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第十二話 熱情

 アルドはナイトメアを乗りこなすには苦労させられるものと思っていたが、暴れ馬ということもなく、アルドの指示を即座に理解し、従順に言うことを聞いた。


「俺の考えてることがよくわかるな。まだ合図も決めてないだろうに」


『知恵持つ我には、調教などは必要ない。そなたの考えていることはだいたい分かる』


 アルドは笑うと、ナイトメアの首元を軽く叩いた。ナイトメアは速度を緩め、エキドナの前まで歩いていき、アルドを降ろす。


「気の合う主人を得られて、メアも喜んでいるようです。あんなにはしゃいでいたのは久しぶりですわ」

『余計なことは言わずともよい。アルドよ、早めに鞍を作らせ、我のもとに持ってこい』

「ああ、そうだな。今後もよろしく頼むぞ、メア」


 巨馬は言葉の代わりに、アルドに向かって首を垂れた。エキドナから櫛を渡される――それで理解したアルドは、黒馬のたてがみに櫛を通してやった。


『うむ……存外にうまいな。エキドナのほかには、ルシフェル様にしか触れさせたことはないのだが……』


 毅然とした口調だった黒馬が、心地よさそうにしている。そのつぶらな瞳を見ながら、アルドはこの馬がただ強いだけでなく、今まで見たどの馬よりも美しい姿をしていると感じていた。


 ◆◇◆


 魔族は食事を必要としないが、ルシフェルはアルドと悪魔大公たちの同席する夕食の場に現れた。


「アルドとの顔合わせは終わったようだね。完全に打ち解けたとはいかないようだけど」

「アラクネはそうかもしれませんが、私はアルド殿に心服しておりますわ。彼は私の姉妹といえるメアを、すぐに懐かせてしまいましたから」


 濃い紫の柔らかく巻いた髪を撫でつけながら、エキドナが言う。彼女は夕食の場に出るときには着替えてきていて、淑女らしい彼女によく似合うドレスを身に着けていた。


 アラクネはエキドナと比べると控えめな胸を気にしているようだったが、細くしなやかな手足を際立たせる、袖のない服を着ている。時折グラスを持ち上げるときに腋から胸のふくらみのふもとまでが見えるが、彼女の隣に座っているアルドは、極力それを気にしないように振る舞っていた。


 そんな彼を横目で見やってから、アラクネはふっと笑って言う。エキドナはそれを見て不思議そうにするが、ルシフェルはアラクネの意図を察して楽しそうに眺める。


「エキドナに私とアルド殿の何がわかるというの? 私は彼の剣をこの体の中で魔剣に変えて、その手で胸から引き抜いてもらったのよ」

「そ、そうなのですか? それは……アルド殿、アラクネのように気性の激しい女性の胸に手を入れるなんて……」

「自分から抜いてくれと言われたからな。面白い経験をさせてもらったよ」


 アルドは特に他意なく答えるが、アラクネは頬を赤らめ、エキドナも何と言っていいのか、と視線をさまよわせる。


 ルシフェルはグラスに口をつけて一口飲むと、深紅の酒を揺らしながら言う。


「君たちは、これから密度の濃い時間を共に過ごすことになるわけだからね。地上にいるティールをいちはやく迎えに行き、王国を攻める日が一日でも早まるよう、頑張って励むんだよ」


 何でもないことのように彼女は言う。そのことにアルドは引っ掛かりを覚えるが、それを口に出すことは憚られた。


 結界を破るためには、莫大な魔力が必要だ。魔王である彼女は、人間を滅ぼすために必要なことならば、どんなことでも躊躇せず実行する。


 アルドと悪魔大公たちが何をしようと、それが必要なことであるならば、彼女は咎めず、いたずらに関心を示すこともない。ただ「励め」と言うだけで。


(……俺もそうあるべきだ。一刻も早く、リガントを権力の座から引きずり下ろす。全ての迷いを捨てて、ただ一心にそれだけを考えよう)


