色づく日常の始まり
最初はマンガみたいだな、って思ったんだ。
赤、青、黄色にピンク、緑なんてクレヨンの色彩みたいな鮮やかな色が視界に入り込んできたから、こんな奇抜な色を身につけてもいいのはマンガの登場人物ぐらいだろうよ、ってさ。
「……まぁ、現実なんですけどね」
憂鬱な溜息をついて、姿見に映る真新しい制服姿の少女を見つめ返す。
両親の遺伝子が上手いこと組み合わさってくれたおかげで、中々端正な顔立ちに育ちました。身長も女子にしては高いけれども、それがコンプレックスとなるほどではないし、スラリと伸びた肢体は特徴のない制服を特に弄ることもなく洒落た装いに見せてくれる。なんとも恵まれている。両親には感謝の言葉しかない。
だがしかし。鏡に映る自分の顔に向けて手を伸ばす。
色素の薄い、白い肌。穏やかな曲線を描く目尻。小さく血色の良い唇。それらをまじまじと見つめる私は傍から見たなら単なるナルシストの類であろう。うん、間違ってない。私の作りはたしかに良く出来ている。でも、私はきっと分類分けするなら『普通』なのだと思う。
肌とおなじく色素の薄い日に透けるブラウンの髪。曾祖母からの先祖返りとしか考えられない灰色がかった薄碧の瞳。
普通である。そう、普通なんだよ。
だって、しろ、きいろ、みどり、みずいろ、あお、むらさき、ももいろ、あか、オレンジなんかじゃないんだから!!!
ふっ、と皮肉げに少女は笑み、そのまま膝から崩れ落ちた。どん!と苛立たしげに床を叩く。
ここは日本だ。そして普通の人の持つ色と言ったら、髪は黒、精々染めて茶色、金髪(最近見ないよね)目の色だって黒茶、異国の血が混ざっていたって私みたいに薄青とかさ……そんなもんじゃないですか?間違っても童話の中の吸血鬼みたいな真っ赤な目だとか萌えーなピンクいろのおめめ!とかないじゃないですか。ねぇ、私、なにか間違えてますか?間違えていないはずである。誰も答えてくれる人が居ないから、自分で言っちゃうけども。
街を歩けば見慣れた色彩が行き交うここ、日本である。某猫型ロボットができるほど科学技術が進んだ世界でもないし、宇宙人に侵略もされてないし、一般人が超能力を使えたりなんかしないし、人類に隠れた異種族が闊歩する世界でもない(はず)である。
なのに、なのにっ……!
赤である。青だった。白かった。オレンジでキラキラだった。塗り込めたみたいな緑でした!ピンクかわいいよねええええぇぇぇぇ!!!
二度三度と強く拳を床に叩きつける。
べっ、別に頭がおかしくなったわけじゃないんだからねっ!
どんどん。どんどんどんどんどん
「うっるせー!!……え、何してんのお前」
がちゃと無粋な音を立てて自室の扉がノックもなしに開かれる。怒鳴りこんできたくせに、間抜け面を晒している男、私の兄である。
学校から帰った制服姿のまま、這いつくばってただすらに床を殴る妹。異様である。取り繕う素振りも見せずぎろりと兄、陽を睨みつける。
その視線に慄き顔をひきつらせて後ずさるそれに向けてボソリとつぶやいた。
「兄さんも普通じゃん」
「いや、今のお前は普通じゃねえよ……」
どうしたの、一体何がどうなったらこの状況になるのとおろおろし始めた2つ上の兄を上から下へと眺め尽くす。身内の贔屓目を抜きにしても中々の爽やか好青年である。ご先祖様の遺伝子のお陰で色白で全体的に色素は薄めだけれど、薄茶の髪と瞳をしたごく普通の人間である。
「…いやらしい目で兄を見るなよ」
うわぁ、と更に一歩部屋の外へと出て行く兄を目を細めて見返す。
「ピンクの髪の女の子って可愛いよね」
「……は?」
「ほら、今日の入学式の新入生代表の子。あの巨乳の。ピンク色とか、可愛かったよね」
「何言ってんの、頭打ったか」
そうかも、と小さくつぶやいて項垂れると胡散臭気な目線を側頭部に感じる。
