Ⅱ-Ⅱ 《力の使い方》
「んっ……」
体が揺すられる感覚でルミナスは目を覚ました。旅をまた始めたはずなのに、横になった体に触れているのは冷たい土ではないことに気付く。眠った彼女をヘインズが荷台に運んだのだろう。薄い布が敷かれているが、荷台の板はそれでも固かった。上半身を起こして大きく欠伸をした。
夢を見た気がした。月の光を受けて、雲の上をふわふわと飛んでいた、と思う。次第に意識がはっきりしてきた。荷台を覆う天幕がさらさらと音を立てている。荷台の後ろから外を見ると雨が降っていた。車輪が水を跳ねる音と、荷台が小刻みに揺れることから馬車が動いていることが分かった。進行方向に目を向けると、ヘインズが外套のフードを被って御者台に座っていた。
「おはようございます、ヘインズさん」
「おう、ようやく起きたか。見ての通りの雨だ。小雨だがな。悪いが朝メシは作ってやれなかった。革袋の中に燻製肉がまだ残ってるから、それを食ってるといい」
本当は野菜を消費したかったが、この雨では馬車を出すしかなかった。雨に打たれても結界の中にいれば焚き火は機能する。しかし、今日は馬車を進めて森に入る。今はまだ小雨だが、これから天候が荒れるかもしれない。視界が悪くなった状態で森に入るのはできるだけ避けたかった。
ルミナスは言われた通りに、まずは水を一口飲んで革袋の中から燻製肉を探した。残りの食糧はジャガイモやニンジン、チーズなどが数日分だ。肉は少ないが、まだ二日はこれで保ちそうだ。
「今日中に採鉱の村に着くんですよね?」
「どうだかな。距離はそんなにねえが、天気次第ってところだ」
掘り当てた燻製肉を手に持ち、ヘインズの隣へと移動した。
「風邪ひくぞ。荷台の中にいろ」
「いいんですよ。雨の景色も楽しませてください」
ルミナスも彼と同じく、外套のフードを被り、朝食に舌鼓を打った。昨日まで遠くに見えていた森は、雨のせいで靄がかかって見えない。雨は気分が落ち着く。雨音に耳を澄ますように、自然と互いに無言になっていた。
彼女は肉を食みながら、大地に落ちる水滴を見ていた。天を仰げば、黒い雲で月が隠されている。まるでノクトゥーアの暗い空が涙を流しているかのようだ。小粒の雨が目に入る。驚いて顔をぷるぷると振った。ヘインズはその様子を、犬みたいな奴だと小さく笑った。
静かな雨音を聞きながら、幌馬車は進む。食事を済ませたルミナスは、昨日と同じように魔法の訓練を始めた。相変わらず硝子の割れる音が響く。その度にまた魔法の結界を展開する。何度も繰り返しても一向に上達する兆しが見えず、彼女がふてくされたように言う。
「これって本当にできるものなんですか?」
「できるさ。レナルドさんだってやってたろ?」
「そうですけど……」
彼とは経験も、生きた年月も違う。少し練習したところで、すぐにできるようなことではないはずだ。このままでは彼女の意識が下がってしまうかもしれない。ヘインズは手本でも見せてやろう、と右手だけで手綱を握った。
左手から赤い光が発せられる。掌を空に向けて、馬車全体を覆うように結界を展開した。人差し指を軽く曲げると、その結界が徐々に彼の掌に集まるように、円状に収縮する。次第に小さなシャボン玉ほどまで縮まり、彼の人差し指の上にふわふわと浮かんだ。その指をルミナスの方へ軽く振ると、結界の玉は雨をはじきながら、ゆっくりと彼女の目の前まで漂った。
彼女がそれを指で突いても割れることはなかった。不思議そうに様々な角度から結界の玉を見ても、どうして割れないのかが分からない。
「これ、どうやって?」
「ま、それは自分で気付くことだな。ヒントってやつだ」
「えー……」
「どうしても駄目ならまたヒントをやるよ」
そう言って彼は両手に手綱を取って何も言わなくなってしまった。意地悪だ、と彼を一睨みして、未だ割れないまま浮かんでいる結界の玉を観察する。
今まで彼女が展開していた結界は正方形だ。彼のように円形に留めれば成功するかもしれない。そう考えて、再び結界を展開した。ヘインズが先ほどやったように、少しずつ球体に留めるように小さくしていく。
――いける!