 アルドのまとう空気が変わる。それを感じ取った悪魔大公たちは、彼に対してまともに視線を向けられず、緊張しきっている。


「……なかなかいい顔をするじゃないか。僕が見込んだだけはある。でも、あまりみんなを怖がらせないようにね」

「っ……ルシフェル様、どちらへ? 」


 グラスを半分も空けずに、ルシフェルは席を立つ。プリムは追いかけていくが、ルシフェルはそのまま自室に戻ったようだった。


 ルシフェルがどんな意図で自分たちを残していったのか。アルドはそれを察せないほど鈍くはなかった。


「……アルド様、もうお食事の方はよろしいのですか?」

「ああ、少し待ってくれるか」


 プリムの部下であり、侍女を務めている魔族がおずおずと問いかけてくる。アルドは会話に気を取られて手をつけていなかった肉料理を口に運ぶ。


 悪魔大公たちは男のアルドからすると、食べていないも同然の小食ぶりだったが、それが日常のようだった。彼女たちは席を立つと、二人連れ立ってアルドに近づく。


 彼女たちは緊張しきった様子で、互いに遠慮しているようだったが、年長に見えるエキドナが代表して言った。


「アルド様……食事が終わりましたら、湯殿でお待ちください。プリムも連れて、三人で参りますので」


 エキドナの頬は赤らんでいるが、声が震えていたりはしない。しかしアラクネは耳まで赤くなり、白い髪をしきりにいじり続け、紅の瞳が潤んでいる。


 彼女たちもまた並々ならぬことながら、それでも務めを果たそうとしている。


「あまり怖がることはない。なにも、取って食ったりはしないさ」

「……そ、そうではなくて、今日から自分たちが変わってしまうことが……」

「アラクネ、何も変わったりはしないわ……いえ。変わるけれど、それはきっと私たちにとって必要なことよ」


 アルドの心には、まだシエナの姿がある。彼女はマーリンの催眠によって操られたまま、地上に残った魔王軍の掃討に当たっているだろう。


 ――一秒でも早く、取り返す。操られたシエナが敵になるとしても、そんなことは関係ない。


 リガントから娘であるシエナを含め、全てを奪い尽くす。そのために、アルドは目の前の悪魔大公たちを利用する。


「地上に出るには、途方もない魔力が必要になる。お前たちと共に力を練り上げ、それを全て貰い受けるぞ」

「……はい。そしてルシフェル様に魔力を捧げ、一刻も早く結界を破りましょう」


 ルシフェルを部屋まで送り、戻ってきたプリムが姿を見せる。アラクネとエキドナはどんな話をしていたのかを語らず、ただプリムに微笑みかけた。


 ◆◇◆


 湯殿といっても、洞窟の天然の地形に湧き出した湯が溜まって、自然に風呂の姿となっただけのものだが、それがどうして風情のある空間を作り出していた。


 アルドは魔法を使って湯を持ち上げ、頭から浴びた。不定形のものを操ることは人間であったころはしてこなかったが、魔眼を手に入れた今は、魔法を使った新たな試みをしても成功するという確信があった。


 ――この力があれば、マーリンに正面から対抗できる。


 自分を策略に嵌めたエルフの女賢者を屈服させるには、最も得意とする分野で敗北を認めさせなければならない。アルドは剣だけでなく、魔法の腕を限界まで磨きぬくことを決意していた。


 顔にかかる髪をかきあげると、左目の魔眼が露わになる。初めは違和感があったが、もはやそれは完全にアルドの一部となっていた。


 そして、誰かが湯殿に入ってきた気配がする。アルドはそちらを見ることはせず、湯船にざぶざぶと入っていく。


 湯船に入る前に、悪魔大公たちが湯を浴びる。やがて水音が途絶え、三人が入ってくる――そこで、アルドは振り返った。


 熱い湯から立ち上る白いもやの中に、三人分の姿が浮かび上がる。


 三人の魔力は魔族の中では群を抜くものであっても、アルドと比べれば半分にも満たない。しかし練成を行えば、大きく増幅されるはずだった。



 湯殿の様子を、自室のベッドに腰かけながら、ルシフェルは幻像として映し出して見つめていた。焦がれる胸を押さえ、しっとりと汗をかき、黒髪を首筋に張り付かせながら。


「……男っていうのは、こんなに……」


 短い期間で、心の持ちようを変えるものなのか。


 ルシフェルはアルドの姿を見つめ、理解することのできない感情を持て余しながら、それでも幻像を消すことができずにいた。


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