ポンコツがやってきた!
「うぅ……さぶさぶ」
「ただいま……です」
結局。今日もこれといった収穫は得られず、大切な時間を浪費して記憶屋を巡っただけになってしまった。しかも今日は嫌な感じの風が吹いていて時間が暮れてくるにつれて、気温は急激に下がってくるし……という訳は今日は早めに切り上げてきた。
お店兼居候先に帰ってくると、相変わらずお店は繁盛していた。アメリアさんは俺とティリアは見つけるとちょっと怪訝な顔をする。
「なんだ。今日は早いな。ガキ共」
「風が強い上にガンガン気温が下がってくるもんだから早めに切り上げてきました」
「お店の中あったかいですねー。ふぅ~」
ティリアが一息付きながらあまりお気に召していないコートを脱ぎ出す。あまりバサバサするとアメリアさんに怒られるので、あくまで静かにだ。
「今日も大繁盛ですね。そうだ。今日はちょっと早いですし、俺らなんか手伝いましょうか?」
「え……! 兄様。私はもう疲れました……」
おいおい何を言い出すんだこの妹めは……。
やはりティリアはもうちょっと体力をつけなきゃならんかもな……。という妹の体力問題はさておき、さすがにこの繁盛っぷりの中をオーダー、調理、運びを全て一人で切り盛りしてるのが凄すぎる。まぁ、だいたいこの店に理解のある常連さんばかりでアメリアさんの料理ならちょっと待ったって喜んで食べたいくらいなので、お客達の気持ちも分かる。
「いや、手伝いは良い。さすがに時間外労働をさせるのもどうかと思うしな」
アメリアさんは時間に厳しい。だから手伝いや飯の時間に遅れるとものすごく怒られるし、問答無用で飯抜きにされるが、アメリアさんが特に厳しいのが俺達の労働時間だった。
ティリアはまだしも、体力が有り余っている俺としてはもうちょっと労働時間を増やしてもらっても大丈夫なのだが、それはアメリアさんが断固して許さなかった。
アメリアさん曰く『大人になれば嫌でも働くことになるんだから、今の内にできることをやっておけ』だという。ほんと、良い人だなぁ……。
「……大丈夫ですか?」
俺が心配そうに尋ねるとアメリアさんはフライパンをかっこよく振り、中の調理中の料理をかき混ぜ、皿に綺麗に盛り付けると、俺の方を振り返って言った。
「バーカ。何年一人でこの店やってると思うんだよ。いいから、夕食まで上行ってろ。あ、それから……あとで話がある」
「話……ですか?」
「兄様。先に部屋行ってますね」
妹はどこまでも自由だった。いや、せめてアメリアさんとの会話終わるまで待てよ。
しかしアメリアさんとの会話の途中でそう突っ込むわけにも行かず、店の奥へ引っ込んでいく妹の背中を睨みつつ、アメリアさんに視線を戻した。
「まぁ、ティリアの方にはあんまかんねーねぇからあいつはほっとけ。大変になるのは主にお前の方だ」
「うへぇー……。面倒事のヨカン」
「アホか。もうお前はそれ以上の面倒事に首を突っ込んでる。妹の記憶を探すっていう。な」
アメリアさんは出来上がった料理を片手に、そしてもう片方の手で酒の入ったジョッキを一気に3つも持つと、客席の方へ行ってしまった。
「面倒事……か。確かにそうだ」
俺は、一人。自嘲気味に笑った。
この世界……いや、巨大都市メルトゥスを中心としたこの巨大大陸は実に平和な物だった。
それまでの平穏を脅かす歴史的な大災害も。
人々を恐怖に陥れる殺人鬼も。
無差別に人を喰らう獣も。
そんな物が一切と言って良いほど存在しなかった。
しかし、その中に"少女の記憶が奪われた"なんて事案が発生したら? 人々はそれを信じるだろうか?
無論。答えは、否だ。
人々は認めない。この平和な世界が崩れることをを。
人々は恐る。この平和な成果に明確な"悪意"が存在することを。
だが、人という意思を持った生物が居る限り……その感情は確実に存在する。
しかし……人々の中でこう言った平和なぬるま湯に使った感じがある限り変に"記憶が奪われた"と言いまわすと有益な情報より面倒事の方が降りかかってきそうなので、このことは俺達兄妹とアメリアさんと、あの幼い情報屋しか知らない。
――だからもう、十分に面倒事なのだ。
俺が呆然と自室のベッドでそんなことを考えていると、コンコンという控えめなノックの音がした。
「兄様。私です。ティリアです。あなたの妹です」
「あ、うん。そんなに主張しなくていいから……入ってこいよ」
「めんどいのでそこまでは……ここでいいです。そろそろご飯の時間ですよ? あ、いりませんか。そうですよね。ではアメリアさんお手製のお夕食は兄様の分まで私が美味しくいただきます。失礼しました」
「ちょっと待ったああああああああああああああ!!」
珍しく饒舌になったかと思うと、次々と言葉をまくし立てて勝手に夕飯食べないという最悪な認識をされた上に勝手に納得されて、今まさに勝手に扉を閉められようとしているこの状況は何なのか!?
