳のある日、初めて彼女から一人で入浴するという宣言を受けた。もうそんな年頃か、と寂しくなったのを覚えている。街の人々は娘といくつまで風呂に入っているものなのか気になったが、何かみっともない気持ちになって考えるのをやめた。そのことがあってから、洗濯にも少し気を遣うようになってしまったのは彼女も薄々と勘付いているだろう。この頃から彼女はヘインズを"父さん"と呼ぶようになった。


 その日から数ヶ月が経った。まだ街が本格的に目覚めるには早すぎる時間、家の扉を激しく叩く音に起こされた。こんな早くにいったい何事かと、鳴り止まない騒音に苛立ちを感じつつ扉を開いた。


 ――おい、ヘインズ! 大変だ!


 悪い報せだった。――教会の神官がこの世を去った。後を追うようにして、その数日後に騎士までも亡くなってしまった。二人の葬儀の間中、ルミナスは恩師の死にぼろぼろと涙を流した。この歳になればもう死の概念も理解できてもおかしくはない。立て続けの訃報に、しばらく街中が悲しい空気に包まれた。

 二人ともかなりの高齢だった。ここ数年は教会に居ることも少なく、眠っている時間が増えたらしい。寿命だったのだろう。それでも大往生だったはずだ。ヘインズは心から二人の冥福を祈った。


 ルミナスの十二回目の誕生日。彼女の人生の転機が、そして彼にとっては二度目の転機が訪れた。自警団の仕事が終わり、彼女を預けていた家から帰る道を歩いていたときのこと。街の外へとつながる門の方が騒がしい。何かあったのか、とそちらへ歩みを進めた。


 騒ぎの中心にあったのは、王都の紋様が装飾された馬車だった。観衆の一人に尋ねると、王都からの使者が来たのだと言う。馬車の扉が開き、使者と思われる男が降りて辺りを見回し、初めて見る馬に心を躍らせているルミナスを見つけると、こちらの方へゆっくりと歩いてくる。

 

 ルミナスは歩み寄る使者から遠ざかるようにヘインズの陰に隠れた。使者は二人の前で止まると、彼女がこの街の神官に選ばれたと告げた。一瞬、何を言っているかが分からなかった。言葉の意味を理解してヘインズは当然抗議した。まだ幼い彼女に神官などという大役が務まるはずがない。


 ――うちの娘には無理だ! なぜルミナスなんだ! 誰が決めた!?


 使者が淡々と投げられた疑問に答える。神官はその街や村の住民の中で、最も魔法の力が優れた者が選ばれる。王都の神官が使う魔法ならそれが誰なのか分かるという。

 ヘインズはそれを馬鹿馬鹿しいと一蹴する。十二歳の少女にそんな力があるはずがない。日常生活に必要な魔法ですらまだ満足に使えているとは言えない。


 使者はそんなことはどうでもいい、と言わんばかりに懐から羊皮紙を取り出してヘインズの目の前に突きつけた。王の名が記された命令書だ。神官と王が話をし、正式に決定されることだ、と無感情に言い放った。


 受け取った文書に目を通し、憤りで手が震えた。王の決定は絶対だ。逆らうことは許されない。もしここで反抗しようものなら――。ヘインズの服の裾をぎゅっと握る彼女をちらっと見て、不満を治めることに努めた。


 ――こいつにばかり重いものは背負わせられねえ。俺がルミナスの騎士になる。


 神官には騎士がつけられる。ルミナスが神官になることを止められないなら、と使者にそう宣言した。

 だが、使者はあくまでも淡々とその言葉を否定する。王都議会から推薦された騎士候補を連れて来ているというのだ。お前の出る幕など寸分の隙もありはしない、とその目が冷徹に告げた。


 騎士候補だという男が使者の背後から前へ出た。大柄なヘインズよりも一回り大きな体格をしていた。ヘインズは憶することなく問う。騎士候補も王から選抜された者なのか、と。その問いに使者は否定の反応を示した。


 ――なら、俺はこいつに騎士の座を賭けて決闘を申し込む。神官を守るんだ。騎士は強いに越したことはねえんだろ? 


 何を馬鹿なことを、と使者が嘲笑(あざわら)う。だが、眼前に立った騎士候補は挑発的なヘインズの言動が気に入らない様子だ。決闘の申し出を承諾した。

 ヘインズはうまく誘いに乗ってくれたことに安堵し、ルミナスを観衆の一人に任せた。できれば決闘が見えないところまで連れて行ってくれ、と伝える。何が起きているか分からなくとも、良くない雰囲気を察して不安そうな彼女に笑顔を見せた。


 ――大丈夫だ。


 彼女の姿が見えなくなって、騎士候補に目を向ける。改めて見ると屈強そうな男だ。王都から連れて来られただけはある。決闘は一撃でも攻撃を当てれば勝利ということにした。距離を取り、腰に下げた剣を引き抜いた――。