薄黒い結界はゆっくりと収縮し、手の平大のシャボン玉の形を保って浮かんでいる。いつもならこの大きさに縮めるとすぐに割れていた。やっぱり四角じゃなくて丸が正解なんだ、とルミナスは喜んで、ヘインズにも見せつけてやろうと外套の裾を引っ張った。彼はそれを一瞥して首を横に振り、また前を向いた。
てっきり称賛の声が返ってくると思っていた彼女は少し不機嫌になった。ちゃんとできているはずだ、と彼女は頬を膨らます。ヘインズはその様子に溜息を吐いて言う。
「ほら、その結界見てろ」
「え?」
彼の言葉に従って、自らが作り上げた結界の玉を見つめる。時間が経つ毎に亀裂が入っていく。あ、と彼女が声を発したその瞬間、結界は無残にも弾けてしまった。その隣でヘインズの作った赤い透明の玉は今も安定して浮いている。
「そんな……」
うまくいったと思った。だが彼女の思惑とは裏腹に結果はいつも通りのものに落ち着いてしまった。落ち込む彼女にヘインズが声をかける。
「残念だったな。一つアドバイスというか、忠告しておくぞ。お前の練習の仕方はただ数をこなしてるだけだ。失敗したやり方を何度繰り返しても結果は同じだ。失敗したら、何が悪かったかを考えなきゃ意味がねえ。分かるな?」
「はい……。あの、ヘインズさん……?」
ゆっくりと言い聞かせるようにそう告げたヘインズに、おずおずと尋ねる。
「なんだ?」
「その、怒ってます……?」
彼女の問いに驚いた。彼にしてみれば、ただ教えを説いているつもりだった。すぐに答えを教えてしまっては、本質的な魔法の力の使い方を理解できない。厳しいかもしれないが、これも彼女の為だ。だが、淡々と言葉を綴ることで少し怯えさせてしまったのかもしれない。どうやらこの雨で無意識に気が滅入っていたようだ。
ルミナスを見ると憂いを帯びた顔をしている。彼女の頬に雨が当たり、冷や汗を掻いているように見えた。余りにも出来が悪いから怒らせてしまった、とでも思っているのだろう。安心させるように、ぽんぽんと彼女の頭を軽く叩いて、
「怒ってねえよ。そう見えたんなら、悪かった」
そう言うと少し表情が明るくなった。
「だったらよかったです。ヘインズさんに言われた通り、ちゃんと考えてもうちょっと頑張ってみますね」
「ああ、頑張れよ」
それから結界が砕ける音の聞こえる頻度は、先ほどまでと比べてかなり下がった。失敗する度にぶつぶつと、丸さが足りない、持続時間が足りない、と試行錯誤している。質より量だった彼女の訓練が、質を重視したものへと変わったのだ。ヘインズはそれを良い兆候だ、と微笑んだ。
森への入り口が間近に迫ったが、少し雨足が速くなってきた。ヘインズは一旦馬車を止め、このまま森に入るべきか否かを考えることにした。懐中時計の針は十三時を示している。この森を数時間ほど進めば恐らく村には着く。だが、ただでさえ視界も足場も悪くなる森をこのまま進んでいいものだろうか。髭に手を当てて思考を巡らせていると、ルミナスが声をかけてきた。
「森に入らないんですか?」
「いや、考えてる」
――このまま雨が止むのを待った方がいいだろう。食糧は十分だ。あと三日分はある。さすがにそれ以上雨が続くとは思えんが……。万が一ということもある。だとしたら、まだそこまで雨が強くない今のうちに通るのがいい、か?
