とある高校生の恋愛事情2
教室についてもしょんぼりしたままとぼとぼと席につく華浦ちゃん。HR5分前にやってきた日向の挨拶にもふにゃふにゃと元気なく返している。その様子を見て不思議そうにしながらこそこそと彼が声をかけてきた。
「えーっと、どうしたのー?江南ちゃん、すんごい暗ーくなっちゃってるけど」
「……うーん。高校生には、色々あるんだよ。日向くん、お願いだから「江南ちゃんらしくなーい!」とか言わないでね」
「え、言っちゃダメなの?セーフ!止めてくれなかったら俺そのまま聞いちゃってたよ!」
「うん。やめてね」
真顔で念を押すと、基本ノリの良いオレンジは「わかった」と言って神妙な顔で頷いた。絶対何も分かってないだろうに。扱いやすくて助かる。
チャイムに遅れて教室の扉をくぐる碧月先生の無駄にキラキラしたイケメンぶりを視界に収めながら、ぼんやりと現状に思考を巡らせてみた。
正直、冶田くんとは特別仲が良いわけでもないし、同じクラスであること以外に彼と繋がるものはない。だから別に放置したっていいんだ。華浦ちゃんと冶田くん。2人のことにわざわざ首を突っ込む必要なんてないのだから。
それに、あの妙なアプリのこともある。超ハイスペックハッカーが何らかの気まぐれで、何故か一般家庭のPCに妙なアプリを設置した……なんて奇跡的な事情ではまずないだろうあれである。ふぁんたじーあるいはホラー的要素を多分に含んだあれに、名前が乗っている彼に、近づくことが得策だとも思えない。むしろ、嫌な予感しかしない。
そう、無視してしまうのが一番楽。多分、安全。
だけど。それこそ逆に思う壺、な気もする。何に、とか誰の、とかわからないけど。それに、落ち込んでいる友達を目の前にして自分は知らん顔を決め込むなんて、最悪にも程がある。だから。だから今回は、今回だけは、特別。そんで、いつもの元気な華浦ちゃんに戻ってもらうのだ。
午前最後の授業を終えても依然と暗雲を背負った華浦ちゃんはいつにない静けさで、購買派の彼女にしては珍しくお弁当をのっそりとかばんから取り出した。持ち前の明るさでクラス内のマスコット的ポジションでもある彼女に心配気な視線を向けたり、声をかけたりするクラスメイトも多い。そのどれにもふにゃふにゃと軟体生物じみた動きと声で返すものだから「おい、あの江南が…!」的な妙なざわめきが広がっていた。
ううーん、なんか、こう規格外な子だと思っていたけれど、幼なじみに関してはまた別なのか。
お昼に誘おうかと思ったけど、声をかける前にもそもそと機械的にお弁当の中身を口に運び始めてしまってそれも断念。すっごい目が虚ろなんだけど、本当に大丈夫なの、この子。
こうなった原因の、肝心の幼なじみの彼は、教室内を見渡してみてもその姿は見えなかった。
図書委員だから、図書室を探してみよう。なんて発想が安易すぎるかな。まぁ、居たら儲けもの、居なくて当然~とか考えつつ足を向けたそこに、彼は居た。
司書の先生の姿は見当たらなくて、昼休みに入って間もない図書室の中は閑散としている。一歩入って扉を背にしてしまえば生徒たちの賑やかな声も遠くなる。
本の閲覧のために設置された長方形のテーブルじゃなくて、窓際に椅子を寄せて、日差しを浴びながら手元に視線の落とす男子生徒が一人ぽつんと静寂に紛れてそこにいる以外は、不思議なくらいその空間は静けさで満たされていた。
本当に、いた。
意識せずゴクリと喉を鳴らして、私は立ち尽くしたまま冶田くんを見つめた。
当てがあたって喜ぶべきなのに、当たってしまったことに気疎さすら感じてしまう。でも、それでも。
不愉快なそれを断ち切るように、わざと音を立てて彼に向かって一歩踏み出した。ただ音に反応した、という風な感情の乗らない眼差し視線が交わる。
「早いね。もうお昼終わったの?」
「……はい。そちらこそ早いですね、柳瀬さん。…それで、なにか御用でしょうか」
何気なさを装ったその言葉が場にそぐわず響いて、自分でもどうかとは思った。思ったけど、そこまであからさまに用件をせっつかれる程、間抜けな顔だった?やばいやばい。穏便に話を進めないといけないのだ。ここで妙な警戒心を抱かれてしまっても困る。
「これ、借りっぱなしだったからさ。お昼の前に返そうと思って」
そう言って、児童文学といって差支えのないページ数の少ない小説を持ち上げてみせた。小道具?もちろん準備してますとも。発言はうかつでも、行動まで行き当たりばったりだと自分が困るからね。