やっぱり頭がおかしくなったのだろうか。それとも現実的な線で視覚異常とか、そういった病気だろうか。それだったら酷い。この晴れやかな高校の入学式の日に、わざわざ合わせたかのように病気になるなんて。
「なんか、よくわかんねーけどさ」
ずしりと頭の上に重みがかかる。ぽんぽん、と暖かくて大きなそれが頭の上を軽く跳ねて、柔らかく頭を撫ぜられた。
「ピンク色の髪の奴なんていなかったろ。新入生の女子は、普通に黒髪だったし。…夕、お前疲れたんじゃねぇの?もー寝ろ寝ろ。」
いなかった、か。
目を閉じて頭の上でうりうり動く兄の手にされるがままに頭を揺さぶられる。
「…うん。もう寝るよ。晩御飯いらないって、お母さんに言っておいて」
「おー。腹減ったらコンビニ連れて行ってやるよ」
ほらほらと追い立てるようにベッドまで追いやられて、よいせと立ち上がって
ベッドに向かう。おやすみーと言って兄の訝しげな、それでいて少し心配そうな眼差しが気を使って静かに閉められた扉の向こうに消えてから、落下するみたいに勢い良くベッドに突っ伏した。
「んなわけないじゃんかぁ」
ぐずっ、と鼻を鳴らしてせり上がってくる熱をどうにかこうにか押さえ込んだ。
疲れたからって、人の髪の毛はクレヨンの色にはならないし、クレヨンの色彩を宿した人だけキラキラして見えたりするはずがないのだ。
思い出したというのか、気がついたというのか。ふと、思考の中をよぎって当たり前のように存在するそれが腹立たしい。
本日私、柳瀬 夕 の高校の入学式の日。
わらわらと人で溢れかえる、クラス発表の掲示板の前から、入学式の行われる体育館、教室まで。たくさんの新入生が、先輩が、教員がいた。
仕方のない事だけれど私の容姿は少し人目を引いて、これから3年間過ごすこの場所で、見ず知らずの人からさらされる視線がうっとおしくてそんなに見るならこっちも見返してやるよ!と息巻いて見渡した視界に飛び込んできた鮮やかな色達。
ここは、何次元だ。3次元だ。
なんてとっさに考えたゲーム脳はひとまず置いておいて。掲示板の前、涼やかな面立ちの男子生徒。ああいう色をコバルトブルーと言うのかな。いやいや、と目をこすって次の目的地へ。
入学式最中の体育館。壇上に上がる華やかな顔立ちの女子生徒。ももいろ、ってやつだろう。呆気にとられてぽかんとそれを見つめる私に、「眠くないの?真面目だねー」って親しみやすい笑顔で話しかけてきた男子生徒。オレンジである。そのとなりでこくりこくり船を漕いでいらっしゃる小柄な男子生徒。白髪である。どんな苦労をしたら、その若さでそうなる…。
教室。担任、若くてイケメンで、そしてみどりだった。何故緑。なぜみどりなの。もうここら辺りで憔悴気味である私。自己紹介、出席番号一番相川くん、赤いよ、赤い。そんな穏やかで折り目正しそうな優等整然とした笑みも掻き消えるインパクト。
放課後、入学前に殆ど持って帰らされていた新しい教科書の、ぎりぎり納入分を持って帰れとホームルームで担任(緑)からお知らせが合ったので、玄関前のラウンジスペースなう。もう勘弁して…。と引きつる私の精神力に最後のドロップキックをかましてくれた彼。どう好意的に見ようとしても、おれ、これ無理やりやらされてます的な気だるさとともに教科書の束を配る上級生らしき人、紫でした。どうもありがとうございました。
何故かこみ上げてきたおかしさにふと口元が緩んだ。そこに周囲からの視線が集まる。ひそひそとざわめく同級生たちを鬱屈した気持ちで見やれば、それらは全て見慣れた黒、茶色。当たり前だ、ここは日本ですから。
新しい環境。人間関係。生活。すべてがきらめいて見えるであろう高校生活のはじまりに似つかわしくないどんよりとした暗雲を背負い込んで帰宅した私は、自室の姿見に映る自分を見てぼんやりとつぶやいた。
ふつうだ、と。