「行きましょう、ヘインズさん。この森の奥に村があるんでしょ?」
痺れを切らしたルミナスがそう言った。
「だがな……」
「このままじゃ、どんどん雨も強くなっちゃいますよ。雨もどれくらい続くか分からないです」
ルミナスは煮え切らない態度を取るヘインズに少し苛立ちを感じていた。慎重なのは大事なことではあるが、些か度が過ぎている。目的地までもう少しなのだ。彼はいったい何をそんなに悩んでいるのだろう。
「……分かった。進もう。だが、足場が悪くなる。馬に無理をさせないように少しペースを落とすぞ」
「はい!」
ようやく決断したヘインズは、どうか何も起きないでくれよ、そう心の中で祈って再び手綱を取った。
エクレティオに向かうまでに通った林道とは、雰囲気が少し違う。雨のせいかもしれないが、どこかおどろおどろしさを感じる。魔物が現れる恐れもある。ルミナスに魔法の訓練をやめて、周囲を警戒するように伝えた。
馬車は鬱蒼とした森を、先ほどよりもゆっくりと進む。周囲を全て高い木に囲まれている。見上げても、生い茂る枝や葉に遮られて黒い空は見えない。辺りを照らすのはぶら下げたランプの灯りのみだ。進むべきだと息を巻いていたルミナスも、さすがに不気味な森に怯えている様子だ。
おっかなびっくりといった様子で一時間ほど進んだが、雨はまるで止む気配がないどころか、その激しさを増している。やはりもう一晩様子を見るべきだったか。二人の頭にそのような後悔が過ぎったその瞬間。大きく揺れて馬車は動きを止めた。
「な、なんですか!?」
唐突な衝撃に驚いてルミナスが声を上げる。馬は必死に前へ進もうとその場で蹄を掻いている。
「くそ! はまっちまった! 手綱を頼む!」
ヘインズは彼女にそう声をかけて御者台を降りた。雨で足元がぬかるんでいた。荷台の車輪が泥に足を取られて回転しなくなったのだ。前方へ行き、荒ぶる馬を宥めようとするが、馬も森の雰囲気に怯えていたのだろう。そこに歩こうとしても進まないという状況が生まれて、気が動転してしまっていた。根気よく宥め続けてようやく大人しくなった。
次は車輪をなんとかしなくては、と荷台へ向かうも泥で足が滑る。こんなところで立ち往生してなどいられない。一歩一歩と足を踏みしめ、荷台へと急ぐ。ぬかるみにはまっていたのは右の車輪だけのようだった。車輪が回るべき方向に小さな泥の壁ができている。
両の車輪ではないことが不幸中の幸いだった。羽織っていた外套を脱ぎ、車輪に付着した泥を拭う。足元にできた泥の壁を取り除き、馬車を後ろから押し上げながらルミナスに叫ぶ。
「馬車を出せ!」
その声を聞いて、彼がしていたように手綱を引いた。少し動いたと思うとまた止まってしまう。車輪が空回りしてしまっているのだ。
「ヘインズさん! 進みません!」
「くそが! もう少し待ってろ!」
馬車から体を離し、車輪の状態を確認しようと身をかがめる。――異臭がした。むせ返るような泥の臭いに紛れて、つい数日前に嗅いだばかりの悪臭が漂ってきた。魔物が近付いてきている。木々に阻まれて姿は見えない。雨音で足音も聞こえない。
「冗談じゃねえぞ……! ルミナス! 防御魔法で馬車を守れ!」
「え!? 何が――」
「ごちゃごちゃ言うな! 早くしろ!!」
彼の剣幕に圧されて、ルミナスは言われた通りに、馬車とヘインズを巻き込んだ一帯に結界魔法を展開した。半透明の黒い結界が周囲を覆う。依然として魔物の臭いは消えない。状況は最悪だった。
敵が見えない以上は馬車を動かすことに専念するしかない。ルミナスの防御魔法はそう簡単に破られるものではない。その魔法の力の強さは先日、目にしたばかりだ。一刻も早くぬかるみを脱出するのだ。
車輪を確認すると、両の車輪の足元を支えている地面が緩んでしまっている。これでは軽量化の魔法を使ったとしても、空回りするばかりで前には進まない。馬車全体を軽量化して持ち上げてぬかるみを脱出する。体力を激しく消耗することになるが、これが最良だろう。
再度、外套で両の車輪に付着した泥を拭い、馬車に軽量化の魔法を展開した。薄赤い光が馬車の中に溶けていく。光が完全に消えたところで、彼はルミナスに大きく声をかけようとした――。
「――――ッ!!」
咆哮。一つや二つではない。魔物の声に一瞬、動きが止まってしまった。悪臭が強まっている。敵を視認する為に辺りを見回した。周囲の木々の隙間から、馬車を取り囲むように無数の緑の点が妖しく光っているのが見える。魔物の目だ。右や左、後ろを向いてもその眼光が馬車を狙っている。
血の気が引くのを感じてヘインズは馬車を持ち上げて大声をあげる。