 気が付いたら決闘は終わっていた。無我夢中で剣を振っていた為か、あまり記憶がない。ただ、騎士候補と使者の表情から察するに、どうにか決闘には勝利したようだ。渋々といった顔の使者から騎士の証明を受け取る。これで彼はルミナスの父であると同時に、彼女に仕える騎士になった。


 二人を王都へと帰し、ルミナスを預けた者のもとへ足を進めた。ルミナスは神官だ。神官の姓は街の名になるのがしきたりだ。もうルミナス=ゴーガンではない。これからはルミナス=アルカディアとして生きていくのだ。ただ姓が変わっただけなのに、とてつもない悔しさに襲われた。


 ようやく彼女を見つけた。まったく状況を掴めていない彼女は、無垢な笑顔を見せた。その笑顔が今は辛かった。騎士になったのだ。今までと同じように接してはいけないのだろう。首を傾げて彼を見上げるルミナスに、絞り出すように言った。


 ――ルミナス、様。


 それからルミナスに全てを説明した。神官や騎士に関することまで全てだ。


 仕えるべき神官には敬意を表さなければならない。そう思って彼は自分の娘を"様付け"で呼び、敬語を使い始めた。ルミナスはそれをとても嫌がり、何日経っても改善されない父の口調を真似てヘインズを"様付け"にして呼び始めた。


 その関係は既に親子のそれとは程遠いものだろう。神官と騎士という関係になったとしても、それ以前に親子なのだ。辛い現状に耐えられず、彼は遂に呼び名と口調を改めたのだが、ルミナスの方は頑固なことに、そうもいかなかった。


 いつまで経っても"様付け"と敬語を辞めない彼女に、せめて"さん付け"にしてくれ、と願い出てようやく今の形に落ち着いたのだった。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「あいつが神官なんかに選ばれなきゃ色々と……」


「きゃああああああ――!!」


 悲鳴が聞こるや否や、咄嗟に鞘に収めたままの剣を手に浴室へ駆けた。


 ――まさか、魔物がこんな街中に? それとも野盗か? 神官を攫って何か企てを? どちらにしても、自警団の働きでアルカディアにそれらが現れたことなどこれまで一度もなかった。


「ルミナス! 無事か!?」


「へ?」


 浴室の扉を開け、念の為に天井を警戒したが特に異常はなかった。ただ蜘蛛が一匹、足元を通って浴室から出ていくのが見えただけだった。


「なんだ蜘蛛か。明日は林道を通るんだぞ。いちいちこんなことで叫んでんじゃねえよ。それよりなんだお前……成長しねえなあ。最後に一緒に風呂入った時からあんま変わって――」


「バカバカバカバカ!! 出てけ出てけ出てけ! いいから出てって、父さん! 早く出てってぇぇぇーー!!」


 桶やら石鹸やらの猛攻を背に受けながら苦笑いで退出する。久々に娘から昔のような口調で呼ばれて少し嬉しく思えた。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 九時。アルカディアのランプには既に火が灯っている。ルミナスとヘインズは旅支度を終えて街を歩いていた。神官の彼女は、街にいる間はいつものローブを着ていなくてはならない。早く着替えたいと思う気持ちと、街の人々を残す心配や旅への不安でどこか落ち着かない様子でいる。


「さて、水と食料を買い終えたらしばらくはこの街ともお別れだな」


「急に私たちがいなくなって、皆さん大丈夫でしょうか?」


「自警団のやつらもいるし大丈夫さ。ちょっと長めの家族旅行、くらいに思ってもらえた方が変に心配かけずに済むだろ」


 二人が目的の店を目指している間に話しかけてきた人には、しばらく出かける旨を伝えた。皆、ヘインズの説明を聞いて久々の親子の旅を祝福してくれる。中には各々の店の品を分けてくれる者もいた。街の人々の温かさが身に染みるようで、ルミナスは胸の奥が少しむず痒かった。


 街の人々に別れの挨拶を告げつつ、少し歩くと目的の店に着いた。足での旅で蓄えられる水と食料、おおよそ五日分ほどを買う。気さくな店主が話しかけてきた。


「よお、ヘインズ。家族旅行だって? 神官様、そんな大仰な格好で行くのかい?」


「まさか。街の中じゃこれが正装だからな。街から出たら着替えるさ」


「そりゃそうか。神官様、よかったなあ。こんなんでもこいつは騎士だからな。なんかあったらすぐ頼るといい」


「はい。こんなのでも私を立派に守ってくれるようなので、色々と頼っていきます」


「お前らなあ……」


 気をつけてな、という言葉に手を振って二人は歩き出した。ルミナスは一歩一歩、街の出口に近づく度に自分の鼓動が速まっていくのを感じた。この街を出る。こっそりとではなく今日は堂々と出られるのだ。いよいよ門が見えたところで彼女は立ち止まる。これからの旅に期待したような表情をしているが、不安の色も窺える。そんな彼女を見てヘインズは手を差し伸べた。


「今日は、一人じゃないだろ?」


「……はい!」


 彼女は手を取って育った街を後にした。

 

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