第二十二話 魔に堕ちる賢者
まだ意識の戻らないマーリンを抱え、アルドは彼女を尋問部屋に連れていく。
プリムたち悪魔大公ですら、その部屋に入れば一週間は正気に戻れそうにない、と恐れている部屋――そこにはありとあらゆる尋問道具が置かれている。
マーリンに対して使うと決めていたわけではないが、アルドは自分に泥水を啜る苦さを味わわせた彼女を、今は無力化したからといって許すつもりはなかった。
シエナは鎧を外したあと、レオタードのような鎧下だけを身につけ、尋問を補佐するために控えていた。
「シエナ、マーリンの身体を拘束しておけ。魔力が枯渇した相手には、うってつけの拷問がある」
「は、はい……かしこまりました、アルド様」
シエナは従順に従い、マーリンの手と足を縛る。アルドは軽々と小柄なマーリンの身体を持ち上げると、ベッドに座らせ、彼女の前でパチンと指を鳴らした。
「ん……こ、これは……一体、何を……っ、この、下等種っ……!」
「まだ強がれるのか。魔力が欲しくて仕方ないんだろう?」
「そんな……こと……くっ……うぅ……あぁぁ……っ!」
魔力という言葉は、今のマーリンにとっては耐え難く甘美な響きを持って聞こえる。エルフの長い耳に染み渡り、彼女の心まで染み透る甘い毒。
(欲しい……魔力が……使い過ぎさえしなければ、こんなことには……でも、そうしなければ私は死んでた……勇者……いえ、魔人将アルド……どんな方法で、これほどの力を……っ)
まともに思考することもやっとの状態で、マーリンは全身を紅潮させ、身につけた服は汗で濡れている。息は荒く、どれだけ呼吸をしても息苦しさが消えない。
「……まるで犬のようじゃないか。俺を亡き者にしようとした賢者が、そんな姿を見せていいのか?」
アルドは言いながら、自分の手に魔力を集約させ、その雫をマーリンの前に差し出す。しかし雫は決して落ちることはない――液体ではなく、アルドの意のままに動かせる、彼の魔力の結晶だからだ。
「あ……あぁっ……そんな……どうして意地悪するのっ……!」
「勘違いするな。おまえは俺に負けたんだ……魔力が枯れて気が狂いそうなんだろう? それなら、敗者に相応の態度があるだろう」
「……私は……私は、敗者なんかじゃ……うぅぅっ……!」
涙ぐみながら、マーリンはアルドの魔力を渇望する。彼を迷宮の奥底に封じ込めることに何の感慨も無く、彼が魔王と手を組んでも勝てると思っていたことを、マーリンは初めて後悔していた。
苛烈な責めを加えているわけでもない。魔力を与えるか否か、焦らしているだけ。しかしそれがマーリンにとっては耐えがたいことなのだと、シエナには見ていればわかった。エルフという種族にとって、魔力はそれほど重要なものなのだ。
(あんなにお預けをされたら、私ならもう……アルド様、あんなに素敵なお顔をされて……待ち望んでいたのですね、彼女を裁く時を)
「さあ、懇願しろ。魔力が欲しければ、俺に許しを請い、忠誠を誓え。眷属となれば俺の魔力を分けてやれるぞ」
「っ……誓う……誓いますからっ……今までのことは全部、謝ります……っ、だから、アルド様の魔力を、魔力をくださいっ……!」
アルドは賢者の心が折れるところを心ゆくまで見届けたあと、マーリンに口を開けさせ、魔力の雫を垂らす。彼女の白い喉が動き、魔力が飲み下される――次の瞬間、壮絶なまでの、全身を燃やすような感覚がマーリンを包み込んだ。
「あ……あぁぁっ……!」
賢者は魔に堕ち、アルドの眷属となった。マーリンの全身に広がるのは鮮烈な闇の魔力の味と、自分より強い者によって屈服することの喜びだった。
「……アルド様……もっと……もっと、魔力をください……そうすれば私は、あなたのために何でも……」
「もう十分魔力は回復しただろう? これ以上は欲しがりすぎだ。俺のために働いて功績を上げたら、恵んでやらないこともないがな」
「……功績……アルド様のために……そのためなら、何でもできます……」
「二度と裏切るなよ。おまえの結界は、破るのに骨が折れた。ルシフェルも、蓄積した魔力をほとんど……」
消耗した、と言いかけて、アルドは思う。
ルシフェルと出会ってから迷宮を出るまで。結界を破るための魔力を破界陣に蓄積するために、アルドは幾度となく彼女とともに魔力を練った。
――それを、ルシフェルはどう思っているのだろう。復讐のために必要なことだと割り切っていただけで、情を移してなどいなかったのか。それをアルドは確かめられていない。
魔王であるルシフェルを、女性として意識しすぎることをアルドは忌避していた。それは彼なりのルシフェルへの敬意の表現だったが、それは本当に、自分の本心から望んでいることなのか。
初めてルシフェルに会ったときから、その瞳に魅入られ、惹かれていたのではないのか。
(復讐を終えるまでは、俺とルシフェルは協力関係にある。だが、それを終えた後も、俺は彼女と……そう思っているのは、俺だけなのか。それとも……)
「アルド様……?」
「……いや。シエナ、お前とも魔力を練る。これから俺の寝室に来い」
「は、はいっ……かしこまりました……」
マーリンは拘束を解かれるが、立ちあがることはできない。彼女はベッドに横たわったまま、アルドと共に部屋を出ていくシエナを羨むように見つめていた。