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走る兄弟

作者: バクガワ

 兄貴の走るリズムがはやくなった。

後ろを走るおれの息は白い。兄貴の背中に向けて吐き出すのに決して兄の黒いkaepaのジャージには届かなかった。


 母の葬式が終わった日の夜、兄貴とおれは近所を走り始めた。どちらが誘ったのかすら覚えてないが、おれが白のポロシャツで、兄貴が中学校の指定のワイシャツだったことだけは今でも鮮明に覚えている。2km先の森林公園の入り口まで来たとき、三日月はおれ達のずっと上で笑ってるように輝いていた。

 春だったが夜はまだ寒く、汗だくで帰ってきたおれ達を見て、親父は

「風呂、沸いてるぞ」とだけ、言った。

 その日から、毎夜、二人で走ることになった。どちらが言うわけでもなく自然と飯食って風呂はいる前に森林公園まで走ることが日課になった。


 おれが中学にあがり、不良と呼ばれる友達と関わり始めた頃、親に内緒でタバコや酒を飲んで、友達の家に泊まりこみ、数日走らなかったことがある。兄貴は皆が寝静まった夜遅く友達の家に侵入してきて、おれをしこたまぶん殴った。友達は何が起こったのかわからない様子で呆然とおれ達兄弟を見守っていた。外の明かりが青く窓から差し込んでいたとはいえ十分暗かったのに、どうやっておれを見つけたのか不思議だった。

何も言わず顔を近づけてきた兄貴の目を見たとき、なんとなく畳の上に転がっていた酒の空き瓶やお菓子の袋や灰皿につまれたタバコの吸殻が小さくなった気がした。

兄貴は鼻で笑って部屋から出て行った。

痛いのと笑われたのと、兄貴が出て行くまで何もできなかった自分に腹がたって兄貴を追って外に飛び出した。

兄貴はすでに走り始めていた。

絶対にとっ捕まえてぶん殴ってやろうと必死で走ったが、兄貴の後姿は小さくなるばかりで森林公園まで着いたときには全身から汗が流れて、おれは砂利道に仰向けに倒れた。

倒れたおれの額に冷たいポカリを乗せて、兄貴は

「帰って風呂はいろ」と、黄色い月に向かって言った。

砂利が痛いのと、近くの農家から来る牛糞の匂いとで誰に怒ってたんだかわからなくなって早く帰ろうと立ち上がると、それまで気づかなかったせみの声が妙にやかましくなった。

次の日から兄貴のあとを追って、また走り始めた。


 それは兄貴が陸上の選手として九州の大学に行くまで続いた。


兄貴が九州に行く前の日、親父は喜んですしの出前を取り、大して食わないまま酔っ払って寝た。

夜、二人で走ったあとの帰り道、将来やりたいことも決まらずもんもんとしていたおれに兄貴は

「まぁ、ゆっくり考えりゃいいんじゃねーか」と、舘ひろしのものまねをしながら言ったが全く誰のものまねだかわからなかった。

おれも柴田恭兵のものまねをしたが兄貴の頭の上にはハテナマークがついていた。

その後、中村トオルや、浅野温子のものまねなど二人だけのものまね大会をして帰ったが

結局、「全然似てねーよ!」と大喧嘩して帰ると、うるさくて起きた親父が繰り出した桑田佳祐のものまねがあまりにも完成されすぎてて二人とも黙るほかなかった。


 おれはそのあと、とりあえず漫画家になるとか言って専門学校に行くために上京したが、案の定、漫画家の夢は簡単ではなく卒業したあと就いたアシスタントの仕事も馘になり、同棲していた彼女も実家に帰り、おれはふてくされて腐っていた。

九州の会社に就職していた兄貴が出張でたまたま東京に来てるから中華でも食わねーか、という誘いも電話越しにむげに断った。

夜になり、ドンドンとドアが壊れそうなくらい叩く音がして出てみると兄貴が雨の降る中、傘もささずに立っていた。

強引にドアをこじ開けられ、ランニングシャツの襟首をつかまれ引きずられるように外に出た。

兄貴は一言

「走るぞ」と言った。

ズボンもはいてないおれはあわてて部屋の中に戻ろうとしたが兄貴の引き締まった腕はそれを許してはくれなかった。

雨の降る夜中、二子玉川の土手を、スーツのスラックスにワイシャツ姿の革靴男とランニングにトランクス姿のビーサン男が走っていたら誰だって怪しむ。

もちろん、警察なんか特に。

自転車でカッパを着たその太めの警官も、おれ達を職務質問しようと

「止まってくださーい」と、言って止めた。おれ達は指示に従って走るのをやめた。

警官が自転車を降りようとしたとき、兄貴がなにを思ったのか自転車ごと警官を蹴り飛ばした。警官と自転車は面白いように土手を転がっていった。あっけにとられていたおれに兄貴は「逃げろ!!」と、叫んだ。

おれは全速力で走った。

兄貴の方が早かったがおれもビーサンを脱ぎ捨てて、足が痛いのを我慢して走った。

なりふりかまっていられなかった。

筋肉が悲鳴を上げた。

 どうして兄貴がそんなことをしたのか今でもわからないが、雨の中、おれはいろんなことがどうでもよくなっていった。雨があがり、空が白み始めた頃、兄貴は立ち止まり「帰ろう」と疲れた声で言った。

 通勤通学の人たちが、なんだあれ?とずぶぬれでドロだらけの俺たちを見ていたが全然気にならなかった、歩きながらおれは最近の自分のだめっぷりを話した。兄貴は笑って

「雨んなか、その格好で走れたらなんだってできるだろ」と、鼻をすすった。

そうかもなと、思ったおれは帰って着替えたあと、彼女の実家に結婚を申し込んだ。

 そのとき、彼女の腹にはおれの子がいた。


 もうすぐ、40を前に兄貴が遅めの結婚をする。おれは仕事の休みをもらって、嫁と二人の兄妹を見せに実家に帰った。親父は浮かれてすし屋の出前を取った。酔っ払い皆が寝静まった頃、兄貴は起きだして、ランニングシューズをはき外に出ると、おれが先に待っていた。

 月明かりが輝く田舎の砂利道を二人の中年が走っている。

 おれの吐く息は白い。 

 兄貴の走るリズムがはやくなった。

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