「魔物だ! ルミナス、出せ!!」
しかし、馬車が動く気配はない。たまらず再度、
「何してんだ! 早く出せ!!」
返事がない。いつ襲い掛かってくるかも分からないというのに。ヘインズが彼女の様子を見に御者台に近付いた。ルミナスは震えてうずくまっていた。初めての魔物との遭遇だ。それもこれほどの数、ヘインズ自身も目にしたことはない。恐怖してしまうのは仕方がない。
しかし、今は彼女に気を遣う余裕がなかった。ルミナスの肩を掴んで揺さぶる。戦う必要はない。ただ、掛け声と共に手綱を引いてくれさえすればそれでいいのだ。怖いのなら目を瞑っていろ。そう言い聞かせる。彼女は目尻に涙を浮かべ、震える手で手綱を握った。頼むぞ、と一声投げかけてヘインズは荷台の裏へと戻った。
ヘインズが馬車を持ち上げた。その瞬間を狙っていたかのように魔物の群れが一斉に飛びかかってきた。その姿は狼のようだった。灰色の毛並みを逆立たせ、口元から長く伸びた牙をむき出しにしている。飛びかかった魔物は呻き声を上げながら、ルミナスの張った結界に弾かれる。
「いや……っ!」
ルミナスが小さく悲鳴を上げる。
「ルミナス、手綱を引け!」
彼の声を聞いて、ぎゅっと固く目を瞑りながら手綱を力の限り引く。馬車がようやく走り出した。ヘインズは後ろから荷台に飛び乗り、這うように御者台に急いだ。この間にも魔物が突進を繰り返し、結界を打ち破ろうとしては弾かれている。後ろを見ると諦める様子もなく、魔物の群れは追いかけてきている。御者台で手綱を取るルミナスの隣に荒々しく座り、手綱を彼女から奪い取った。
馬が恐怖で暴走している。もはや進むべき道も分からない。ただ木にぶつからないようにだけ注意を払って、できる限り制御することに努めた。ルミナスが彼に抱きつく。体が震えている。仕切りなく突撃してくる魔物の声が聞こえる度にびくっと体を強張らせる。このままがむしゃらに逃げ続けても埒が明かない。
「ルミナス! ルミナス、大丈夫か!?」
「怖い……」
「ああ、分かってる。状況は最悪だ。もうお前の力を頼るしかねえ。あの魔法の矢でお前が魔物を――」
「嫌――ッ!!」
彼女が悲痛の叫びを上げた。その答えは想定していた。仕方がない。
「分かった。俺がなんとかしてやる。お前は結界が破れたらその都度また張り直してくれ。それならできるな?」
「……無理だよ」
絞り出すように彼女が小さく口にした。これだけの魔物を相手に自分の力が役に立つはずがない。うまく制御できない魔法の力で、もし結界を張るのが一瞬でも遅れたら、魔物が襲ってくる。自分のせいで命を落とすことになる。何よりも、怖くてたまらなかった。
ヘインズは馬車を走らせながら、彼女の言い分を黙って聞いた。思考が恐怖に支配されてしまっている。手綱を右手に持ち替えた。篭手を付けていなければ擦り切れてしまっていただろう。暴走する馬の力に耐えながら、左手でルミナスの頭をがしがしと撫でた。そして笑いかけながら恐怖を取り除く言葉をかける。
「俺もお前もこんなところで死なねえよ。まだ見せたいものや食わせたいものが沢山あるんだ。俺だって見たいものや食べたいものがある。昔とは違う。今度は二人で見るんだ。折角の家族旅行をこんなところで終わりにしてたまるかよ」
ルミナスが顔を上げた。目に涙を溜めている。
「……私、失敗するかもしれない」
「構わねえさ。尻拭いは俺がしてやる」
「私じゃ、守れないかもしれない」
「その分俺が守ってやる」
「二人とも、死んじゃうかもしれないんだよ……?」
「言っただろ。それはあり得ねえ」
ヘインズは明るく笑顔を作って、彼女の憶測を全て否定した。ルミナスはその言葉を聞いて、目に溜めた涙を拭った。それでも体の震えは止まってはいなかった。必死で恐怖と戦っているのだ。深く息を吸って、言葉を紡いだ。
「――私、やってみるよ」
よし、とヘインズはまた頭を撫でてやった。手綱を彼女に渡して馬の制御を任せようとしたが、彼女はそれを制した。私がやると言ったはずだ、と強い決意の言葉を口にして立ち上がる。
杖を取りに、荷台へと移動する。激しく揺れる馬車によろめきながらも、右手にしっかりとその杖を掴む。震える右手に左手を重ねて恐怖に抗い、荷台の後ろから見える魔物の群れを睨みつけた。その赤い瞳を閉じる。
――怖いのはみんな一緒だ。何かを守るためなら、どれだけ怖くても立ち向かわなくてはならない。何もできないままの私でいる方が怖いんだ。この力は、傷つけるためじゃなくて守るために。私だって、戦える。
エクレティオの街で言われた言葉、言った言葉が頭を巡った。
――覚悟を決めろ。今がその時なんだ!
