その物語の題名は
思い出が詰まったその箱を、今見つけたのは単なる偶然だった……のだろうか。
中学の頃の教科書類が、まだ部屋の隅にダンボールに入れたまま押しやられていたのを見たからだったっけ。あぁ、そろそろこれも片付けないと。そう思って、開いたラックの中にあったもの。
卒業証書。書道セット。水彩セット。スケッチブック。小学校で使った、彫刻刀セット。卒業アルバム。どれも乱雑に一つの棚に押し込められている。埃っぽいそれらを一旦棚から取り出すと、もっと懐かしい幼い思い出が出てきた。
運動会でもらった、ライオンのメダル。お母さんに作ってもらった、パペット。幼稚園の終了証書。少し黄ばんだ画用紙に書かれた、謎の絵達。あまりに独創的なそれに苦笑いが洩れる。何書いたんだ、これ。クレヨンでただ殴り書いただけ。色をたくさん使って何がしか表現しようとしているようだけれど、恐ろしく正体不明な生き物?が出来上がっている。湿気なんか気にせずに仕舞ってあったものだから、画用紙はふにゃりと手に重なって曲がる。
10枚近いその力作を眺めた後に、汚れたクレヨンケースを手にとった。子供らしい犬やら鳥やらが印刷された可愛らしいケースも、10年以上の月日を重ねて色あせて見える。妙に懐かしいやら、なんとなくわくわくするような気さえして、『12色』入ったそれのふたを開いた。
「あれ」
しろ、きいろ、みどり、みずいろ、あお、むらさき、ももいろ、あか、オレンジ、くろ、ちゃいろ、きんいろ
そう書かれた蓋の裏。肝心の中身が、たったの3本しかなかった。
くろとちゃいろときんいろ。私は首を傾げた。黒やら茶色なんてよく使う色代表だろうに、それがしっかり残っていて。他の色は欠片もないのだ。
不思議に思いつつそれを手に持ったままデスクチェアまで戻る。片付けようとして余計に荒れ果てた現状はとりあえず見ないふりだ。
だってさっきから、震えが止まらない。
何色がないんだって?
しろ、きいろ、みどり、みずいろ、あお、むらさき、ももいろ、あか、オレンジ
その色が、欠けていた。
「ふぁんたじー……じゃなくて……?」
ホラーの間違いだったのか。指先が冷えて、小さく震える。
私はこの欠けた色を、この数週間で全て目にしたはずだ。だってそれは、私にしか見えない色だったから。
「ありえない、って」
手に持ったそれの蓋をゆっくりと閉めて、私はしばしの逡巡の後、それをデスクの引き出しに入れた。そのままデスクに肘をついて、額を寄せた。目を閉じる。
たかが、子供の玩具。無くなっていたからって、それが何かに重なったからって。そこまで動揺する必要なんてないんじゃない?そう言い聞かせてみる。
でも、それでも。
気が付きたくないけど、気がついている。
色づき始めたあの日から、私の日常がどこかずれていることに。
馴染んでしまいたくないけれど、違和感が薄れていく。
繰り返す毎日が自分のものだと、何度も何度も思い知らされるから。
私は深く息を吐いた。もう、いいや。考えれば考えるほどどうしようもなくなって、考えたところで、どうにもならない。
ならば別に、考えなくていいじゃない。見なければいい。
思考を放棄することには慣れている。あぁでもない、こうでもないと考えれば考えた分だけ、自分がしなびていく気がするから、止める。
デスクの下、スライド式のテーブルからノートパソコンを取り出して、電源を入れた。ネットゲームでもしよう。ちょっとは気が紛れるだろうから。そんな逃避的な思考とは反対に、軽快な音とともに立ち上がったその画面に見慣れないアイコンを見つけて、本日2度目の妙な予感めいたものがむくりと湧き上がって、顔を歪めた。
『Management of the love』
タイトルからして、不吉である。それに何が嫌って、なんでこんなゴテゴテしいハートアイコンなのか。どピンクに金の縁どり、隙間にも小さなハートが散らしてある。はっきり言おう。すっげーセンス悪い。
「of the love……なんかもう、この時点で嫌な予感しか……」
新種のウィルスか何か知らないけれど、そんな怪しいサイトに繋いだ覚えもないし、外から機器を繋ぐこともない。そして、昨日見た時にはこんなものなかったはずである。ていうか、こんな趣味悪いアイコンあったら、気がつく。嫌でも。
managemennt、管理とか運営とかそんなところだろうか。て、ことは?
「……愛の、管理、とか。うっわぁ……」
読めてきてしまった。こういう話、ウェブ上では割りと、ありふれているからね。そんで、私そういうの読むの大好き。読むのは!好きだけど、あーもう。
どうにでもなれ!と趣味の悪いアイコンをダブルクリックして中を開いてみる。
冶田 智雅
親愛度 12
友愛度 33
愛憎度 5
嫉妬0
印象値D+
「ああああああもうテンプレだろおおおおお……」
画面が壊れるかも、とかお構い無しに勢いよく上半身ごとパソコンを倒した。
乙女ゲーというやつ?私が?この、私が。冗談にしても、酷いチョイスだ。せめてSFものにして欲しかった。そうすればまだ「こういうものもあるのか」って納得できた気がするのに。なんて思考を飛ばしてみてもその画面は消えてくれない。
ゲーム。ゲームだ。頭がいたい。胸焼けが、酷い。誰が仕組んで、何が原因で。そんなこと考えたってきっとわからない。けれど、これは現実なんだ。私の生きる、現実をたかがゲームに塗り替えようとする何かの意思が勝手に投じられていて。
腹が立つ。のどの奥あたりが燃えるようで、腹の奥に燻るこの憤りをどこにぶつければいいのかもわからない。きつく握りしめた拳で頭を抱え込んだ。しばらくそうしていると、発作的な怒りが何故か笑えてくるから、不思議。いや、多分私がそういう性質なんだろうけど。切れすぎると、笑う。
例えば、前世。例えば、成り代わり。トリップ。どれも違う。私は私として生まれて、それ以外の記憶はないし、そんなものいらない。だから余計に、腹がたった。乙女ゲー(?)の始まりに腹を立てるなんてこと自体が可笑しいのだろうか。まぁ、たしかにそんなストーリーがあったら笑える。
ごろんと首を横に倒して、窓の外の呑気な青空をしばらく眺めてみる。
現実だ。これが、現実だ。ぱちぱちと瞬いても消えない。画面越しでもない、現実。
ぼんやりと考える。『彼ら』が攻略対象(笑)とか。どうでもよくて。イベントなんてきっと、碌でもなくて。ゲームじゃない。これは、私の現実で。彼らにとっても、違えようのない現実のはずだ。
ならば、ならば。
薄く笑う。にたり、なんて効果音がつきそうな悪役じみた笑み。
全部無視して、生きてやる。
誰かの思惑だろうが、箱庭だろうが、どうだっていいのだ。
「残念だったね。ヒロインの、チョイスミスだよ」
小さく呟いた声は私の部屋の中に燻って消えるだけだ。
好感度?エンディング?フラグ?逆ハーレム(笑)ゲームとしてならば、楽しんだだろう。笑っていられただろう。萌え転がってさえ居たかもしれないし、2周めとかやっちゃうかもしれない。
でもね
「私の現実は、壊させないよ」
誰に言うでもない言葉を、私の果たし状代わりに受け取ってもらおうか。見知らぬ何かに向けて。