「そう、ですか。カウンターの名簿に署名して、返却する本をそこの、ラックに並べておいて頂ければ、後は僕がしておきます」
そこ、といってついと目線で促された先にある返却用のプレートがくっついたスチールの棚に持っていた本を戻した。名簿に署名してから振り返ると冶田くんとばっちり目があったので、少々慄いてしまう。か、観察していらっしゃいました?いま。
「柳瀬さん、図書室利用されたことあるんですね」
「え?そりゃあ、あるよ。本読むの割と好きだし」
「そうなんですか。担当の日に見かけたことがなかったので」
「あー、そうだね。私も、ここで冶田くんと会うのは初めて、かな」
ははは、と笑ってみたけれど相当ぎこちなくなってしまった気がする。そうです。君の担当の日はきっちり避けさせていただきました。もちろんフラグ的なものは徹底回避させていただく所存です。今現在のこれは、あれです。虎穴に入らずんば虎子を得ずってやつです。
「…ずっと、不思議だったんだけどさ」
返却用のラックの前から移動して、新刊の並べられたオープンラックを眺めつつ言葉を続ける。私が話しかける人が彼しか居ない今、聞き流すこともしないだろうっていう打算からの行動だ。
「冶田くん、華浦ちゃんのこと名前で呼ぶ時と苗字で呼ぶ時あるよね。あれって何か意味あるの?」
「……。」
あ、あれ。
予想に反して沈黙が場を重苦しく沈めていく気配に内心冷や汗がにじむ。や、やばい?切り口からして間違えちゃった感じですか。せめてもの抵抗に、視線の端に映る彼には関心ありませんよ~私、本探してますよ~というポーズで目はそちらに向けないように耐えた。
「……中学の時」
苦々しい感情の浮かぶ声で、冶田くんは口を開いた。
「華浦とのことで、クラスメイトにあることないこと詮索されたんです。付き合っているだとか、なんとか。そんなこと、記憶も怪しくなるくらい小さい頃から顔を合わせていれば考えようもないことです。でも、クラスメイト達はそうじゃなかったし、華浦も…あいつはあんなだから、適当に流すことも出来なかった」
あぁ、そうだろうな。あの子、まっすぐだもんね。ありもしない憶測を、身勝手で軽薄な好奇心を、自覚のない低俗な言葉をうまく流すなんて、しないだろうし、きっと出来ない。出会ってひと月足らずの私でもその光景は想像に容易かった。
「だから、人目や関わりの多い人の集まる場所では苗字で。それ以外は……つい、名前で呼んでしまう。それだけのことです」
「そう、なんだね」
近くで見ていれば、すぐに分かる。彼らの距離の近さぐらい。だから苗字で呼び合う不自然さに、名前で呼び合う自然さにいつでも違和感がつきまとっていた。
「立ち入ったこと聞いて、ごめん」
「いえ、お構いなく」
「知り合ってそんなに時間も経ってないからさ、詮索するようなこと、良くないね」
「いえ、あいつは柳瀬さんに相当懐いてますから。気になって当然だと思います」
「じゃあ仲直りしてくれないかな」
「いえ…………え、は?」
オススメの本はどれかな。位のトーンでさらっと言ってみたら案外頷いてくれたり。しなかった。いい線いったのに。ちっ。
今度はしっかりと彼の方を向いて、何でもないことみたいに、言葉が重たくならないように気をつけて、告げる。
「落ち込んでるんだよ。私より治田君の方がわかってると思うけど。もう、どんよりしてるの。見てられないの。だから、仲直りしてくれない?」
私じゃ、無理なんだ。そう言って自分で寂しくなる。やだなぁ、当たり前のことなのに。
治田君は暫く目線を落として、それからゆっくり私に向き直って、すっと目を細めた。
「あなたも、大概ですね」
「大概?」
「大概、人の事情に首を突っ込みすぎる、お節介だ」
ポーカーフェイスな彼の言葉は、案外取り繕われていなくて、感情を隠す気すらないんだな、って分かってそのむき出しの嫌悪感に意表を突かれた私は意図せずふにゃりと表情を緩めた。
「……なんで、そこで笑うんですか」
「いや、ね?ほんと、冶田くんの言うとおりだなって。関係ないって、罵られても文句言えないぐらい正論だと思う」
いっそ素直、とでも言い換えられるかもしれないその実直さが私のおかしなツボを刺激して緩んだ顔は中々元に戻ってくれない。そんなにやけた面に思うところがあったのか、彼はずっと膝の上に開きっぱなしだった本に栞を挟んでパタリと閉じた。
「……おかしな人ですね」
「うん、ごめん」
「そこで謝るんですか」
全くの無表情だけど、その声音は明らかに呆れを含んでいて私はもう一度ごめん、と何に向けてかわからない謝罪の言葉を口に載せた。