第十三話 それぞれの思惑
三人の悪魔大公とともに魔力を練り上げる時間以外は、アルドは自らの新しく得た能力を使いこなし、引き出すことに費やした。
第八層にある広間に防御結界を張り、剣士であったときには使用することのなかった破壊魔法の修練を積むことがまずひとつ。彼の魔法はルシフェルには及ばないが、元人間であったとは思えないと、プリムたちを驚嘆させるほどの威力に達した。
ルシフェルが召喚したスケルトンの一軍を容易に吹き飛ばせるようになったアルドは、人間を薙ぎ払うためにはまだ足りないと考え、千体のスケルトンを一度に破壊できるまで、魔法の威力を磨き上げることを目標とした。魔獣の骨を媒介にしてスケルトンは無尽蔵に近く召喚できるため、集団戦の修練の相手に適していた。
他には魔眼の力で階層全体の状況を把握する修練を積み、その果てに別の階層まで見通せる視力を手に入れた。ルシフェルは、魔眼の力を使いこなせば世界の果てまでを見ることができるというが、アルドはまず迷宮全てを見通せるように修練を続けた。そうすることで、結界を破った後で迷宮に侵入してくる者を見定めることができるし、各階層の魔物に的確な指示を出すこともできる。
魔人将という称号の『将』の部分は決して飾りではなく、アルドは魔王軍の総指揮官として、人間との戦いに向けての魔物たちの訓練にも多くの時間を使った。
元は知能を持たず、闘争と略奪の本能に従うだけのミノタウロスなどの鬼たちに、アルドは簡単な指示に従うだけの調練を施し、魔法を使う魔物と陣形を組むことを可能とした。集団戦を得意とする王国騎士団と戦うためには、兵たちを将の手足として動かせるようにすることは、最低限必要な条件であったからだ。
アルドが単騎で王国軍を圧倒することも難しくはない。シエナ、マーリンといった強者に好きに立ち回らせないこと、可能ならば二人を屈服させること――それを成すことは、リガントへの復讐への障害が消えることを意味していた。
◆◇◆
そして、結界が破られる日はルシフェルが想定していたよりもずっと早く訪れた。
悪魔大公の信を得たことで、アルドは予想よりも早く、マーリンの結界を破るために必要な魔力を蓄え、それをルシフェルに託した。
迷宮で過ごした密度の濃い時間を通して、アルドの容姿には変化が生じていた。魔人になったばかりの頃は青白かった肌は、魔眼の扱いに慣れるほどに身体が順応していき、浅黒くなって血色も良くなっていった。筋肉質ながら少年のようだったアルドが日に日に成熟した男に変わっていくところを、ルシフェルは興味深く見守っていた。
彼女はアルドの盟友のようで、悪魔大公たちが恋人のようだと形容するほど、距離を狭めることもある。しかしルシフェルの心のすべては、アルドには測りきれなかった。
『復讐を果たしたあとのことは、その時に考えればいい。ボクは君を束縛しないし、君に縛られることもまたない。そういう契約だよ』
ルシフェルに生かされたアルドは、彼女に途方もない恩義を感じていた。彼女も憎からずアルドを想ってくれていると思える節はあるのに、ルシフェルは平気で一週間もアルドの前に姿を現さず、顔を合わせても事務的なやりとりしかしないことがある。
彼女の機嫌を損ねる心当たりがあるとすれば、ルシフェルに会わない間、アルドが夜の多くを悪魔大公たちと過ごしていることだろう。
『何も遠慮することはないよ。ボクはボクでするべきことをするから、君は必要な魔力を練ってくれればいい』
ルシフェルは微笑んでそう言い、アルドはその言葉に従った。しかし思い出したようにルシフェルはアルドの部屋を訪ねると、自ら彼と『練成』を行うこともある。
その相性の良さは、悪魔大公たちとどれだけ練成を重ねても、及ぶものではなかった。アルドはルシフェルが気まぐれに練成をしに自分の部屋を訪れることを、いつしか期待してしまうようになった。