俺はベッドから飛び起きると、神がかり的な速さで|(部屋がそこまで広くないせいもあるが)出入り口に走ると、あと数センチで閉まる所だった扉の微妙なスペースに容赦なく手をすべり込ませる。
だがそこにさらに容赦なく扉が閉められていき……。
「痛い痛い痛いいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「兄様……!? まさか、悦んでいる……!?」
「んなわけねーよ! いいからさっさろ扉開けろ!」
勢いよく滑り込んだせいで両手を扉に挟まれてしまったので自力で開けることができない俺だった。
「はぁ……しょうがないですね。ご飯。行きますよ」
扉から解放された手がだらん……と宙にぶら下がる。うおおお! 痛い! 超痛い!!
「呼びに来てくれたのは嬉しいけどもっと優しく……ね?」
屈んで両手を労わりつつも、上目遣いで妹様にお願いするけど、見えたのは妹の背中……ええ……。
「ごっはーん。ごっはーん」
ティリアはご機嫌な様子でスキップなんかしていらっしゃる。 俺もスキップ……いや、普通に行こう。手、痛いし。
手痛くても何が何でもアメリアさんのご飯は食べないと損した気分になるしな。
店のちょっと奥まった所にある小ぢんまりとした食卓にはもう既に夕食が並んでいた。今日も美味しそうだ。
するとアメリアさんがわざわざ店の方からこっちに引っ込んできて、忙しい様子を消さないまま早口で言った。
「食いながらでいい。手短に話すから聞いてくれ」
「いや、それくらいなら待ってますよ」
「いただきまーす。……ずずっ、ん! このスープ絶品です!」
ちょ、俺気を使ったのに何でスープ飲んでるの!? 嗚呼……でも今日みたいな寒い日には確かにそういうスープ良いよなぁ……。
「ありがとうよ。ティリア。じゃあ、ユクルだけで良い聞いてくれ。明日から新しく働く奴が来ることになった」
「え!?」
「名前はシリル・ミュー。15歳の女。労働内容はほぼお前らと同じだが働く時間は朝・昼・夜。休憩あり。まかないあり。労働時間に例外あり。指導、世話なんかはお前に一任する以上! 質問は!?」
「あ、ありません!」
あまりにも早口で言われてしまった為勢いで「ない!」と答えてしまった。
「よーし! じゃあ飯食ったら夜の分の手伝いな! じゃあよろしく! おかわりはいつもどうりテキトーに!」
うわぁ……嵐のような速さで店に戻っていった。早く食べて手伝おう……。
俺は手を合わせていただきます。と言うと、スープを一口、飲み込む。
確かに、うまい。
「う、うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!?? 男!? 男いるじゃねーかオイ!」
そう言った少女は、俺の顔を見るなり飛び退き、後ろのテーブルと椅子に突っ込んでいった……。
ガッシャーン! と盛大な音を撒き散らしてテーブルと椅子をひっくり返すと。たっぷり数分ほどしてからふらふらと立ち上がった。途中アメリアさんから「うっせーぞ! あとちゃんと直せ!!」という怒声が聞こえた気がしたが、俺は目の前のこの少女から目が離せなかった。
「ううううぅぅぅぅ! まさか労働初日からこんなハメに……。おい男! なんでてめーここにいるんだ!? まだ開店前だぞ! オイ!」
ビシィ! と指を突きつけられる。気の強そうな彼女はティリアよりも俺の方が年が近そうだったが、いかんせん言動のせいで未だ頭の中が「???」だらけだ。
朝。いつも通り朝食前の労働に駆り出そうと思い、フロアに出たらさっきの「う、うおおおお|(以下略)」である。なんだこれ。
「なんでって……俺はここの家主。アメリアさんにお世話になっていて、衣食住を提供してもらう代わりに労働させてもらってるんだ」
「ぶえぇぇぇぇ!? 聞いてねぇ! 聞いてねぇよ! 店長さん!? オイ!」
キッチンで仕込みをやっているアメリアさんに少女が叫ぶと、「そりゃ言ってねーからな」と気のない返事が返ってくる。
「おい、新人。その語尾の"オイ!"ってイラッとするからヤメロ」
アメリアさん怖っ!
キッチンからそんなドスを利かせた声で言うのやめてほしい。俺が怒られた訳じゃないのに思わず震え上がったわ。
「す、すんません! オイ! ……あ」
アホかこいつ。
「すみません。オイ!さんそのテーブルを直してもらっても?」
するとテーブル拭きをしていたティリアがやってくる。
「オイ!って名前じゃねー……おお! 可愛い店員さん!」
「え、何。何でティリアにはその反応」
この格差社会には納得できない。
まぁ、俺の妹は可愛いが。いや、これ結局は納得してないか?
「すんませんすんません! すぐテーブルと椅子直すぜー!」
「どうもどうも……です」
そそくさとテーブルと椅子を直すと。気持ち悪い笑顔を見せるオイ……じゃない新人さん。
「アメリアさん……まさか、この子が昨日言ってた?」
アメリアさんは、恐るべきその言葉を口にする。
「ああ……。今日から働く、シリル・ミューだ」
「うおおぉぉぉ! 男! そういえば男が居たんだった! シリルの5億メートル以内には入らないでほしいぞコノヤロー!」
激しく……不安だ。