不必要の必要性
そして放課後。私はさっさと荷物を鞄の中に押し込んで、風のように本日知り合ったクラスメイトと挨拶を交わし、颯爽と席を立った。
もう、今日はお腹いっぱいなのだ。誰も構ってくれるな。
「お、柳瀬ちょうどいいところに。学級委員に渡す資料あるから職員室までよっ」
踵を返して走りだす。
「え」
「先生さようなら!」
なんだか視力が良くなる色が視界を横切った気がするけれども、それどころじゃない私は廊下をまっすぐ駆け抜ける。と、背後から伸びてきた腕にがしりと手を掴まれて前に突っ込みそこねた。
「ちょ、ちょ待った!連絡事項なんだって。今週中に提出しないといけない生徒会顧問からの調査書で…」
「知りません分かりません。後日宜しくお願い致します。」
「だから、待てって。もう帰るなら、職員室通り道だから」
「…寄るところがあるので」
「じゃあそのついででいいから」
「急ぎますので」
「すぐ終わる用事だから」
「…っ、私が早く帰らないと、泣く子がいるんですっ!」
居ないけど。兄妹2人に母の3人ぐらしで、父は短期出張中だし、親戚筋との付き合いは希薄だけど。
「お前、今寄るところがあるって言ったよな?」
「はい」
「でも帰るんだよな?」
「………かえります」
廊下の真ん中で困り顔のイケメン教師に手を掴まれたまま、向かい合う。しばしの間。
緑(仮)担任がにっこりと効果音がつきそうな顔で笑った。
「はい、1名様ご案内~」
「…!ちょ、ちょ、なんで私なんですか。委員長、委員長がいるからっ!」
「相川はもう呼んであるからなー。後は柳瀬連れて行くだけだってのに、なんでそんなに嫌がるのかね」
嫌に決まってんじゃん。もう、もう、通常日程1日目から学校生活が濃すぎてつらい。つい一月前まではただぼんやりと時間が過ぎるのを待っていれば私の存在なんかあったって無くたって誰も見向きせずに終わっていったのに。
これの所為かな。違和感の無さに、違和感がある。瞳と髪と。そろそろいいと思ったんだ。高校生になってまであれこれと『自分と違うもの』を騒ぎ立てるガキはいないだろうと。
「ほら、いくぞー」
しかも手、掴まれたままだし。不機嫌にその手を見下ろして、色々と面倒な方向に導くことが大好きな担任を見上げる。その顔が虚をつかれる程に柔らかで、優しげでなければ。名前さえ覚えていない教師の手なんて振り払えたのに、私はそのまま幼児の引率の体で職員室まで歩かされてしまった。
「ほい、これな。学期のはじめに生徒会役員と各学級委員との連絡会があるから。まぁ簡単にいえば顔合わせと業務分担の打ち合わせな。行事進行は委員会の方で先に話し合い済ませてるだろうから、後は選挙管理と部活動監査の振り分け。これな、うちの学校クラス数が多いから学級委員が兼任することになる。まー1年のうちはそうそう駆り出されることもないだろうけどな。ほらこれ、生徒会役員名簿と前年度までの業務実績と議会可決一覧。軽く目を通しておいてくれ」
ここ、第一職員室である。主要科目の専任教員と、各専門学科教員をまとめると膨大な数になってしまうらしく、職員室は2つに分かれている。そんなことはどうでもいい。職員室前で合流した相川くんの微笑みから何故か体に走る怖気を感じ取って、鳥肌の立った腕をさすりながら職員室に足を踏み入れた。
詐欺だ!わたしは職員室の中心でそう叫びたくなった。渡された書類を持つ手に思わず力が入って隅のほうがぐしゃってなった。おっと、いけない。でもさ、選挙管理と部活動監査ってなにそれ初耳。そこまで学級委員にさせる?ただでさえ決め事の際には矢面に立たなければいけない面倒なポジションなのに。
「なるほど。分かりました。それでは今週末までにこの内容に目を通しておけばいいのですね。精一杯励まさせていただきます」
清々しいほど軽やかにそう言い放った彼、相川くんだ。あぁ、そうでした。私の相方は百戦錬磨でした。パートナー(笑)のあまりの頼もしさに、胸に溜まった淀みがぱぁっと晴れた。そうだ。なにもわからない私が狼狽えたところでどうにもならないよね。君についていきます!
「おぉ、よろしく頼むよ。柳瀬もよろしくな」
「はい、頑張ります」
きりっとした顔で頷いでみせたけれど、心のなかの私は寝っ転がってお菓子をむさぼりながら、両手を叩いて委員長に頑張れ頑張れ言っている。しかし妄想の中の自分が激しく単なるおっさんである。
「それでは僕はこれで。部活の顧問の先生にも用事がありますので失礼します。柳瀬さん、またね」
「うん。またね」
まっすぐ伸びる背が遠い。私は、どう足掻いても相川くんみたいにはなれないだろうなぁ。なる気もないけど、自分のできないことをサラリとこなす彼を近くで見ていて何も感じないほど無感動な人間じゃない。
ぼうっと見送ったそれから、担任の方へ目を向けてそれじゃあ、と言いかけて止まる。
何がさがさやってんの、この人。
自席の机の引き出しを開けてごそごそとなにやら取り出そうとしている担任を首を傾げて待っているとほい、と手を伸ばして何かを差し出してきた。
小さい包み紙。
「飴ですか?」
「しーっ。一応職員室だからな。生徒への賄賂は禁止なの。ポケット入れとけ。」
「はぁ」
小さなそれをブレザーのポケットへとしまうと、担任は苦く笑った。
「ごめんな。柳瀬、こういう役割苦手なんだろ。確かに生徒がやらないといけないことだし、俺が指名した相川がわざわざ指名したものをどうこう言うのもおかしいしな。ただ、無理にやらせる形になってしまったことは、悪かったよ」
それでなんとか許してくれ。そういって口の前に人差し指を立ってしーっと幼子にやるような仕草をして
みせた。
「先生の」
「ん?」
そんなやっすい賄賂でなにを私はほだされたのか。よくわからないけれど、知らない人からモノをもらっちゃいけませんとは昔から言い聞かせられていることだし。
「先生のお名前って、なんでしたっけ」
「……おっまえなぁ、今更それ?最初に黒板に書いてまで自己紹介したんだけどな」
「ついうっかりです」
「まー、いいけど。碧月 大智だよ。覚えとけ!お前らの担任だからな。碧月先生、だ」
「覚えました」
2度もダメ押ししてくる様子が教師らしくなくて、近所の人のいいお兄ちゃんみたいで、おかしくなって少し笑う。教師なんて、信用ならないけど。ちょっとはマシな人種なんだろうか?期待してしまう。あめ玉一個で、私、やすいな。可笑しい。
「それじゃあ、私も失礼しますね、碧月先生」
「おー。気をつけて帰れよ。じゃあな」
「はい」
失礼しました、と言って後ろ手で扉を閉めて、玄関に向けて歩き出す。ポケットから小さな包み紙を取り出して。ころり、手のひらで転がる薄緑のあめ玉が光を通してエメラルドみたいに輝いてみせた。ぽいと口の中にそれを放り込む。
「……あまー」
甘くてどこかさわやかな酸味のあるマスカット味。
どこまでも重ねあわせて、パズルのピースみたいに隙間を埋める。そんな一日が奇妙で、少し、怖くて。
そんなやり場のない感情も甘味と一緒に溶け出していくような、そんな気がした。
疲れた時は、甘いもの。それは何がどうなっても変わらないよなぁとか思いつつ、私はゆっくりと帰路を歩み始めた。