第二十六話 空白の玉座
かつての支配者を失い、新たな王を迎える玉座の間で、アルドはひとり、玉座の後方にある、ヴィルトリア王国の主神であるという神を模した彫刻を見ていた。
ルシフェルは王国の支配については、アルドに一任すると言って、魔王の迷宮を出ることはなかった。
彼女はこのところ、人間との戦いへの興味を失くしつつある。かつてアルドと共に、王国に、人間に復讐しようと手を差し伸べてきた気丈な少女は、自室でふさぎ込むようになりつつあった。
ルシフェルの傍で仕えているプリムは、アルドに抱かれている時でも、ルシフェルのことを教えようとはしなかった。二人の主人の間に仕える彼女に、自分の命令だけを強要することは気が進まず、アルドは深く事情を聞かずにいた――しかし。
「この玉座に座るべきは、本当は……」
アルドはルシフェルが玉座に座っている姿を想像する。しかし彼女はこの場所を訪れることはなかった。
立ち尽くしているうちに、シエナとマーリンが入ってくる。玉座の間の入り口から敷かれた赤い絨毯の上を、彼女たちは二人で並んで歩いてくると、玉座の前に立つアルドに深く一礼した。
「アルド様……おめでとうございます。今日からあなた様が、ヴィルトリアの支配者となられるのですね」
「……今までのどんな王よりも、覇気に満ちている。けれど、今は少し寂しそうに見えました」
「寂しい……なぜ、そんなことを思う?」
アルドの目を見れば、シエナにも、マーリンにも分かってしまう。
それだけ、彼と身体を合わせ、傍で見てきた。アルドの心の機微を気にしない瞬間など、彼女たちにはない。
「ルシフェル様のご体調が優れないことを、心配していらっしゃるのですか?」
「……何か、理由があるのなら。私たちも、ルシフェル様のために……」
「そうだな。あいつが何かを隠しているのなら、そろそろ聞くべきなんだろう。だが、俺がここでしたいことは別にある」
玉座などに興味はなかった。しかしこの国の王は不在であり、魔人将としてこの王宮を陥落させたアルドは、考えてもいなかったことだが、自ずと王の地位を得ていた。
人間を支配する、魔族の国。ヴィルトリア王国ではない――名を付けるとすれば、ルシフェリア。
その名を最初に思いつくほどには、アルドはルシフェルに感謝していた。彼女がいなければ、自分はこの場に立っていない、それを忘れる瞬間などない。
しかしルシフェルが自分を助けたことに、秘した理由があるのではないかと疑った日から、少しずつ、ほんの少しずつ、二人の道は分かたれてしまった。
敵対してなどいない、確固たる事実があるというのに、アルドには予感がしていた。
自分がこの国を支配し、長い治世を築く。それだけで終われるわけがない。
ルシフェルが、動く。彼女が何をするのか、アルドには分からない――近くにいても彼女の中に魔力が伝わらず、互いの心が見えなくなっていたからだ。
玉座を見るだけで、座ろうとせずにいるアルド。彼の背中を見ているだけでは耐えられず、シエナとマーリンが、そっと後ろから寄り添った。
「……どうした? 俺は、寂しいなんて思っていないぞ」
「そうであるとしても……私は、アルド様に玉座に座ってほしい。あなた様が王になられた姿を、真っ先に見せて欲しいのです」
「私も……アルド様のしもべだから。ずっとついていくことを、何度でも証明したい。あなたに傅きたい……」
「そうか……そうだな。俺も二人に、初めに見せるべきだな。俺がこの玉座に座っている姿を」
アルドは二人が見守る前で、玉座に座る。王冠も何もない、一人の将に過ぎない男が、王国の長い歴史の中で初めて玉座に座った。
シエナとマーリンは、主の姿を見ているうちに瞳を涙で潤ませる。そんな二人を、アルドは手招きした。
「もっと傍に来てくれ。俺たちは魔王の軍勢だ。何の気兼ねもなく、自由に振る舞えばいい。この部屋は、俺たちの領土なんだからな」
「……はい。アルド様がそうおっしゃるのであれば……」
「本当は、夜まで待っているつもりだった……でも、アルド様ならそう言ってくれると思った」
二人が玉座に座ったアルドに傅く。かつてアルドが勇者として国王に謁見したその広間は、今は魔人将とその副官、そして魔法使いが、互いの繋がりを確かめるための場所に変わっていた。
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