しっかと目を見開いて、杖を前方にかざす。弧を描き、詠唱を始めた。
『星よ 煌めく星よ 空に眩く儚き星よ この手においで――』
杖の先に集まった黒い光が次第に矢の形を帯びていき、馬車を包む結界の内側を埋め尽くした。視界を奪われて驚いた馬が足を止める。衝撃でよろめくも、すぐに態勢を立て直し、魔法の展開に集中する。矢尻は全て結界の外側を向き、その全てが小刻みに震え出した。
動きを止めた馬車に、好機とばかりに魔物の群れが次々と突進してくる。大きな口を開け、その牙で結界を噛み砕こうとする魔物もいる。余りの猛攻に、ついに結界に亀裂が走る。
光の矢の準備は整った。後は最後の詠唱を続けるのみだ。しかし、ルミナスは言葉を続けない。その左腕を大きく開くと、黒い光が周辺の森を包み込む。道を照らしていたランプの光が飲み込まれて消える。完全な闇が辺りを覆い尽くした。魔物の群れは突然の光の消失に動きを止めた。
『さあ 弦は弾かれた 疾く疾く走り 閃光と化せ――!!』
最後の詠唱と共に、結界を埋め尽くしていた無数の黒い光の矢が解き放たれた。結界が甲高く音を響かせて弾ける。放たれた矢は四方八方、縦横無尽に魔物の群れを襲った。いくつもの苦痛の声と木々が倒れるような轟音が聞こえてくる。生き残った魔物は暗闇でどこに逃げればいいのか分からず、散り散りに走った。
――逃がさない!
魔物の混沌とした様子が全て見えていたルミナスは荷台を降りて、さらに魔法の矢を展開する。ひたすら詠唱し、杖を振り続けた。――まだ、隠れている奴がいるかもしれない。やがて魔物の声や臭いが一切なくなっても、ルミナスは光の矢を射続けた。標的を失った矢は木々をなぎ倒し、泥混じりの飛沫を上げる。
「――ルミナス!」
自身の名が呼ばれて、はっとしたように攻撃をやめた。いつの間にかヘインズが御者台から降りて、馬車に手をついて立っている。娘を探すように、暗闇の中できょろきょろと周りの様子を窺っている。ルミナスが左手を天に掲げて手を振ると、森を覆っていた闇は薄らいで消えた。ランプに光が戻り、馬車の周辺が照らされた。
ヘインズはようやく戻った光に一安心し、改めて辺りを見渡すと、想像を絶する光景に思わず言葉を無くしてしまった。彼の恐ろしげな様子を見て、ルミナスも恐る恐ると周囲を見渡した。ランプの光の届く範囲にある木は全てへし折られ、地面にその残骸が横たわっている。馬車を中心とした、半径一キロメートルほどの木は軒並み倒れていた。
「え……」
――これを私がやったの……?
魔物の脅威は去ったが、ルミナスは自らが作り上げた破壊の光景に恐怖した。ようやく見えた黒い空から、彼女を責め立てるように冷たい雨が降り注いでいた。
 