(俺の心は、魔王に惹かれている。しかし何より優先すべきは、復讐だ。決して忘れるな、リガントがしたことを)
アルドは何度も自分をそう律しながら、執念深く、慎重に、結界を破ったあとに王国を蹂躙する計画を練り始めていた。
◆◇◆
アルドが迷宮の深淵に消え、未帰還となってから半年後。
ヴィルトリア王国の大将軍リガント=ファラニースは、賢者マーリンを魔王の迷宮まで護衛し、マーリンは勇者と刺し違えた魔王ルシフェルを、結界によって封印したということになっていた。
アルドは死して英雄となり、彼が娶るはずだったシエナはまだ幼い王子と婚約して、当面は魔王軍の残軍の掃討に臨むこととなった。繁殖力の強いゴブリン、オークなどは、魔王の迷宮が封印されても、地上から完全に消えることはなかったからだ。
シエナは父リガントから与えられた『宝剣ローゼングラム』と呼ばれる大剣を操り、豊穣の女神のような豊かな肢体を鎧に包み、その美貌に感情を表すことなく、冷徹なまでに無慈悲に剣を振るい、魔物たちを血祭りに上げていった。その姿からシエナは『氷花の騎士』と呼ばれるようになった。
彼女は地上で魔王軍を率いていた悪魔大公ティールと戦い、砦から退却させた。その勲功によって名実ともに騎士団最強と呼ばれるようになった彼女は、各地を転戦し続け、次々に魔物の支配から人々を解き放っていった。
勇者アルドに憧れを抱いていたシエナは、封印された魔王を未だに憎み、その復讐心によって地上に残った魔物たちを根絶やしにしようとしている。リガントは騎士団に流れるそのような噂を聞いて、満足そうに笑ったという。
魔王軍によって奪われた領地をほとんど取り戻したあと、シエナは父リガントに呼び出され、王宮に用意された大将軍の間を訪れた。
リガントの権勢は、すでに貴族を凌ぐほどになっており、国王と直接談話ができるほどになっていた。
だが、シエナはそのようなことにはまるで興味はない。光の薄れた瞳で、今日も銀の鎧を身に着け、金色の長い髪に黒いリボンを編み込んで、一つの三つ編みにしている。それは戦いに臨む際の、常に変わらぬ装いだった。
「大将軍閣下、次はどの村に赴き、魔物どもを討滅すればよいのでしょうか」
「シエナ、お前はもう前線の任務からは退かせる。聖騎士としてではなく、次期国王である王子の妻として、後宮に入るがいい」
「恐れながら申し上げます。魔王を封印したとはいえ、私の力は魔王軍の残党を打ち払うには必要不可欠のはず。このローゼングラムをもってすれば、残りの領地もすぐに取り返せるでしょう。出撃命令をお与えください」
リガントは内心で舌打ちをする。賢者マーリンの悪癖が出て、シエナは忠実な駒にはならず、魔物を殺すことに異常な執着を見せるようになっていた。
その虚ろな目を見ていると、リガントは我が娘ながら恐ろしく思える。リガントはシエナに出頭時は貴族令嬢のように華やかな服装をするように命じたが、シエナはその言いつけを全く無視して、鎧を身に着けてきたのだ。
娘が女としての自分を尊重しなくなったのは、自分の計略によるものだとリガントは理解している。だが、シエナをこのように変えたマーリンに責任があると考え、自分に責任があるなどとは、欠片も考えていなかった。
「……良かろう。今しばらくは、手勢を連れて魔王軍を掃討する任務を与える。だが、近いうちに必ず後宮には入ってもらうぞ。王子殿下が幼いうちから、覚えを良くしておく必要がある」
「かしこまりました、父上。それでは兵をまとめ、明日には出陣いたします」
娘がわずかに浮かべた微笑みを見たリガントは、シエナが前線を退く気などさらさらないことを悟っていた――だが、止める気ももはやなかった。
聖騎士である彼の娘が、アルドのいない騎士団において最高の剣士であることは、自他ともに認める事実であるからだ。